罪と罰
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
本日はナナオと過去の英雄たちの対話です。
少々内容重めですが、どうぞお楽しみください。
午後の太陽降り注ぐロドス島の埠頭。
そこに居たはずのナナオと白雪、フランチェスカやコラス、アリスたち一行は、まるで世界の電源が唐突に切られたような、絶対的な暗黒の空間に放り出された感覚に陥った。
光も音も、海風の匂いすらも消失した、座標のない闇。
だが、その虚空にあって、気絶したルクレツィアを背後に庇う山高帽たちの姿だけは、ますますその異様な存在感を深めていた。
アイザック、リチャード、そしてライプニッツと名乗る男たちが、一行の正面に立ち塞がる。
当初は老人の様に思えた彼らであったが、外見上の老いなどは感じさせない存在へと変貌していた。
「ねえ若者。神の代行者であろう君に聞いてほしい事がある。これは僕らの懺悔だ。人類すべてを悲劇に陥れてしまった僕たちの懺悔を聞いてくれ」
ライプニッツを名乗る思想家は、ナナオのまっすぐな瞳を見つめながら、静かに、そして痛切な響きを帯びた声で語り出した。
「……僕たち学者や思想家はね、より良い明日が訪れることを信じて、神の御業を解き明かそうとしたんだ。世界とは何か、人間の善性とは何か。そのすべてを美しき数式や書物という『知恵の実』にして、未来の君たちに残したつもりだった」
闇の中に、彼の声だけが響き渡る。
「だが、どうだ。甘美な知恵の実をかじった未来の人類は、自分たちの目に見えて分かりやすい「認知と理性の追及」のみを学問とし、自意識だけを過剰に発達させた。神を敬い恐れることを忘れ、科学万能を謳歌した彼らは、僕らが残した善意なんてあっさりと捨て去り、都合のいい『実利』だけを切り取ってしゃぶり尽くしたのだよ……」
ライプニッツの顔に、底知れぬ自責と絶望の影が落ちる。
逡巡のためか、それとも後悔からか、言葉を続けられなくなり俯いたライプニッツの肩にそっと触れたアイザックは、彼の言葉を引き継いだ。
「その結果がどうなったか……。産業革命と呼ばれる技術革新が進み、空気中の窒素から肥料が生み出されると飢えは遠いものとなった。飢えなくなった彼らは、その肥料を火薬へと作り変えた。そして領土の拡大に走り、『我々だけが貴い』という国家イデオロギーを強めて、分断をさらに決定的なものとした。
私が生み出した力学は、多くの兵器の弾道を計算し、爆発の熱量を予測した。好敵手ライプニッツと私が生み出した『世界の変化を記述する計算式』は、ますます活用されたよ。
その最果てにあったのは、二度の大戦で数千万の民を殺し、一瞬にして万の人々を光の中に蒸発させる『疑似太陽』まで生み出した人間のエゴだ。我らの善意などは、もはや何処にも無いんだよ……」
アイザックは悲痛な表情を浮かべ、ライプニッツの背を叩く。弱々しく笑いながら、ライプニッツは言葉を続けた。
「僕の考えた計算機は、巡り巡って人間の果てしない欲望を肥大化させるための電子頭脳へと成り下がった。……僕らの知性が、人類を破滅へ導く最悪の引き金になってしまったんだ」
その凄惨な歴史の業に、白雪は彼らをまっすぐ見つめ、アリスは苦しげに目を伏せる。
だが、ライプニッツの懺悔はそこで終わらなかった。
「僕らの何人かは、自分の残したものが利用されるたびに観測され、静かに自意識を取り戻していったよ。僕とアイザック、デカルト先生は産業革命って呼ばれる前には既にね。兵器がより複雑になると少し遅れて、ケプラーもやって来た」
自嘲するように、彼は肩を揺らした。
「僕らは死にながら生きているんだ。僕らの善意を捨てて、実利だけを受け取った未来の人類が、世界を焼き尽くしていく様を、ただ情報体として見つめながら……。
きっと、これは罰なんだ。善意を上手く残せなかった、肝心なところを神様にお任せしてしまった、僕らの怠慢という罪に対してだよ」
絞り出すようなその声は、知性を極めた天才たちがたどり着いた、永遠の無間地獄の告白だった。
「だからこそ、僕たちは誓ったのさ。のちの世の惨状を憂う同志を顕現させるため、既に目覚めていたゴドフロワやリチャードの騎士団の英雄を通じ、その子孫たちへ天啓を与えた。そして、僕やデカルト先生、アイザックたち学者陣で金融工学を駆使し、莫大な財を集めてSPCを作り上げた。人間を傲慢な自意識から解放し、すべての悲劇を未然に防ぐ『地上の楽園』を実現するために」
隣に立つアイザックが静かに目を閉じ、リチャードもまた重々しく頷きながら答えた。
「そして、我らの声が聞こえる資質を持った男女を掛け合わせ、我々が再び地上へ顕現するための観測者を生み出した。四〇〇年かけてたどり着いた究極の観測者……それが、この子、ルクレツィアだ」
ライプニッツは、自らの血肉とも言える小さな魔女を振り返り、再びナナオへと視線を戻した。
「神の存在を証明するための僕らの術は、自らを神に取って代わらんとするまでに人類のエゴを肥大化させてしまったんだ。……そんな人類を……ねえ、代行者の君なら分かるだろう?……なぜこの世界に、僕らの『予定調和』が必要なのかを」
ライプニッツの言葉が暗黒の空間に重く響き渡り、沈黙が落ちた直後――。
「嘘……」
震える声が、静寂を破った。
見れば、フランチェスカがその場に膝をつき、信じられないものを見るように、山高帽たちの背後に倒れ伏すルクレツィアを見つめていた。
「母上は……そんなこと、私にも……コラスたちにも、一切話してくださらなかった。ただ、『SPC一〇〇〇年の悲願は、私の悲願だ』と……それだけを……」
フランチェスカの顔が、絶望と後悔に歪む。
「これほどの過去からの業を……人類すべての罪と絶望を、たった一人で……一身に引き受けていたなんて……っ!」
彼女の言葉は、ルクレツィアが背負っていた十字架の重さを、そこにいる全員に知らしめた。
自分たち娘を道具のように扱いながらも、その実、最も残酷な歴史の業には一切触れさせず、自分ひとりで『魔女』として泥を被っていたのだ。
そのフランチェスカの声を聞き、コラスたちが唇を噛み締め、アリスの瞳が大きく揺らぐ。
アリスにとってルクレツィアは、行動の賛否はあれども冷徹な予定調和の象徴だった。だが、そのルクレツィア自身が、最も不器用な「誰かを救うための自己犠牲」を払っていたのだと気づいてしまったからだ。
舌戦を繰り広げた白雪さえも、わが身を捨てて世界を背負うルクレツィアの献身に衝撃を受けた。
――そして、その重い感傷の空気の中心で、ナナオは思ったことを、ぽつりと吐き出した。
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火、木、金曜 18時の週3回投稿になります。火木金曜はナナオの日 お忘れなく。
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