バタフライエフェクト 下
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
本日はナナオ、白雪奪還連合軍の熱戦の話と
新宿での人助けが運んだ奇跡の話です。
どうぞお楽しみください。
燃え盛る紅海洋上の炎、爆発の中心にいるのは新庫重工が誇る超高速海上ステルス揚陸艇。漆黒の船殻に波しぶきを蹴立てながら疾走する。
その周囲にはいまだに戦意を衰えさせていない海賊たちが十重二十重と絡みつく。
貧しい海賊たちにとって、未知なる最新兵器と法外にも余りある身代金が取れる人質は、よだれが出るほどのお宝なのだ。
何隻の仲間たちを沈められようが、飢えた海賊たちにはあまりに過ぎた宝船だ。
人生をかけるチャンスだと皆が思った。
同じころ、スエズ運河庁(SCA)長官室の窓の外では、赤海の太陽が沈みかけていた。
部屋の隅に置かれたモニター画面には、世界中の映像がリアルタイムで流れている。
その中には、激闘のさなかに居る、一行を乗せた海上ステルス揚陸艇の姿が映し出されていた。
エジプト海軍の元中将であり、現在は世界最大の経済運河の統括者として君臨するラビーウは、重厚な革張りの椅子に深く身を沈め、乾いたため息をついてモニターの揚陸艇を見つめていた。
(……また、あの件の問い合わせか)
エジプト大使館を経由した日本からの圧力やSPCの代理人を名乗る者、はたまた周辺国の軍事組織から、今日だけで何度目になる圧力電話だったことか。
「武装した特殊揚陸艇が、検問を無視して運河へ向かっている」「直ちに拿捕しろ」と、彼らは権力と金と武力を傘に来て、エジプト政府とスエズ運河庁に圧力をかけてきた。
だが、ラビーウの心はすでに、そうした政治の駆け引きの遥か彼方へと飛んでいた。
「娘が新宿の地下に生きている」という真実を知ったのは、数カ月前のことだった――。
執務室の片隅で、若い部下が私用の通信タブレットをいじりながら、小さな笑い声を漏らしているのを聞き咎めた。
「おい、勤務中に私用動画とはいい度胸だな」
叱りつけるつもりで背後へ回ったラビーウに、慌てて飛び起きた部下が青い顔で頭を下げた。
「ま、申し訳ありません長官! いや、その……今日の配信に、エジプト出身の女の子が出ていると聞いて……つい……」
部下が慌てて消そうとした画面を、ラビーウの老いた目が捉えた。
そして、その瞬間に彼の時間は凍りついた。
――見間違えるはずがない。
画面の向こうで、見知らぬ大都会の日常を明るく案内している美しい少女。
それは、かつて若き日の妻の面影をそのまま宿した、自分の血を分けた娘――ファラだった。
かつて、エジプトが国家の威信をかけてドイツのメッサーシュミットの技術を導入し、極秘裏に立ち上げた強化人間プロジェクト――『ヘルワン・HA300計画』。
その厳重な秘匿性と軍の威信を守るため、士官であった自分の娘が適正者として選ばれ、軍に差し出された。
「ヘルワンHA300-X」というコードネームを与えられた彼女は、エジプト軍人として初めて音速の壁を越えた。だが、その栄光の裏で、彼女は二度と帰らぬ人となったのだ。
「量産研究の過程で分解され、そのまま行方不明になった」
上層部から告げられた不可解な通告。必死になった彼は、あらゆるツテを使って娘を探し求めたが、返ってきたのは「他国への技術流出に伴う処分」という噂だけだった。
目の前が暗くなり、胸にあった国家や空軍への信頼にぽっかりと穴が開いた。
……本当は、分かっていた。この国では、国家の都合で人が消えることなど日常茶飯事なのだと。
だからこそ、彼は空軍への涙の抗議のあと、一切の言葉を飲み込んだ。それが、生き残った軍人としての最後の矜持だった。
その罪滅ぼしのように、彼は空軍から海軍へと転籍し、汚れ仕事も権力の階段も這い上がるように駆け上がって、このスエズ運河の頂点まで登り詰めた。だが、胸の奥底の穴が埋まることは一度たりともなかった。
――娘は、生きていたのか。しかも、遠い日本――東京の、新宿という街の地下で。
画面の中のファラは、どこか遠い目をしながら、静かに過去を語っていた。
「……多分、分解されて運ばれてきたんだろうって。ベルゲっていう足の無い女の子が組み立てなおしてくれて、それで起きた時には片手の部品が無かったの。多分、重要なパーツだけ抜き取られて捨てられたんだって」
「数年間は片手で何とか仲間たちと支え合って生きてだけど、だんだんと体中がボロボロになって来て……本当は、わかってたの。だってメンテナンスも出来ていないんだもん。
あー、このまま死んでいくのかなあと思っていた矢先、変わった女の子と男の子が租界地区の地下に来たの」
「棄てられた私たちを守るために、男の子はマンハントって呼ばれてる軍事企業の下請けの乱暴者をやっつけてくれた。ここに来てから、仲間以外に助けられたことがなかったからびっくりしたし、嬉しかった……」
娘の口からぽつぽつ語られる新宿の地下街での生活、そして彼女たちを救った「リーダー」たちの姿。
下水と廃油の混じった自分たちの隠れ家、地下の巨大貯水池を自ら清掃し、ユニットバスやLEDを持ち込んで清潔な環境を与えてくれたこと。油まみれの体を洗い、古着を配り、服を着せてくれたこと。
そして今では、キレイなキッチンでご飯を食べ、個室で眠り、大企業の専門チームによる万全のメンテナンスを受けながら、毎日を心から楽しんでいるという笑顔。
「私たちのリーダーには感謝しかないの。本当にありがとう、IINCHOU(※本名は未成年なので伏せてます)って――」
その言葉を聞いた瞬間、ラビーウのなかにあった「エジプト軍中将としての仮面」は、砕け散った。
老いた巨体が、机に突っ伏すように崩れ落ちる。
あふれ出る涙を止めることもせず、彼はむせび泣いた。
国家に裏切られ、肉体をバラバラに引き裂かれ、暗い地下の底で捨て置かれてはずの我が子が、遠い異国の地で、あたたかな光の中で生きている。
自分が見捨て、守れなかった娘を、名前も知らない日本の若者たちが――救い出し、太陽の下へと連れ出してくれたのだ。
◇◇◇
ファラが新宿で生きていると知った直後、ラビーウはかつての戦友であり、いまや国家の最高権力者となっていた大統領にすべてを打ち明けた。
かつてドイツの技術でファラを強化人間へと導いた開発主任でもあり国家プロジェクト成功の英雄であった大統領は、国家の腐敗によって友人の娘を守れなかった過去の贖罪を胸に抱いていた。だからこそ、政治的計らいにより、ラビーウに水面下でファラと直接連絡を取り合える環境を提供したのだ。
あの子がどんな表情で笑い、どんな服を着ているのか。その報告を受けるたび、二人の老いた男たちは静かに胸を撫で下ろしていた。
しかし――平穏は、あまりにも短かった。
数日前の夜、ラビーウから大統領への直通秘匿回線が鳴り響いた。その声は、かつての冷徹な海軍中将ではなく、ひとりの父親の切迫した響きだった。
「……聞いてくれ。ファラから、連絡があった。――娘の友人の『IINCHOU』の白雪くんが、SPCの連中に拉致されたって……!」
SPCの国際金融網を通さなければ、主要通貨を持たないエジプトは、国際経済から排除され、致命的な借款の罠に沈む。主権国家としての深い屈辱を味わいながらも、エジプト政府は表立ってSPCに逆らうことができない。
外務省や政府にも当然のようにかかる圧力。
……だが、ファラを含む「あの若者たち」のチームは、白雪を救うため、地中海へ向かう彼らを追っているという。彼らは今、このスエズ運河を通過しようとしている。
――「スエズを通る。……あの若者たちを、助けてやってくれまいか」
電話越しでもラピーウの懊悩は手に取るように分かった。
受話器を置いた大統領の脳裏に、かつての苦い記憶がよみがえった。
かつては、国家の理不尽に押しつぶされ、親友の娘を守れなかった。だが、いまは違う。
大統領はゆっくりと立ち上がり、執務室の窓から遠くスエズの方向を見据えた。友人の願いと自らの贖罪を乗せ、全権を振るう。
「――通せ。あの若者たちの軌跡を、総力を挙げて守り抜け」
その言葉を受けた長官室のラビーウもまた、モニターに映る揚陸艇の航跡を見つめながら、静かに命を下していた。
「――スエズ運河全域の検問システムを一時凍結する」
我が国の海域を通過する当該揚陸艇への一切の干渉を禁ずる。逆に、あの船に手出しをする不審船や追手があれば、我が国の海軍力をもって容赦なく排除せよ。
……男たちの大きな決断は、昼の国際経済ニュースには小さく「スエズ運河で電源トラブルによる検問の一時停止」と報じられたのみとなる。
その頃、エジプト空軍の第212戦術戦闘飛行隊――その精鋭であるF16ファイティングファルコンのコードネームを持つ若き強化人間の少女たちが座っていた。
彼女たちは、日頃から新宿租界地区の女子寮がアップし続ける動画サイトの熱心な視聴者だった。画面の向こうで笑い、戦い、絆を深めるラプターや鳳凰、そしてチーム四神の姿は、砂漠の国で管理され、兵器として生きる彼女たちにとって密かな憧れであり、心の拠り所だったのだ。
「――ねえ、聞いた? 今まさに紅海で戦って、こっちに向かってきているあの揚陸艇……あそこに、女子寮の子たちが乗ってるのよ!」
「嘘……! あのラプターさんや四神の子たちが、私たちの国に……?」
通信回線越しに、少女たちの胸が高鳴るのが互いに手に取るように伝わってきた。
国家の暴力装置として、同じように傷つきながらも立ち上がった仲間たち。その「本物の英雄」が、いま自分の国の領海を駆け抜けようとしている。
スエズ運河庁長官であるラビーウからの極秘指令、そして大統領の特命。それは彼女たちにとって、上からの命令などではなく、何よりも果たしたい「自分たちの戦い」そのものだった。
「――第212飛行隊、全機発進!私たちを舐め腐った海賊どもに、エジプトの空の怖さを教えてやるわ!」
「日本の仲間たちに恥じない flyers(翼)を見せつけてやろうよ!」
紅海北端の空へ、F16の二個小隊(計八機)が凄まじいアフターバーナーの炎を引いて一斉に舞い上がった。
上空からの圧倒的な制空権の掌握と、血の通った少女たちの熱い気合が、海賊の包囲網を完全に切り裂いていく。
「私たちだって……! 今度は私たちが、あの子たちを救うんだから!」
少女たちF16の編隊が、紅海を弾丸のように突き進む揚陸艇の頭上で光の盾となり、近づくすべての不審な船影を容赦なく叩き潰していくのだった――。
◇◇◇
エジプト海軍と空軍の護衛を受けた一行は、大統領と長官の計らいでスエズ運河の特例通過を受ける事となる。……その代償として一行はスエズ運河長官と大統領、並びに第212飛行隊の強化人間少女たちとの写真撮影や動画撮影に応える事となった。
ちなみに強化人間少女たちに一番人気だったのは「租界地区のお姉さん」松河龍一だった事はご愛敬だ。
さて、スエズ運河に入った揚陸艇は、全運河の交通管制を無視して単独疾走し、本来なら半日以上かかる二百キロの海路を、わずか二時間という常軌を逸したスピードで駆け抜けた。
いかに電源トラブルの裏工作があったとはいえ、制限速度も隊列ルールも完全に無視した開通以来初の暴挙である。船舶の単独運行など前代未聞であり、二時間の走破もまた二度と破られない不滅の最速記録(黒歴史)であった。
全ては砂の嵐に消えていった幻のような出来事だが、見棄てられた少女たちを助けたいという「善意の羽ばたき」は、巡り巡って、世界を揺るがす風へと変わっていく。
地中海洋上――。
エジプト政府の極秘の計らいで、補給を終えた一行。広がる晴れ渡った空を見上げながら、神崎玲奈は呆れたようにつぶやいた。
「……はあ~っ……ナナオも白雪も、自分たちが新宿でしている事を単なる人助けって考えていて、本当のスケールなんて理解してないんじゃないかしら」
隣で潮風を受けながら、ヴァンスは静かに笑った。
「バタフライエフェクトさ。彼らの打算の無い善意が、巡り巡って国家や多くの人々を動かしたんだ。……本当に大切なものは目に見えないってね」
「おかげで最速で地中海に到着、ちょっと拍子抜けだけど……。ああ~! こないだまであんなに気合入った事を言ってたのに。ちょっと恥ずかしいじゃないの! 熱血松河節」
「そう、私はあんたを少し見直したわよ。単なる馬鹿なボンボンじゃなかったって」
「ちょっと玲奈ちゃん、それってどういう事よ。ヴァンスも笑ってばっかりいないで、なんか言ってよ」
そんな軽口を背に乗せて、揚陸艇は穏やかな青い海原を滑るように進んでいく。
その航路が再び切り開かれるまでには、新宿から始まった善意の連鎖が、一つの物語を砂漠の国で引き起こしたことに、当の本人であるナナオも白雪も今は知る由もなかった。
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