閑話 白雪椿の日常
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
本日は閑話という事で
急に居なくなったお姉ちゃんと妹の椿ちゃんの話です。
尚、本編は木曜から掲載です。
どうぞお楽しみください
東京、江戸川橋。子育て地蔵を東に曲がった先、昭和のタイル張りがレトロな風情を醸し出す細い路地に、我が家はある。
白い暖簾が風に揺れる『東京銘菓・白雪本舗』。明治十二年創業、何の変哲もない街の老舗和菓子屋だ。
――最近まではそうだった。……もう、細かく言う気もない。
昨日の夜から湊お姉ちゃんがぷいっと姿を消した。
お姉ちゃんの家庭教師がやっぱり気が重くって、池袋の本屋さんで時間をつぶして帰ったせいかな。
心配になって、お母さんに昨日の様子を聞いてみた。
「忙しそうにしていたから、どうせ新宿の『研修』に行ったんじゃない? この間、外のマンションに部屋を借りるって。自腹で借りるからって言ってたから、了解はしたけどね。勝手気ままだけれど、悪い事に巻き込まれるような子じゃないし。家庭教師さぼった事、帰ってきたら、お姉ちゃんに謝りなさいよ」
お母さんは、気にしていない様子で笑いながら言っていた。
……変な事には巻き込まれていないだろう。それは私もそう思う。
そういうことに対して湊お姉ちゃんの嗅覚はものすごい。逃げ足だってめちゃくちゃ早い。
いや、逃げてるとこなんか見た事ないけど。
あと我が母よ、ずっと実家住まいだから分かっていないようだけど、新宿で部屋を借りるならワンルームでも十万円以上は余裕でかかるよ! 湊お姉ちゃんから逃げたくて、このあたりの家賃は調査済みだ。普通の高校生がホイホイ払える額じゃないよ。
あいかわらずお姉ちゃんは訳が分からない。
結局、お父さんも、お母さんも、富士夫兄ちゃんもお義姉ちゃんも、皆が湊お姉ちゃんには甘いのだ。高校生で新宿に部屋を借りるなんて普通の家庭は許さないだろう。
何なんだろうか、あの姉の信頼感は?
義務教育に毛が生えたような年齢なのに、普通のサラリーマンだって悩むであろう家賃をポンと払えるなんてどうにかしてる。多分、家を出て、一人で暮らせるんだろうな。
なんだかんだで、私は湊お姉ちゃんの自由さが羨ましいのだ。
「帰ってきたらお姉ちゃんに謝ろう。家庭教師すっぽかしてゴメンって」
モニャモニャした気持ちを抱えたまま、私はストンと眠りこけていた。
翌日の午後。全く見慣れないお客さんがやってきた。
甲高い音を立てながら、床の低いペタッとした真っ赤な高級車が止まった。フェラーリってやつだ。
一階の店舗スペースにやって来たのは、高級そうなスーツをびしっと着こなした長身の男と、どこか冷たそうな眼をしたショートカットの美人だ。
常連の大使館の人たちや黒服の人たちとも違う雰囲気。
店番をしていたお父さんとお母さんが、ただならぬ気配を察してピタリと動きを止める。
私は三階の喫茶ブースへ続く階段の踊り場から、その様子を見つめていた。
「いらっしゃい……ませ」
お母さんの声に、長身の男性は帽子を軽く持ち上げて、実に丁寧な物腰で頭を下げた。
「突然の訪問、失礼します。私、神庫重工の者で松河と申します。……こちらは公安の神崎です」
松河という人は穏やかな、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべると、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。神崎という女の人は、そんな松河さんを見ながら何だか笑いをこらえているような変な顔だった。
「実は……ご息女であられる湊さんについて、大切なお話がございます」
「うちの湊が……どうかなさいましたか」
「はい。現在、イタリアで開催される国際見本市の日本ブースにおいて、弊社・神庫重工の最先端技術を用いた商品の特別監修と広告宣伝を、ぜひ湊さんに依頼したいという話になりまして……。急遽ではございますが、本日から約一ヶ月ほど、彼女には海外へと赴いていただくことになりました」
――湊お姉ちゃん、いったい何やってるんだよ!
海外出張? 商品監修? 広告宣伝? 普通じゃないのは分かってるけど、高校生のお姉ちゃんに神庫重工なんて大きな会社が何を依頼する事なんてあるの。しかも偉い人が直接家に尋ねて来るなんて!
私の胸がざわついたその時、松河さんの隣に立っていた神崎さんがスッと割って入った。
「ご両親がた、ご安心ください。この見本市の出店には政府の各機関も深く関与しております。守秘義務等もありますので外部連絡が容易に出来る状況ではありません。現在、御息女にはイタリアに向かってもらっております。ご両親には事後報告となり大変恐縮ですが、失踪や誘拐の類いではございませんのでご安心ください」
神崎さんはまっすぐに両親の目を見て、はっきりと告げた。
「彼女の卓越した知見と能力が、国家のプロジェクトに必要不可欠であるための公式な派遣です。身の安全についても、最高レベルの警護を保証いたします。……どうか、安心してください」
お父さんとお母さんは、神妙な顔つきで顔を見合わせ、やがて頷いた。
我が家の「最優秀の長女」が、国の仕事で大抜擢された――下町の和菓子職人の二人からすればとんでもなく誇らしいことに違いない。
「……そうか。何かやる子とは思っていたけど、そんな大役を任されるようになったか」
「……神崎さん、松河さん、湊には体に気をつけて、しっかりやってこいって伝えてください」
お父さんとお母さんのその言葉を聞きながら、私は踊り場の陰で沢山のクエスチョンに囲まれていた。
湊お姉ちゃんが普通じゃないのは認めるけど、『国家プロジェクト』っていったい何をやってるのかなあ?
◇◇◇
「お掛けください。狭い店ですが、お茶を淹れますので」
お母さんが緊張した面持ちで、二階を通り越し、三階の喫茶ブースへと松河さんと神崎さんを案内した。
私も、こっそりとその後に続いた。
三階の四人掛けテーブル席は、いつもなら湊お姉ちゃんが正面に座って私に勉強を叩き込む忌々しい地獄である。
そこに松河さんと玲奈さんが上品に腰掛け、お母さんが淹れたお茶を受け取った。
私は少し離れた席にぽつんと座り、二人の顔をじっと睨みつけるように見つめた。
すると、神崎さんがふと私に気づき、柔らかく微笑んだ。
「……あなたが、妹の椿ちゃんね」
「……はい」
「お姉さんは、本当に優秀で、時々周囲をハラハラさせますが……間違いなく、ご家族を大切に思っていましたよ」
その言葉に、私は胸の奥がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。
お姉ちゃんがいない。
あの鬱陶しいまでの説教も、私のテストの点数にため息をつく姿も、どこにもなかった。
それは、私の理想の生活そのものだったはずなのに……
「一ヶ月も、お姉ちゃんがいないなんて……」
ポツリと漏らした私の声に、松河さんは困ったような、優しい目を向けて言った。
「椿ちゃん、お姉さんのことが心配なのね。でも大丈夫よ!あの子ならイタリアでもすぐに自分のペースをつかんで、周囲を振り回すくらいに元気でやってるわよ。……なにせ、あの世界の『IINCHOU』ですからね~」
両親への説明の時とまるで違う松河さんのオネエ口調に、私がビックリしていたら、神崎さんは松河さんを見ながら軽くため息をついていた。
――お姉ちゃん早く帰ってきなよ。
心の中でそう呟きながら、私は冷めかけたお茶をそっと口に含んだ。静かすぎる三階の喫茶スペースには、柱時計の音だけがチクタクと響いていた。
帰りがけ、先に下に降りた松河さんが両親に挨拶をしている間、神崎さんがそっと私に名刺を手渡してきた。
「椿ちゃん、もしお姉さん宛てに知らない人が尋ねてきたら、ここに連絡して頂戴。言ったとおり、お姉さんの身の安全を守る必要があるの。些細な事でも大丈夫よ。電話が恥ずかしいなら、ここにメアドが書いてあるから」
警察の人がお姉ちゃんを……ほんとに何やってるんだろ?
って思い返していたら、ついこの間の九頭竜官房長官に言われた不思議な話を思い出した。
「……うん、何か気になる事でもあった?」
「内閣何とか長官の九頭竜っていう偉い人が、うちの店に表彰状を持ってきたときに、お手柔らかにってお姉ちゃんに伝えてくれって言われました」
目ざとく気付いた神崎さんに、思わず言ってしまったのだ。すると神崎さんはガリガリ頭をかきながら、「あのクソヤロウ」とつぶやいた。
「ありがとう椿ちゃん。後でしっかりと注意しておくから気にしなくていいからね」
えっ? あの九頭竜って人は、大臣より下の役人さんでは一番偉い人だって、表彰された後で富士夫兄ちゃんが騒いでいた。その人に注意するって……警察の人だからできるのかなあ?
あーっもう、お姉ちゃんにかかわると訳が分かんないよ。
二人はそのまま、赤い車をカーンって言わせてものすごい勢いで去っていった。
お母さんが都立高校に欠席の連絡を入れると、既に神崎さんから連絡と説明があったようだ。担任の先生曰く、ナナオさんとお姉ちゃんでやってる活動が認められてのことらしい。
学校では、帰国次第表彰の予定って。お母さんが喜んでいた。
ナナオさんも居ないんだ。神楽坂のコンテナにも遊びに行けないなあ。うーん、つまらぬぞ!……お姉ちゃんの不在よりも正直ショックだったのは内緒だ。
◇◇◇
そんなこんなで半月ほど経ったある日……
我が家の喫茶コーナーはお姉ちゃんの研修仲間のモデルさんたちがやって来ていた。
タブレット片手に美人の多国籍軍団が、キャーキャー言いながらお茶と白雪最中を楽しんでいる。最近は私もこの騒ぎに巻き込まれることが多い。
どうやら彼女たちの話相手として両親もお兄ちゃんも私を差し出したのだ。
彼女たちが来る日は、待っていましたと言わんばかりに、近所の男子大学生たちがやって来る。売り上げも驚く位になるって両親が喜んだ結果の采配だ。
おかげで私はモデルさんたちに囲まれて「可愛い可愛い」言われながら、小さく小さくなっている。決して嫌というわけでは無い。正直、湊お姉ちゃんより優しいんだもん。
そんな中、タブレット片手のベルゲさんが大きな声を上げた。
ベルゲさんは金髪をアップにしていてソバカスがある美人さんだ。ボンキュッボンで手足も長いし、すごく甘やかしてくれる。私の真のお姉ちゃんである。
「みんな、ミナトから連絡あったよ!動画サイトでライブ中継やるから、女子寮の公式サイトから招待リンクを送ってくれって」
タブレットを包囲する美女軍団の中で小さくなりながらもその様子を見ていると、お姉ちゃんが一瞬映った。
でも、次に映ったのは、錆びた灯台の近くで両手に剣を持った海外の俳優さんと黒髪ツインテールの女の子がとんでもないスピードで格闘しているショートムービーだった。
リズミカルに響く打撃音が心地いい、浮き立つようなアクションの連続だ。何と同接十万人越え……。
漫画描きである私は、クリエイターであることを秘かに誇りに思っているし、この分野ならお姉ちゃんには負けないだろうと自負していた。
でもこのショートムービーは……すごい! すごすぎるよ。
クソ、お姉ちゃんはどこまで私の壁になるつもりなのだ。
創作の分野でも私に立ちはだかろうというのか……。負けない! 次の冬コミには、あの渾身の異世界ファンタジーを全力で間に合わせてやる!
……って秘かに闘志を燃えている私だけど、
本当に湊お姉ちゃん……ナナオさんと一体何やってるんだろう?
帰ってきたら聞いてみようって、初めて前向きにお姉ちゃんと話そうって思えたんだ。
いつもご愛読いただいありがとうございます。
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