第10節 真理のハッキング(後編)
足下のキャットウォークが、押し寄せる膨大なエネルギーの脈動を受けて「ガガガガッ!」と激しい重低音で揺れ動く。焦げた配線とハンダの煙が充満する中、ルカは溶断機の炎を狂ったように振るい、熔解寸前のバイパス回路を間一髪のところで繋ぎ止め続けていた。
強誘電ケーブルの合流点から上がる白煙の中で、シオンのポータブル端末が甲高い電子悲鳴を上げた。青白い液晶画面に幾何学の制御コードが津波のように乱舞し、彼の首にかかるヘッドホンから歪んだ高周波ノイズが漏れ出す。
「位相クロックが一点二テラヘルツに突入した! 周期的な電圧のサージじゃない、これは密閉型のフィードバック・パルスだ!」
シオンは青白い光に照らされた顔に汗を滲ませ、静電気で弾けるキーボードを叩き叩き、喉を絞り出すように叫んだ。
「僕たちの配線が下手なんじゃない!この船の制御核は、余剰エネルギーを無差別に周囲のフレームへ吐き出すことで冷却機構を維持してるんだ。神様は優雅な幾何学の中に、とんでもなく下品なゴミ捨て場を作っていたらしい!」
ルカは溶断機を右手に握り直すと、足裏から伝わる規則的な微振動に全神経を研ぎ澄ませた。
ドゥン……ドゥン……ドゥン……。
鉄板を叩くその打撃音は、ただの構造的なきしみではなかった。シオンの端末画面で不規則に跳ね上がる赤と青の波形——その振幅と、溶断機のノズルを通じてルカの手首に返ってくる磁場の引っかかりが、完全に一致していた。
「下品なんじゃない、理屈通りに動いてるだけだ」
ルカは焦げついた耐熱手袋の指先で、首元のアナライザーの周波数調整ノブをコンマ三ミリ単位で旋回させた。
「この光の点滅は冷却バルブの開閉シークエンスだ。三秒ごとに位相が四度落ちる。俺たちが『《クジラ》の不気味な現象』だと思って恐れてたのは、ただの自動熱交換サイクルだ」
「何だって?」
シオンがキーボードを叩く手が一瞬止まり、目を丸くしてルカを見た。
「この高電圧の跳ね返りは、回路が俺たちのバイパスを弾こうとしてるんじゃない。主系統の圧力を逃がすための安全弁だ。接続ノードのインピーダンスをこの振動の位相に合わせれば、電流は逆流せずに素直に俺たちのタンクへ流れ込む」
ルカの眼光から、焦りや戸惑いが完全に消えていた。
彼はもはや、見よう見まねで鉄板を継ぎ接ぎする泥船の修理屋ではなかった。目の前で脈動する《敷設者》の超技術は、謎めいた神の遺物などではない。極めて精巧で、冷酷で、そして美しい物理学と電磁気学の延長線上にある『機械』だった。
ルカはプラズマ溶断機の炎を最小に絞ると、バイパスケーブルの接地フランジではなく、その二分の一手前にある異星導電フレームの微少な歪みへ、ピンポイントで白熱するトーチを突き立てた。
バチチッ!
接触面から放たれていた狂ったような放電が、嘘のように一瞬で沈静化した。強誘電ケーブルを流れる青白い光が、乱雑な火花から滑らかな流動へと変貌を遂げる。
「正気かい、ルカ! 端末のデータ上じゃ、そのフレームは高圧回路から絶縁されてるはずなんだが!」
「端末のディスプレイじゃなく、足下の鉄の震えを信じろ、シオン」
ルカは溶けて歪んだフランジの表面をハンマーの柄で力任せに叩き込み、電流の磁場位相を強引に合致させた。
「物理的な理屈が通ってるなら、相手が神だろうが《クジラ》だろうが、金属は同じように挙動する。ただの巨大な機械だ」
「ハッ! 言ってくれるねぇ、職人さん!」
支柱の影でピストルのスライドを勢いよく引いたバーバラが、空弾殻を金属床へ甲高く跳ね返させながらニヤリと口角を上げた。
「学者の理屈か泥船の勘かは知らんが、その顔付きは悪くないよ! あたしの愛銃のシリンダーも、その気取った船の回路も、叩けば直るって点じゃ同類ってわけだ!」
バーバラは振り返りざま、上方から死角を突いて下降してきた小型の走査ドローンへ向けて、残弾の二発を叩き込んだ。
ズドォン!
破片が降り注ぐ中、ルカの手元でバイパス装置のチャージメーターが狂ったような速度で数字を刻み始めた。
「充填率四〇……六〇……八〇パーセント! 素晴らしい、僕の安物の受電タンクが《クジラ》の血で満たされていくよ!」
シオンは絶叫しながら、過熱で煙を吹き始めた端末の冷却ファンに息を吹きかけた。
「だが一つ、最大級の悲報がある! ルカがシステムと対話して完璧なバイパスを繋いだおかげで、この船のメインAIが『単なる回路のノイズ』じゃなく『外部からのエネルギー強奪』だと正確に認識し始めた!」
キーーーーーン!
幾何学大空間の天井から、耳を刺す高周波の警報音が響き渡った。
コアを包み込んでいた静謐な青白い幾何学光が、一瞬で禍々しい血のような赤色へと染まる。キャットウォークの底面から重々しい油圧音が轟き、何重もの重厚な隔壁がガガガと音を立てて下降し始めた。
「充填率一〇〇パーセント! 完了だ!」
ルカが圧着アンカーの緊急解放レバーを力任せに叩き落とすと、バツンッ!と高圧放電の炸裂音とともにバイパスケーブルがノードから弾け飛んだ。パンパンに膨れ上がったポータブル蓄電タンクを、ルカは両手で掴み取って背中に背負う。
「野郎どもの目を完全に覚まさせちまったね!」
バーバラは空になったピストルをホルスターへ放り込み、二人のかさばるジャケットの襟首を力任せに掴んで引き寄せた。
「お勉強の時間はおしまいだ、インテリ! 走れ! この鉄の化け物があたしたちをドブネズミみたいに潰しにかかる前に、脱出ダクトへ滑り込むよ!」
赤光が明滅する非常警戒態勢の中、巨大な幾何学構造体が牙を剥くように変形を始めていた。三人は背中にずっしりと重い強奪電力を背負い、焦げついた煙と警戒アラートが充満するキャットウォークを、脱出船の待つ狭隘ダクトへ向かって猛然と駆け出した。




