第12節 凍てつくはぐれ惑星(前編)
大気圏の薄い空気が破断した装甲板の隙間を切り裂き、甲高い風切り音がブリッジを圧迫していた。フロントガラスの外は、摩擦熱が放つ禍々しい橙色の火炎で覆われている。焦げついた断熱材の硫黄臭と、暴走するメイン基板から立ち上る白煙が、充満する機内に冷たい死の気配を流し込んでいた。
「高度一万八千! 降下角度、三十二度! このままの加速度じゃ地表に刺さってペシャンコだよ!」
シオンが狂ったように点滅する携帯端末を両手で抱え込み、過熱したコンソールにしがみつきながら叫んだ。冷却ファンが完全に死んだ端末のケースからは、静電気のピリついた感触と焦げたシリコンの異臭が漂っている。
「黙って高度だけ読み上げてな、インテリ!ブレーキが効かないなら、骨が折れる覚悟で氷を削るまでさ!」
バーバラは操縦席のシートベルトに肉体を喰い込ませ、煙を吹き出す操縦桿を力任せに引き絞った。手元の操作パネルから散るプラズマ火花が、彼女の赤い髪と汗に濡れた額を斑に照らす。彼女は足元のRCSスラスター用ペダルを連続で叩き踏んだ。残存率わずか数パーセントの姿勢制御ガスが不規則に噴出し、機首が数度だけ上向きに持ち上がる。強烈なGが3人の胸腔を圧迫し、肋骨が悲鳴を上げた。
「ルカ!着陸脚の油圧回路が焼失してる! 爪が外れなきゃ氷原に腹滑りして摩擦熱で蒸発するぞ!」
「騒ぐな、手元は動いてる!」
機関部バイパスに突っ伏したルカは、皮製アームカバーで顔面を覆いながら高出力溶接カッターのノズルを暴走配線に突き立てた。青白い溶断火花が狭い通路に炸裂し、溶けた銅線の飛散が耐熱グローブの表面を焼き焦がす。彼はカッターの重い金属柄を力任せに振り下ろし、固着した着陸脚の緊急機械ロックピンを叩き落とした。
ガン、と腹底から腹線に響く重金属音が落ちた。油圧を失ったツギハギの脚部が、重力と慣性だけに引っ張られて強引に展開し、固定爪を弾き飛ばして定位置へロックされる。
「脚は降りた! バーバラ、接地と同時に逆噴射の全段起爆をやれ!」
「言われなくても叩き込んでやるよ!」
視界を覆っていた橙色の火炎が、突如として白銀の猛吹雪へと切り替わった。眼下に迫るはぐれ惑星の地表——無数の割れ目から硫黄臭い黒煙を上げる岩盤と、広大な凍結氷原。
衝撃は、一瞬だった。
ドカン、という巨体同士の激突音が船体を下から突き上げた。展開された第一着陸脚が氷床に刺さった瞬間、過重に耐えきれず根元からへし折れ、飛散する氷の巨塊とともに宇宙へと吹き飛ぶ。
脱出船は腹底を直接氷原へと擦り付け、狂暴な滑走音を上げて氷の地表を極限速度で削り取り始めた。フロントガラスに叩きつけられる氷粉が視界を完全に遮る。猛烈な摩擦熱と氷の接触で大量の白濁した蒸気が巻き上がり、機体は岩盤の隆起に側面を強打しながら、二千メートルにわたって氷原を垂直に削り破り、傾いた姿勢でようやく停止した。
静寂が訪れた。
警報音は途絶え、ただ機関部から漏れ出る「シュー……」という冷却液の漏出音と船内に響く。
「……生きているね。確率論的にも、僕の運命のパラメータ的にも、ここで肉泥になっているのが正解のはずなんだが」
シオンが鼻血をジャケットの袖で拭い、歪んだフレームから携帯端末を引き抜きながら、掠れた声でシニカルに呟いた。
「生きてるならさっさと動け、インテリ。余熱が冷めたら、今度はここが巨大な冷凍庫になる」
ルカは首元のアナライザーの数値をリセットし、工具帯から小振りなハンマーを引き抜くと、歪んで固着した耐圧ハッチの隙間に先端を叩き込んだ。テコの原理で強引にレバーをこじ開けると、プシューという減圧音とともに、外の狂暴な寒気が一気に機内へとなだれ込んできた。
船外は、氷と吹雪が支配する極寒の世界だった。
見上げる空は分厚い灰色の雲に覆われ、恒星の光すら届かない暗黒の中に、吹雪が視界を白く染め上げている。外気温マイナス三十五度。吐き出した息が瞬時に凍りつき、作業着の衿元に白い霜となってこびりつく。だが、風に乗って漂ってくるのはただの氷の匂いではない。地熱によって熱せられた硫黄と、黒々とした湿った土の生々しい異臭だった。
ルカは耐寒装備のフードを深々とかぶり直し、ひしゃげた主脚の周囲を歩きながら、ハンマーの頭で外装フレームを力任せに叩いた。
カーン、と乾いた鈍い音が吹雪の中に響く。応力アナライザーのデジタル針は、ピクリとも動かない。
「主フレームは無事だが装甲の一部や各部品が完全にイカれてる。ハンダと溶接機をいくら投入したところで、この船が二度と宇宙空間のGに耐えることはない」
ルカは手袋の表面についた氷の結晶を払い落とし、冷めきった声で事実を口にした。
「なるほど、素晴らしいニュースだね」
シオンが着崩したジャケットの襟を強張らせ、凍える指先で携帯アレイの環境スキャナーを走査しながら後に続いた。端末から漏れる青いモニター光が、彼の蒼白な顔を浮かび上がらせる。
「僕たちが手に入れたのは、管理局の追撃からの永遠の解放と、この見渡す限りの氷の墓場での永眠権というわけだ。文句のつけどころがない完璧なサバイバル・プランだよ」
「泣き言を並べる暇があるなら、その高価な玩具で温かいスープの出水孔でも探すんだね」
バーバラが腰のホルスターから旧式実弾銃を引き抜き、シリンダーの回転具合をカチリと確かめながら吹雪の中へ踏み出した。彼女はフライトジャケットの首元を締め、足元の氷盤を粗野なブーツの先で蹴り飛ばす。
「見てみな。あちこちから湯気が上がってる。地球の泥船のブタ小屋よりは、いくらかマシな熱源があるようだ」
彼女が指さした先、五十メートルほど離れた黒々とした岩盤の割れ目から、白く太い温泉蒸気が勢いよく噴き出していた。硫黄の強い臭いが風に乗って立ち込める。バーバラは皮手袋を外し、噴き出す蒸気に素手をかざして不敵に口元を歪めた。
「地熱が生きてる。絶望して舌を噛み切る前に、少なくとも指の感覚を保つくらいの温もりはあるってことさ」
「暖をとるだけじゃ腹は膨らまないよ、バーバラ」
シオンが携帯アレイの感度を最大まで引き上げ、ディスプレイに表示された波形を注視した。彼の目の奥に、疲弊を超えた知的好奇心の光が微かに灯る。
「大気成分は薄いが呼吸可能。硫黄と二酸化炭素の濃度が高いが、死ぬほどじゃない。……そして何より、僕のデバイスが、地底から妙なノイズを拾っている」
「ノイズ?」
ルカがアナライザーの電源を落とし、シオンの元へ歩み寄った。
シオンが提示した画面には、自然の重力波や地熱変動とは明らかに異なる、周期的で尖った振幅パターンが刻まれていた。
「規則的な打撃音……深さおよそ地下千五百メートル。単なる地圧の変動じゃない。誰かがこの星の腹を、巨大な削削機で絶え間なく掘り進めている物理的振動だ」
「こんな極寒の氷の玉の地下で、大工仕事をしてる物好きがいるってかい?」
バーバラが実弾銃を胸元に抱え直し、吹雪の向こう側、漆黒の岩盤が口を開ける峡谷の暗闇を睨みつけた。
「定住者はいないはずの未登録宙域だ。だが、この足裏に伝わる振動は嘘をつかない」
ルカは靴底を通して地盤から届く微小な重音に全神経を集中させた。ツギハギの船体を支えていたあの「きしみ」と同じ、人工物が巨体に負荷をかけている構造の振動だった。
「船の修理資材も、次の生き残り策も、あの中にある。氷の上で凍りつく前に、その掘削屋たちの顔を見に行くとしよう」
ルカは工具箱のバンドを肩に深く掛け直し、暗闇と蒸気が交錯する地表の割れ目へと向けて、第一歩を踏み出した。




