第6節 反逆のパージ(前編)
管内に充満する生温かい油臭と焦げた圧着グリスの悪臭が、密閉された保守用バイパス通路の呼吸を重く絞り上げていた。
泥船の中層と最下層を繋ぐ構造点検ブロックは、巨大な油圧配管と剥き出しの耐圧フレームが複雑に絡み合う鋼鉄の喉元だ。頭上二メートルを通る主構造ドッキング・マウントの巨躯が、ジャンプ前の予備加圧によってギィ……と低く擦れ合い、足裏の不揃いな鉄板を微小に震わせ続けていた。
ルカは濡れた鋼鉄の床に両膝をつき、物理応力計測アナライザーのデジタル表示に冷ややかな視線を走らせていた。液晶に明滅する赤い応力波形は、限界荷重を示す閾値を疾くに振り切っている。あらかじめ削り落としたボルトの肉厚が、船体の自重によってキシリと悲鳴を上げていた。
「マウント第三ボルトの引張応力、九十二パーセント。……仕込み通りだ。いつでも吹っ飛ぶ準備はできてる」
ルカは腰の工具帯から高出力のポータブル・プラズマ溶断機を引き抜くと、圧着ホースの接続プラグを有線バイパスポートへ叩き込んだ。カチリと硬い金属音が噛み合い、親指でトグルスイッチを倒す。
バチバチバチッ!
激しいスパーク音とともにノズル先端から極太の青白いプラズマ炎が吹き出し、狭く薄暗い通路を不気味に照らし出した。飛び散る猛烈な火花が皮製アームカバーにバチバチと跳ね返り、焦げついた革特有の臭気を撒き散らす。
「手際よくやってくれよ、メカニック。都市船の第一防壁に流し込んだ僕のダミー・アラームだが、奴らの無能な治安管理AIすら、物理的な電圧降下に気づく程度の知能は持ち合わせていたらしい」
二歩手前の配線ラックに背を預けたシオンは、膝の上のポータブル端末のキーボードを狂ったような速度で叩いていた。カチャカチャ、と乾いた打鍵音が密閉空間に響き、過熱したデータアレイから立ち上るピリついた静電気のオゾン臭が彼の周囲を覆う。
「僕たちの高貴な警備隊諸君が、この薄暗いドブ板へ向けて下水掃除の靴音を響かせ始めている。朗報は、彼らが僕たちの反逆を『不慮の機器暴走』だと信じ込んで、まだお上品な電磁警棒しか手にしていないことさ」
「能書きはいいから指を動かせ、シオン。お前の優雅なハッキングがこのボルトの圧壊を1秒でも遅らせてくれるなら、手元のアナライザーを神棚に祀ってやる」
ルカはプラズマ炎の出力を限界まで引き上げ、主フレームの接合フランジにノズルを突き当てた。ジュワァァァ! と肉厚な鋼鉄が溶け落ちる橙色の泥と火花が吹き荒れ、視界が一瞬で白熱する。
通路の奥、分厚い耐圧隔壁の向こう側から、ドカドカと激しい鉄靴の足音が近づいてきた。ひとつや二つではない。完全武装の下級警備兵部隊の集団走破音だ。
「へっ、お上品な殺虫剤の散布部隊のご到着かい」
耐圧隔壁の太い手動レバーに手をかけていたバーバラが、喉の奥で凶暴に笑った。フライトジャケットの袖を捲り上げた太い腕で、彼女は愛用の旧式実弾ピストルを引き抜き、シリンダーのロックをカチリと起こした。
ガンオイルのツンとした匂いと安タバコの紫煙が、溶接の煙と混ざり合う。
「ルカ、その炙り焼きを何分で終わらせる気だい? あいにくあたしのこの鉄砲には、豚どものお説教を最後まで聞いてやるための猶予(弾薬)は六発分しか入ってないんだよ」
「三分だ。いや、この油圧ラインの圧力を逆噴射に叩き込む時間を入れれば、二百秒で終わらせる」
ルカは焦げついた耐熱グローブの手元を一切ぶらさず、溶融する金属の粘りつく感触をカッターのグリップ越しに全身で受け止めていた。
「お前がその六発を警備兵のシールドに叩き込んでる間に、この泥船のケツを叩き折ってやる。死にたくなけりゃ、ドアの前に足をつっぱねておけ」
ドガン! ドガン!
耐圧隔壁の金属表面が、外側から激しい打撃を受けて歪んだ。警備兵の電磁警棒が放つ青白い火花が隔壁の隙間から漏れ出し、油臭い空気をピリピリと苛立たせる。
「内部の反逆者に告ぐ! ただちに構造点検ブロックの圧着作業を停止し、手動バルブを戻せ! 船体結合部の解除は全艦隊に対する国家反逆行為とみなす!」
防声スピーカー越しに吐き出される無感情な警備隊長の怒号。
「国家反逆、か。言うことがいちいち大袈裟で詩的だな、管理権力の飼い犬どもは」
シオンは吐き捨てるように言い放つと、ポータブル端末の側面ポートから太い有線コネクターを引き抜き、通路壁面の緊急通信バイパスへ力任せに叩き込んだ。カチリとプラスチックが噛み合う。
「なら、僕からは不協和音のプレゼントと行こう。彼らの繊細な無線回線に、下層民の悲鳴と1000年分の排気ノイズを最大ボリュームで流し込んで差し上げるよ」
シオンが実行キー(エンター)を重く叩きつけると同時に、隔壁の向こう側から「ぎゃあああっ!」「耳が、通信機が破裂する!」という警備兵たちの叫び声と、猛烈なハウリング音が壁を透過して響き渡った。
「ナイスなBGMだね、インテリ坊主!」
バーバラが不敵に叫び、耐圧隔壁の油圧ロックレバーを力任せに引き倒した。
ガチャン! と硬いラッチが外れ、わずかに隙間の開いた重いスチールドアへ向けて、バーバラは腰を落とした姿勢から実弾ピストルの銃口を迷いなく突き入れた。
ズドォン! ズドォン!
狭いキャットウォークを破砕する猛烈な砲声が爆発した。硝煙のツンとした匂いが通路へ一気に吹き出す。
九ミリ実弾の物理的な運動エネルギーが、先頭の警備兵が構えていた強化防犯シールドを真っ正面から打ち砕いた。割れたアクリル装甲と金属片が弾け飛び、悲鳴を上げた警備兵が後ろの部隊ごと折り重なって転倒する。
「命が惜しけりゃその汚い板切れの裏に祈りながら掴まってな! あいにくあたしの操縦席には、安全基準の神様も警備隊のマニュアルも乗っちゃいないんだよ!」
バーバラは実弾銃のシリンダーを指先で一瞬で一回転させ、手応えを確かめるように手首を捻った。チャカカカ、と金属が噛み合う不吉な旋律。
後続の警備兵がショックガンのトリガーを引き、狭い隙間から青白いプラズマ放電を掃射してくる。バチチチッ! と激しい電流が壁面を焼き、バーバラのフライトジャケットの裾を焦がしたが、彼女は不敵な笑みを浮かべたまま一歩も引かず、倒れた警備兵の足元へ容赦なく次の実弾を撃ち込んだ。
「ルカ!船がバラバラになるのが先か、あたしの弾が切れるのが先か、賭けてみるかい!」
「賭けにはならん。勝者は俺たちだ」
背後で、ルカの声が冷たく響いた。




