第6節 反逆のパージ(後編)
ルカは汗と油で黒ずんだ顔を歪め、首元のアナライザーの数値を凝視しながら、主構造ドッキング・マウントの最重要結合ボルト——直径五十センチの異種金属合金へ、プラズマ溶断機の炎を垂直に叩きつけていた。
ジュワァァァァッ!
金属が沸騰し、橙色の液体となって足元へ滴り落ちる。熱と圧力を奪われた主フレームが、歪み限界を超えて「ギギギ……ガガガガッ!」と巨人の骨格が砕けるような恐ろしい重低音を響かせ始めた。
足裏の鉄板が激しく上下に跳ね上がる。泥船本体の巨大な質量と、切り離されようとしている第8区画の慣性が、剪断面で凄まじい摩擦を生み出していた。
「シオン、有線バイパスの圧力を全開にしろ! パージと同時に油圧シリンダーを逆噴射させる!」
「了解だよ、メカニック! 端末の基板が焦げるのが先か、僕たちの脱出が先か、最高のチキンレースだね!」
シオンは青白いモニター光の中でキーボードを狂ったように叩き、過熱したアレイから火花を散らしながら、強制油圧開放の実行プログラムを起動させた。
隔壁の隙間から、実弾の打撃音と警備兵の怒号、そして電子ノイズが激しく交錯する。
ルカは溶けて薄くなった最後のボルトの芯を見つめ、溶断機のスイッチを握りしめた手に渾身の力を込めた。
「繋ぎ目を消すぞ……捕まってろ!」
ルカの叫びとともに、ポータブル・プラズマ溶断機の青白い閃光が主構造ドッキング・マウントの最終切断線へ垂直に叩きつけられた。
ジュワァァァァッ!
極太の青白い炎が、厚さ五十センチの異種金属ボルトの芯を猛烈な勢いで削り落としていく。溶融した橙色の超高温金属が、噴射圧力によって泥飛沫のように飛び散り、ルカの皮製アームカバーと耐熱グローブを真っ黒に焼き焦がした。焦げた革と蒸発したグリスの激しい臭気が、狭い通路へ充満する。
ドッキング・マウントの巨躯が「ガガガ……ギィィィッ!」と悲鳴を上げた。泥船本体の十万トン級の自重と、切り離されようとしている第8区画の慣性が、切断面で狂った応力となってせめぎ合っていた。
「マウント引張応力、九十八パーセント! 限界荷重を突破する!」
首元のアナライザーが、耳を刺すような高ピッチの警告音を一定周期で刻み始める。ルカはアナライザーの赤い数値を凝視したまま、一瞬の手振れもなくプラズマノズルを保持し続けた。
「マニュアル通りの安全な分離手順とやらを拝みたい奴は、今すぐこの十万トンの鉄くずのきしみを素手で押さえてみせろ。……飛ぶぞ!」
ルカは溶断機を切り離しざま、足元に配置した高圧油圧ラインの物理開放レバーを、重量スパナの柄で強引に叩き落とした。
ガツゥン!
管内に溜め込まれていた数千気圧の作動油が一気に逆流し、事前に仕掛けた圧力解放バイパスが連続して爆発的減圧を起こした。
ドガァン! ドガン! ドドォン!
衝撃波が通路の鉄板を激しく突き上げ、耐圧隔壁の向こう側で射撃姿勢をとっていた警備兵たちの悲鳴と、破断した油圧配管から噴き出す作動油の激しい音が交錯する。
「バーバラ、ドアをロックしろ! シオン、有線をパージ!」
「言われなくても仕込み済みだよ!」
バーバラは実弾ピストルの最後の弾丸を通路の天井配管へ叩き込み、噴き出した高圧蒸気で警備兵の視界を遮断すると、重いスチールドアの油圧レバーを全力で引き倒した。ガチャン! と密閉ラッチが噛み合い、鋼鉄のドアが激しい音を立てて密閉される。
「お行儀のいい警備隊のマニュアルに、反逆者の後ろ姿の見送り方でも載ってることを祈るんだね!」
バーバラは悪態をつきながら、滑り込むように脱出区画のハッチへと身を躍らせた。
一方のシオンは、発熱で煙を上げるポータブル端末の側面から、泥船の基幹回線へ繋がっていた太い有線コネクターを荒々しく引き抜いた。バチリと大きなスパナの火花のような青い放電が散り、過熱した基板から焦げついた樹脂の悪臭が立ち上る。
「長年お世話になった巨大な棺桶との離婚手続きさ。あいにく慰謝料は僕たちの生きてる肉体そのものだがね!」
シオンは着崩したジャケットの裾を翻し、コネクターを床へ投げ捨ててハッチへ飛び込んだ。
ルカは最深部の第三ボルトの残存肉厚がコンマ数ミリに達した瞬間を見極め、ポータブル溶断機のトグルスイッチを親指で力任せに切った。
直後、切断面に溜め込まれていた巨額の剪断面応力が一気に解き放たれた。
バシィィィン!
巨大な鞭を打ち鳴らしたような凄まじい物理衝撃音が、船体全体を激しく打ち震わせた。ドッキング・マウントの切削ボルトが弾け飛び、圧着シリンダーが跳ね返る。
密閉が破れ、接合部の隙間から高圧の残留エアと作動油が宇宙空間へ吹き出した。白い氷結晶の噴煙が激しく宙を舞う中、泥船本体と脱出船の巨躯が、物理的にコンマ数ミリ、そして数センチと離れ始めた。
グラリと、天地が逆転するような強烈な慣性Gが、脱出船のブリッジを襲った。
赤い非常警報灯が不規則に明滅する狭いコックピットで、バーバラはパイロットシートへ激しく叩きつけられながらも、両手で狂ったように振動するメイン操縦桿を力任せに抑え込んだ。
ガガガガッ!
「くそっ、切り離しの反動Gがでかい! だが、これで自由の身だ!」
バーバラはシートベルトが肩の肉へ食い込むのに構わず、中央コンソールのメイン推力レバー(スラスター)を床板へ届く勢いでフルスロットルへ蹴り込んだ。
ゴオォォォォン!
オーバーホールしたての補助化学ロケットと過充電されたコンデンサが咆哮を上げ、脱出船の巨躯が強烈な推進力を得て前方に弾け飛んだ。加速度の重みが乗組員三人の胸郭を叩き潰すように押し付け、操縦パネルの操作音と金属フレームのきしみ音が重低音となって鼓膜を震わせる。
汚れたフロントガラスの向こう側で、1000年間自分たちを縛り付け、軋み続けていた泥船第8区画の無骨な影が、ホワイトアウトするスラスターの炎に照らされながら、急速に小さく遠ざかっていくのが見えた。
「泥船の管理回線から悲鳴が殺到しているよ」
シオンは激しいGで座席に半ば固定されながらも、首にかけた大型ヘッドホンを両手で耳に深く押し当て、手元のポータブル端末の画面を凝視していた。キーボードを叩く彼の指先に、過熱したデータアレイからの微細な静電気がピリピリと弾ける。
「『不慮の機器暴走により第8区画の一部が消失』……ハッ、彼らの広報AIは、自分たちの庭から船が一隻盗まれたことすらまともな言葉で表現できないらしい。朗報さ。僕たちはただの『不確定な確率ノードの損失』として書類の隅っこで処分のハンコを押されるのさ」
「能書きは後だ、インテリ坊主!」
バーバラは汗とタバコの匂いを撒き散らしながら、操縦桿を捻って巡航軌道を「不活性ノード」の指し示す暗黒宙域へ固定した。
「追撃の警備船が出張ってくる前に、このガラクタ船を定常巡航速度にのせる! 命が惜しけりゃその汚い座席の手すりを死ぬ気で掴んでな!」
バーバラの野性味あふれる高笑いが、エンジンの重低音に混ざり合ってコックピット内に響き渡る。
ルカはブリッジの壁面手すりに皮製アームカバーの手を固く巻き付け、激しい旋回Gとエンジン振動を全身の骨で直接受け止めていた。
足裏から伝わる不快な共振音が、徐々に一定の周波数へと落ち着いていくのを肌で感じる。主マウントの切断痕から漏れていた油圧の圧力降下も、事前に組み替えた緊急バイパス回路によって正常値へ収束し始めていた。
ルカは空いた手で、物理応力計測アナライザーのデジタル表示を親指で叩いた。
ピッと短い電子音が鳴り、画面に明滅していた「自壊確率100%」のエラー赤波形が消滅する。代わりに現れたのは、完全なフラットを示す一筋の緑色のゼロ点波形だった。
ルカは焦げついた作業着の袖で顔の黒ずんだグリスと汗を拭うと、冷ややかな眼光で汚れた窓の向こうを見つめた。
遠ざかっていく泥船の巨躯は、いまや暗黒の宇宙空間の中にただの点となって溶け込みかけている。その背後には、人類を搾取し続ける経路管理局の光り輝く都市船の艦列が、不気味な虚構の灯火を輝かせていた。
そこには、最初から彼らの生きる場所など用意されていなかった。
「……繋ぎ目は消えた」
ルカは手元のアナライザーを胸元へ仕舞い込み、硬く冷たいハンドレールをもう一度握り直した。
「船はまだ崩れていない。進め、バーバラ。俺たちの手で計算した、暗闇の向こうへ」
泥船という巨大な棺桶から解き放たれたツギハギの船は、噴煙の尾をひきながら、システムの目が届かない漆黒の深淵「不活性ノード」の座標に向けて、力強く飛翔していった。




