第9節 コバンザメの強襲(前編)
光すら吸い込む暗黒の巨躯——先史文明《敷設者》の自動運航貨物船の外壁装甲は、黒々とした幾何学模様を連ねて漆黒の真空に広がっていた。
脱出船のマグネット・アンカーが「ガチリ!」と重い衝突音を立てて冷たい外殻に噛み合ってから、わずか数十秒。船体が《クジラ》の慣性推進に引きずられる猛烈な摩擦振動が足裏の鉄板を揺らす中、ルカはエアロックの不揃いなハッチを叩き開けた。
外気に触れた瞬間、耐圧服越しにも極寒の真空の冷気が皮膚を刺す。首元から下げたハンディ型の物理応力計測アナライザーの液晶画面を指先で弾くと、気圧差と微小な構造の隙間を示す波形が赤いドットとなって明滅した。
「気密バルブの駆動系は死んでるが、維持ポートの接合部は無駄に頑丈だな。力技で抉じ開ける」
ルカは腰の工具帯から高出力のポータブル・プラズマ溶断機を引き抜くと、有線バイパスのプラグをノズルポートへ力任せに叩き込んだ。カチリと硬い金属音が噛み合い、親指でトグルスイッチを倒す。
バチチチッ!
極太の青白いプラズマ炎が吹き出し、光を反射しない異種金属の接合部を猛烈な勢いで炙り焼きにした。飛び散る橙色の火花が皮製アームカバーへバチバチと跳ね返り、焦げついた革と油のツンとした悪臭が狭いエアロックの気圧差の中に一瞬だけ立ち上る。
「手早く済ませてくれよ、メカニック。この巨大な鉄の《クジラ》の皮下に流れる電子ノイズは、僕の繊細な聴覚を削り取るには十分すぎるほど過激だからね」
後ろに控えるシオンは、首の大型ヘッドホンを片耳に深く密着させ、着崩したジャケットのポケットから携帯端末を引き抜いていた。過熱したデータアレイから立ち上るピリついた静電気のオゾン臭の中、彼は手元の有線コネクターを外壁アクセスポートの剥き出しの端子へ荒々しく刺し込んだ。
カチリと端子が噛み合う。乾いた打鍵音が、真空の静寂を破ってメカニカルキーボードから刻まれる。
「朗報だよ。彼らは僕たち人間を『侵入者』とすら認識していない。せいぜい、装甲の表面にこびりついた宇宙ゴミの一種だと思っているらしい。おかげでこの簡易シールドの安全ロックを解読する作業は、幼稚園児の積木くずしより退屈さ」
「能書きはいいから、その退屈な指先でさっさとロックを外せ、シオン」
ルカはプラズマ溶断機の出力を最大まで引き上げ、真っ赤に白熱した維持ポートのロックピンにノズルを叩きつけた。ジュワァァァッ!と超高温の金属が溶け落ちる感触を、耐熱グローブ越しに肉体で受け止める。
「今、開く」
シオンが実行キー(エンター)を重く叩きつけた瞬間、アクセスポートの二重隔壁が幾何学的な不気味な作動音を立てて滑らかに開いた。
「よし、あたしが先陣を切るよ!この化け物の胃袋に滑り込むんだ!」
耐圧フライトジャケットの袖を捲り上げたバーバラは、口にくわえた安タバコを吐き捨て、旧式実弾ピストルのグリップを力強く握りしめた。ガンオイルと硝煙のツンとした匂いが、彼女の身体から溢れ出す。
バーバラは開口した暗闇のダクト内へ真っ先に飛び込むと、太い腕を伸ばしてルカとシオンの襟首を力任せに引っ張り上げた。
三人のかかとが着地した主構造ダクトの内部は、地球文明の建造物とは根本的にかけ離れた空間だった。
天井は遥か頭上に没し、人間にとっては巨大な地下大空間そのものだ。直線と不気味な多角形がどこまでも連なる幾何学的な回廊には、照明らしい照明もなく、幾重にも重なるエネルギーラインが薄青い幾何学光を一定周期で脈動させているだけだった。
「静かに進むぞ」
ルカは濡れた鋼鉄のような床に膝をつき、薄汚れた作業着の袖で額の汗を拭った。足裏の薄い底を通して、不気味な超重低音が響いてくる。
「この床の振動……ただの構造歪みじゃない。重機クラスの塊が定期的にこのダクトを巡回してる」
ズシン……ズシン……。
暗闇の奥から、幾何学的な幾重もの脚骨を持つ重機サイズの修利用多脚ボットが姿を現した。赤熱した溶接レーザーの照射ノズルと、巨大な油圧アームを複数備えたその巨躯は、人間の存在など眼中にない速度で回廊を前進してくる。
「隠れろ! 骨組みの影だ!」
ルカは二人の肩を掴み、剥き出しになった異種金属の構造フレームの隙間へ強引に身体を押し込んだ。
バーバラは壁の暗がりに身を潜めながら、愛用の実弾ピストルを両手で固く構えた。指先がトリガーにかかり、実弾の詰まった重い金属感が手元にズシリと伝わる。目の前を通過する巨体の関節部へ引き金を叩き込みたい野性的な衝動が走るが、彼女は奥歯を噛み締め、呼吸を殺してその衝動を力づくでねじ伏せた。
「チッ、あんな鉄の化け物にこの9ミリを撃ち込んだところで、ハエがたかった程度にしかならないだろうね」
バーバラは低く吐き捨て、安酒の混ざった息を暗闇に殺した。
ボットは三人を「景色の一部」として完璧に無視したまま、冷酷な正確さで補修作業を継続し、そのまま回廊の奥へと去っていった。
「ふぅ……命拾いしたね」
シオンは首のヘッドホンを直し、端末の有線コネクターの端子を指先で弄りながら、シニカルな笑みを浮かべた。
「ハッ、見向きもしないね。安全基準の神様どころか、害虫駆除の殺虫剤すら用意してないってわけかい」
バーバラはピストルのシリンダーを指先で一回転させ、チャカカカと金属音を鳴らしながら、無機質なダクトの奥の暗闇へ眼光を走らせた。
「邪魔をしなければ無害、触れれば即座に破砕。権力者の作る法律より、よっぽど分かりやすくて誠実なルールじゃないか。僕たちの頭脳と君の泥臭い感触が狂わない限り、この巨大なコバンザメの旅も悪くない終末文学になりそうだ」
「軽口を叩いてないで足を動かせ」
ルカは首元のアナライザーの数値をゼロリセットし、暗闇の奥から漂ってくる密度の高い高圧エネルギーの微振動を足裏で感知した。
「コアの熱波が近づいてる。ここから先は、ボットの足音だけじゃなく熱で焼かれる番だ」




