第11節 物理的限界のチキンレース(前編)
赤熱した警告光が、無機質な幾何学回廊の壁面を斑に染め上げていた。《敷設者》の自動防衛システムが吐き出す警報音は、人間の耳には知覚できない超低周波の地鳴りとなって、アクセスポートの鋼板を激しく震わせている。
「ハッチを開けろ! 野郎どもが追撃経路を力技で迂回しやがった!」
バーバラの絶叫とともに、旧式実弾銃の乾いた重低音が狭小ダクトに轟いた。撃ち出された鉛弾が、接近する多脚ボットの光学センサーを打ち砕く。火花と油煙が吹き荒れる中、彼女は後退しながら二発目を叩き込み、滑り込むように脱出船の耐圧ハッチへ飛び込んだ。
その背後で、端末の有線コネクターをアクセスポートの制御盤から強引に引き抜く。コネクターの端子から青いプラズマ火花が爆ぜ、彼の薄いジャケットの袖を焦がした。
「失礼なセキュリティだね。挨拶代わりに全システムを焼き払おうとするなんて、都市船の役人でももう少し社交辞令ってものを知っているよ」
シオンは血の気の失せた顔でシニカルに吐き捨て、コンソールへ飛びついた。叩きつけるような高速打鍵音とともに、脱出船のハッチが開く。
三人は素早くハッチ内に滑り込む。ルカは機関部で《敷設者》から強奪した満タンのエネルギータンクを脱出船の補給口に接続する。脱出船のメインフレームへ強奪した莫大なエネルギーが雪崩れ込む。過充電されたバッテリーアレイが甲高いインバーター音を上げ、船内の照明が一瞬、眩警な白色に跳ね上がった。
「御託はいい、シオン! ハッチを閉めて、物理アンカーのロックをシステム側から解除しろ! 手動じゃマウントごと引きちぎれる!」
ルカが、焦げつく耐熱グローブの手で圧着アンカーの緊急解放レバーを力任せに叩き落とした。首から下げた応力アナライザーの針が、狂ったように危険域へ振れている。
足裏から伝わるのは、《クジラ》の外壁装甲に喰い込んだ物理アンカーの歪みと、押し寄せる防衛ボット群が発するプラズマ溶接レーザーの熱波だった。焦げた油と合成ゴムの臭いが、密閉されきっていないハッチの隙間から漂い散る。
「言われるまでもない! 偽装プロトコル流し込み完了!三秒だけ奴らの認識を麻痺させた!」
シオンが端末の画面を叩き割らんばかりの勢いで実行キーを放つと同時に、外壁ポートの固定爪が炸裂ボルトの重音とともに爆破切断された。
「おあいにく様、お邪魔虫は退散させてもらうよ!」
操縦席へ倒れ込んだバーバラが、推力レバーを床まで蹴り飛ばした。
満充電となった主機スラスターが猛然と咆哮する。ツギハギの装甲板が軋み、脱出船は《クジラ》の超巨大な外壁装甲から強引に自機を引き剥がした。
フロントガラスの向こう側で、光すら吸い込むような数千キロの巨体が急速に遠ざかっていく。だが、安堵の隙は与えられない。外壁の各部から、赤い警戒光を放つ長距離追撃ユニットが幾重にも湧き出し、その砲身が脱出船の小さな影へと一斉に指向された。
「しっかり掴まってな、インテリ坊主!ここからは安全基準の神様が反吐を吐く時間だよ!」
バーバラは操縦桿を力任せに引き絞り、RCSスラスターを不規則に吹き散らした。背後で《クジラ》の防衛砲台から放たれた高熱プラズマ弾がかすめ、脱出船の右舷装甲を赤熱させて削り取っていく。
「Gで胃袋が裏返る前に、あの砲撃で灰になる方に100ポイント賭けるよ!」
シオンが座席へ叩きつけられながら、大音量の警報が鳴り響く端末ににしがみついて叫んだ。
追撃ユニットの第一波をあざ笑うかのように、脱出船は不規則なスリップ走行で暗黒の宙域へと一気に離脱を開始した。
だが、真の危機は敵の砲火ではなく、内側から訪れていた。
バーバラが追撃網の照準軸を振り切るため、推進スラスターの出力を規定値の120%——限界突破まで押し上げた瞬間、脱出船の船体全体がまるで巨大な鉄の猛獣に噛み砕かれているかのような重圧音を立てて震え始めた。
「バーバラ!出力が高すぎる!この船のフレームは都市船の廃棄ボルトと泥船の廃材をプラズマで無理やり繋いだゴミ山なんだぞ!」
ルカは歪む壁面に肩を激しく打ち付けながら、首元のアナライザーの数値を睨みつけた。センサーが拾う周波数は、構造材の分子結合がせん断力に耐えかねて引き千切られつつある絶叫そのものだった。
「黙って手すりを溶接してな!足を緩めたらコンマ2秒で後ろのデカブツに撃ち抜かれてチリになるんだよ!船がバラバラになるのが先か、あいつらを撒くのが先か、勝負さ!」
バーバラは全身を締め付ける激しいGに顔を歪ませながら、両手で狂ったように暴れる操縦桿を抑え込んだ。彼女のタンクトップは汗で肌に張り付き、口元からは安タバコの紫煙代わりに荒い吐息が漏れている。不規則な旋回のたびに、シートベルトが彼女の胸部を圧迫し、痛痛しい摩擦音を立てた。
パシッ、と機体後方で硬質な金属弾裂音が弾けた。
中央配線ダクトの固定ボルトがせん断力に負けて蒸発し、飛散した金属片がシオンの頭上をかすめてリベット壁に深々と突き刺さる。焦げついた配線から吹き出すバイパスの火花が、ブリッジの青いモニター光を斑に掻き消した。
「朗報だよルカ!機体ログの応力計算によれば、僕たちの船はあと1分20秒で完璧な幾何学パーツに分解されて宙域へ散らばるそうだ!先人たちの墓場に加わるにはお誂え向きのスケジュールだね!」
シオンは激しい動揺で喉を鳴らしながらも、端末の画面から転送データをルカのアナライザーへ飛ばした。彼の大型ヘッドホンからは、過荷重によって歪む主フレームの異音が惨めな不協和音となって漏れ聞こえている。
「1分もいらない。30秒でこの第一構造軸が叩き折れる!」
ルカは床に叩きつけられそうになりながらも、工具帯から高出力プラズマ溶接機と圧力バイパス用の極太ケーブルをひったくった。皮製アームカバーの上からでも伝わる熱気と、船底から響く不気味な「キシ……キシ……」というキシミ音。それは、ツギハギの肉体が限界を超えて悲鳴を上げている音だった。
「バーバラ、そのまま推力を保て!切り離せる不要区画は俺がその場でパージする! お前は前だけ見て舵を握ってろ!」
「言われなくても手放すかい!あたしの足(船)を空中分解させたら、あの世で突っ伏して詫びてもらうからね、大工さん!」
バーバラの野性味あふれる高笑いと、スラスターの狂暴な咆哮が交錯する。
ルカは焦げたゴムと金属粉の臭いが充満する通路へ蹴り出し、悲鳴を上げる機関部バイパスへと疾走した。足裏から伝わる破断の微振動が、彼に命の終わりまでのカウントダウンを直接語りかけていた。




