一緒に
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
本日は互いに思いをぶつけあう両陣営の話です。
どうぞお楽しみください。
……どうして頭の良い人たちは、そんなに大きな話ばかりをするんだろうな。
ぽつりと漏らしたナナオのその言葉は、数百年分の絶望と罪悪感、人類の暗い歴史が染みついた静寂の中に、どこか浮いたように響いた。
ライプニッツやアイザック、リチャードが、不思議そうな目でこちらをじっと見つめてくる。
ナナオは、頭を軽く掻きながら、目の前の偉大な英雄たちを見上げた。
「人間が勝手に喧嘩して、変なものを作って自滅しかけてるのは本当だと思う。……でもさ、それを全部、自分たちが遺した数式とか勉強のせいだけにするのは、なんか違うんじゃないかな」
「……なんだと?」
「人間なんてさ、そんな難しい計算がなくても、大昔から石ころで殴り合ったり、勝手に火傷したりしてきた生き物だよ。あなたたちの計算が無くったって、きっと自分たちの力だけでも代わりのモノを生み出してきたんじゃないかな」
ナナオは、飾り気のない言葉をぽつぽつと吐き出している。
隣で白雪が目を見張り、アリスが小さく息を呑んで僕の背中を見つめた。
「世界の歴史とか、何千万人もの命とか、そんな途方もないことまで自分たちで背負えるなんて思っちゃうから、考えが変な方向に進んじゃうんだよ。自分たちのせいで世界を駄目にしちゃったって思い込むことで、全部を自分たちの手で綺麗に管理して片付けたいだけなんじゃないの?
それって人間を救いたいっていうより、ただの……うーん、なんだろう、自分が背負った罪悪感から逃れたいだけみたいに見えるよ」
「我々が、罪悪感から逃避していると……?」
ライプニッツの瞳に、静かな怒りとは違う、凍りつくような冷たさが宿る。
それでも僕は逃げずに、彼らの後ろで横たわるルクレツィアのほうをそっと見た。
「ルクレツィアさんは、あなたたちのお願いを聞いて、その重い荷物をずっと一人で背負ってきたんでしょ。泥を被って、怖い魔女のふりをしてさ。……自分の子供たちにも本当のことが言えなくて、ひとりで全部抱え込むしかなかったんだよね。それは、確かにすごいことかもしれないけどさ」
僕はもう一度、目の前の彼らを真っ直ぐに見据えた。
「だけどさ、だからってそんなの、『みんなで決める未来』を取り上げていい理由にはならないよ。ルクレツィアさんにもあなたたちにも、そんな権利はないはずだよ」
「……それとさ、『地上の楽園』とか『予定調和』だってそうだよ。誰かがさっき、白雪さんに言ったんだ。『異教徒なのが惜しい』って。……それってきっと、異教徒はあなたたちが作る『地上の楽園』に入れないからだよね」
暗黒の空間に、ナナオの純朴な質問が続く。
「それだってみんながさっきから嫌ってた、自分たちだけが正しいっていう国家イデオロギーとか、人間を切り捨てる分断と同じじゃないか。悲劇をなくすって言って、自分たちと違う人を弾くなら……それって結局、いままでと何も変わらないよ」
「異教徒は入れない、か……」
リチャードが、自嘲気味に乾いた笑いを漏らした。その声には、怒りよりもむしろ、果てしない疲労の色が滲んでいる。
彼らが築こうとした『地上の楽園』は、血塗られた十字軍の反省から生まれたものだった。誰もが傷つかず、争わない世界。そのために不条理をすべて排除システムで覆い隠そうとした。だが、それは結局のところ、自分たちが嫌悪したはずの「排除と選別」の歴史を、形を変えて繰り返しているだけではないのか。
「……君の言う通りだ、若者」
アイザックが静かに目を伏せる。その双眸には、自らが解き明かした宇宙の法則のように冷徹な理性と、それを呪う人間としての温もりがせめぎ合っていた。
「我々は、ただ怯えていたのだよ。人間が自らの手で、再び世界を焼き尽くす光景を見ることに。私たちが遺した数式が、誰かを救うのではなく、誰かを殺すための火種になる恐怖に耐えられなかった。だから、すべてを管理し、正解のレールを敷くことでしか、未来を守る方法を見出せなかった」
それは言い訳だったのか、それとも仕方のない選択だったのか。
彼らの胸にあるのは、単純な傲慢さではない。あまりにも大きな力(知性)を持ってしまったがゆえに、身動きが取れなくなった者たちの、数百年越しの身悶えるような悲しみだ。
神の代行者であるはずの少年は、自分たちが捨て去った「生身の希望」をその目に宿し、まっすぐにこちらを見つめている。
――もしも、自分たちがもう少しだけ人間を信じていれば。
――もしも、あの時、すべてを背負い込まずに誰かと手を取り合えていれば。
取り返しのつかない過去と、目の前にある若き可能性の対比に、知性の極限に達した天才たちは、ただ深い、深い沈黙をもって立ち尽くすほかになかった。
「……ならば、代行者である君に聞こう」
静まり返った暗黒の空間に、ライプニッツの枯れた、しかしどこか縋るような声が響いた。
彼は顔を上げ、神の代行者と呼ぶ少年を真っ直ぐに見据える。その双眸には、傲慢の色など微塵もなく、ただ出口のない迷宮に囚われた一人の学者の、切実な問いの色が浮かんでいた。
「僕らはどうすればよかったというのかね? ……自らの知恵が人類を滅ぼしかける未来を予見しながら、それをただ黙って見過ごすことが、神の慈悲だと言うのか」
アイザックが、痛ましげに自身のこめかみを押さえる。
「我々の抱えてきた悲しみも、過ちを恐れて身動きが取れなくなったこの怒りも、すべて……数千万の命を奪った歴史の重みの前では、ただの我が儘だと言うのか。神の前では、いや、この果てしない人類の歴史の前では、我々が流した血も涙も、すべて意味のない徒労だとでも言うのか……!」
知性の極限に達した者たちが、歴史の荒波にもまれ、自らの善意の果てに自壊していった者たちが、今やただ一人の少年に対して「救い」を求めている。
それは恐怖による屈服でもなければ、論破への反発でもない。自分たちにはもう、どうすることもできなかった「正解」を、生身の明日を生きる者に問うしかないという、あまりにも痛切な告白だった。
張り詰めた沈黙が、一行を包み込む。
白雪が息を呑み、アリスがギュッと胸の前で手を握りしめた。フランチェスカやコラスたちもナナオの答えを待っている。
数百年分の絶望と、果てしない歴史の業を一身に背負った英雄たちの問いかけ。
彼らの切実な叫びが、各々の心に染み込んでいく。
あまりにも重く、あまりにも途方もない苦悩を突きつけられて、その場にいた誰もが息を詰まらせた。
けれど、ナナオは怯まなかった。
少しだけ困ったように眉を下げると、まっすぐに英雄たちを見返した。
「そんなのさ……僕にだって、分かるわけないよ」
ぽつりと、飾らない声が落ちる。
「世界の歴史がどうとか、数千万人の命の重さとか、どれだけ悩んでそれを選んだのかも、僕には全部なんて分からないよ」
ただ、とナナオは続ける。
その瞳には、疑いようのない真っ直ぐな光が宿っていた。
「分かんなくてもさ。……一緒にいればいいんじゃないかな」
「……一緒に、だと?」
ライプニッツが息を呑んだように聞き返す。
「そうだよ。綺麗事かもしれないけどさ。意見が合わなくたって、分かり合えなくたって、間違えてばっかりでもさ、隣に誰かがいて、お互いに『なんだよ馬鹿野郎』って言い合いながら、それでも一緒にご飯食べて、明日を生きればいいじゃない」
ナナオはちらりと、自分の後ろにいる白雪やアリス、フランチェスカやコラスたち、そして倒れているルクレツィアたちを一瞥した。
「あなたたちは、全部ひとりで背負い込みすぎたんだよ。正解を出さなきゃいけないって、間違っちゃいけないって、自分たちだけで世界を何とかしようとしすぎたんだ。……だからそんなに苦しかったんでしょ」
それは、知性を極めた者たちからすれば、あまりにも幼く、あまりにも泥臭い答えかもしれない。
けれど、その言葉は、数百年もの間「万人を救う絶対的システム」に縛られ続けてきた天才たちの心を、まるで殻を打ち破るように強く揺사ぶった。
「分かり合えなくても、隣にいていい。……そんなことで、この壊れかけた世界が救えると言うのかね」
震える声で問うアイザックに、ナナオはカラッと笑ってみせた。
「救えるかどうかは分からないよ。でもさ、一人で全部抱えて冷たい闇の中にいるよりは、絶対にマシだと思うな」
……反論もなく静まり返った闇の中で、不意にハツラツとした声が響いた。
「横からでごめんね、五味くん。先輩方も私たちも思いがあるならぶつけ合うのよ。全身全霊でね。国を超えて、イデオロギーを超えて、信じる神様だって超えて――殺し合いではなく」
白雪が前へと進み出ると、その双眸に強い光を宿し、偉大な英雄たちをまっすぐに見据えた。
「そんな都合の良い方法があるのか、若き英雄よ」
「獅子心王」と呼ばれたリチャードが、かつて数多の戦場を駆け抜けた歴戦の勇士としての眼光を向けながら問う。戦いを知る者だからこそ、言葉を尽くさず、血を流さずにどうやって激しい執念と理想をぶつけ合えばいいのかという疑問が、その声にはあった。
だが、白雪は怯むどころか、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「あるわ。――ここはギリシャでしょ。なら、オリンピックよ。スポーツよ。運動会よ!」
「……運動会、だと?」
知と武の極限を極めた天才たちが、人生で一度も聞いたことのないような異質な日本語に、一斉に目を丸くする。
「そう、運動会! 私に任せてほしいわ。なにせ私、世界で一番、運動会を開いてるんだから!」
白雪のそのあまりにも唐突で、迷いもない晴れやかな宣言に、張り詰めていた重苦しい空気がブシューッと間抜けな音を立てて抜けていった。
「――ぶっ……!」
ナナオが思わず吹き出し、アリスが呆れたように額に手を当てる。
だが、その突拍子もない提案の裏にある「戦わずして全力をぶつけ合う」という本質に気づき、ライプニッツやアイザック、そしてリチャードの顔に、言葉を失ったような驚愕と、そしてどこか微かな「救い」に似た苦笑が浮かんでいくのだった。
英雄たちの顔に浮かんでいた苦笑は、やがて晴れやかで吹っ切れたような明るい笑い声へと変わっていった。
「――ははは! なるほど、運動会か!」
ライプニッツが声を上げて笑う。その瞳から、先ほどまでの底知れぬ絶望の影が嘘のように消え去っていた。
「ならば僕らは、相当強いぞ。代行者よ、五味ナナオよ。いかに君が音速を超えようと、神の力の一端を見せようと、僕らには不壊の奥の手がある」
リチャードが胸を張り、アイザックが不敵な笑みを浮かべる。さらにライプニッツは天を仰ぎ、声を張り上げた。
「あれをやるのに、今この場所ほどふさわしい舞台はない。ああ! これは運命だ。五味ナナオ、そして若者たちよ。僕らの思いの全てを受け止めることが出来るかな! 全霊と言ったな。ならばこそ、行くぞ、アイザック、ケプラー、デカルト先生。僕らの思いの化身を呼び出すぞ――!」
その瞬間、世界が再び激しく揺らぎ――。
暗闇の空間が引き裂かれ、景色が一気に鮮烈な光を取り戻す。
そこは元の、午後の太陽が降り注ぐマンダラキ港の埠頭だった。
だが、穏やかだったはずのエーゲ海の水面が、突如として盛り上がり、大爆発を起こしたかのように泡立ち始める。
「なっ……なんなのよ、あれ……!?」
アリスが絶句し、白雪が目をみはる。
海中から現れたのは、途方もない質量を持った「巨大な手」だった。
続いて、海水をごうごうと滝のように零しながら、たくましい肩が、大地のような巨体が、そして鉄と青銅で形作られた冷厳な「顔」が、次々と水面から這い上がってくる。
波を蹴立て、海を割り、エーゲ海の水平線を圧倒するほどの高さでそそり立つその姿は、あまりにも巨大な、神話の具現そのものだった。
かつての人々は、畏敬と賛嘆を込めてこう呼んだ。
――世界の七不思議、「ロドスの巨像」と。
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