不可抗力と純粋な暴力
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
ナナオが不可抗力にも人を優しくプッシュします。百倍の力で。
暴力の結果の悪意無き不可抗力。
ここから物語は急加速を始めます。
ジェットコースターの最前列です。行ってらっしゃーい。
※STOL機とは飛行機の一種で短い滑走路でも飛ぶことが出来るものです。
勉強になったよね。
――五味ナナオくん。あなたは、寂しい人なのね。
放課後の校舎。
教室の入り口(※現在はただの巨大な穴)の横で、俺はそう告げられた。
俺の今の気分は、最悪の一言に尽きる。
登校初日、一秒で扉を粉砕したツケは、想像を絶する重さだった。
午前中はずっと職員室で、耳にタコができるほどの説教を浴び続けた。
さらに悪いことに、支給されたばかりのスマホには、神崎さんからメールが届いている。
『放課後、本庁に来なさい。修理代の見積もりを持って待ってるわ』
逃げ場のない、事務的な召喚状だった。
午後の授業は石像のように静止してやり過ごしたが、昼飯すらも追い打ちをかけてきた。
本庁での一ヶ月間、俺の「生活訓練」は主に豆腐を相手に行われていた。地球の物質の脆さを叩き込むため、箸で豆腐を崩さずに掴む練習。
失敗して握りつぶすたびに、神崎さんは淡々と言った。
『資源を無駄にしないこと。潰した分は、あんたが全部食べなさい』
そうして出される夕食は、決まって俺がさっき握りつぶした豆腐を再利用した麻婆豆腐だった。
それは本来、失敗を処理するだけの事務的な作業のはずだった。
だが、そんな作業の産物ですら、あの宇宙船で食べていた合成食の百倍は旨い。
その事実は、俺にとって小さくない衝撃だった。
そんなこともあり、食事は数少ない楽しみの一つとなり、違う場所で違うものが食べたくてしょうがなくなった。
切実な願いを胸に、心機一転、学食の券売機の前に立った俺を待っていたのは――。
「四川風麻婆豆腐丼」
本日のおすすめメニュー。その文字だった。
箸を使わずスプーンで食べられる安全なメニューは、結局これしかなかった。
……本庁にいた時と同じ光景。
目の前の丼からは、昨日まで嗅ぎ飽きたはずの豆板醤と豆腐の匂いが漂ってくる。
俺は肩を落とし、力なく金属のスプーンを突き立てた。
だが、悔しいことに一口運ぶと、これが文句なしに旨かった。
本庁の事務的な味とは違う、豚ひき肉から出た豊かな出汁の風味が口いっぱいに広がる。
ガックリきているのに、脳が「旨い」と判断を下してしまう。
その事実が、今の俺にはどうしようもなく癪だった。
金属のさじで黙々と豆腐を啜る俺の横で、エルピスがささやいた。
『ぷぷぷ。あれほど豆腐の輪廻から抜け出したいと願っていたのに、結局また自ら麻婆の沼に飛び込むとは。運命があなたを豆腐に縛り付けていますね。もはや豆腐マンと名乗るべきですよ』
黙れエルピス。
今の俺には、その冗談を笑い飛ばす余裕はない。
そんな悲しい昼飯と、石像のような午後の授業をようやく終えた放課後。
俺の前に立っているのが、クラス委員長の白雪湊さんだ。
眼鏡の奥の瞳は理知的だが目つきは悪い、左右にきっちりと分けたおさげ髪が、どこか古風で生真面目な印象を受ける。
だが、その丁寧すぎるほどボタンを留めた制服の上からは、彼女の豊かな発育を隠しきれていない。動くたびに大きく揺れるその質量は、おさげ髪という貞淑な記号と矛盾しており、地球の栄養状態の良さを俺に再認識させた。
「……五味くん。朝のあれ、わざとじゃないのは分かってるわ」
「そうか。それは助かる」
「でもね、あんな風な物の壊し方しか知らないなんて、よっぽど荒んだ環境で育ってきたのね。……大丈夫よ、私は逃げないから。
あなたが真人間として、この学校の『普通』に馴染めるまで、私がお節介を焼いてあげる!」
白雪さんは、豊かな胸元を強調するようにぐいっと顔を近づけてきた。
真っ直ぐすぎる、押し付けがましいほどの善意。
(……エルピス、どういう状況だ、これは)
『おそらく彼女、あなたのことを「過酷な家庭環境で暴力を振るうことしか教わらなかった可哀想な子」だと、脳内で勝手にストーリーを補完していますね。
善意の押し売りは、地球の人間が持つ最も強力な攻撃の一つであると推察されます』
否定するのも面倒なので、俺は「ああ、よろしく」とだけ答え、重い足取りで校門へ向かった。
白雪さんは「あ、待ちなさい! 寄り道は不良の第一歩よ!」と、俺の数メートル後ろを小走りでついてくる。
そんな奇妙な下校風景が、ある路地裏に差し掛かったところで変わった。
『ナナオ、前方。高エネルギー反応、および生体アラート。……それと、あなたが嫌いな「匂い」がしますよ』
エルピスの警告。
路地裏の奥、ゴミ捨て場の影に、一人の少女がうずくまっていた。
銀色に近い淡い髪。ボロボロになったジャケット。
皮膚の端々からは、過負荷による陽炎のような熱が立ち上っている。
――強化人間。
この星の連中が、人間を「資産」として作り替えた成れの果てだ。
その少女から漏れ出る、不安定な出力。
それは、短い滑走路で強引な離陸を試みる『STOL機』のような、設計限界に近い負荷を前提とした兵器の気配だった。
「見つけたぞ。逃走した『検体番号・スズメ』だな」
少女を囲むように、黒いタクティカルウェアの男たちが現れた。
どこかの企業のロゴを背負った、武装集団。
手には、捕獲用の電磁ネットや、高周波警棒が握られている。
「待て。データの収集がまだ不十分だ。四肢を多少壊しても構わん、速やかに回収しろ」
事務的で、冷徹な声。
それを見た瞬間、ひどくいやな気分になった。
人間をただの便利な「道具」として扱い、使い潰す。
その光景は、俺たちを棄てた連中のやり方と全く同じだった。
自分と同じ匂いのする少女が、そんな連中に回収されるのは、面白くない。
そう判断した俺は、無意識に一歩、前に踏み出した。
「あ、ちょっと五味くん!? どこへ行くの、そっちは行き止まりよ!」
後ろから白雪の声が聞こえる。だが、俺は歩みを止めない。
「どいてくれって言ってるんだ」
俺は、少女と男たちの間に割り込んだ。リーダー格が、不快そうに俺を睨む。
「……ガキが。これは企業の正当な資産回収だ。死にたくなければ――」
男が、警棒を突き出そうとした。
俺は、目の前の障害物をどかす程度の、ごく自然な力を込めて男の胸板を押した。
ドォォォォォンッ!!
爆発音に似た衝撃音が路地裏を震わせた。
男の身体は加速し、後方へとカッ飛んだ。
ライトバンを紙細工のように凹ませ、そのまま十メートル以上先の壁にめり込んで静止した。
「…………え?」
少女も、残りの部隊員も、そして物陰で腰を抜かしている白雪さんも。全員が硬直した。
(……ああ、まただ。やっぱり地球は柔らかすぎる)
俺は、自分の手のひらを眺めて深くため息をつき、怯えている少女の肩を抱き寄せた。
「……ご、五味くん……?」
俺の背後から、白雪さんの震える声が聞こえる。
(エルピス、これ、神崎さんに報告したほうがいいか)
『馬鹿なのですかナナオ. わざわざ説教と負債を増やす必要はありません. 監視カメラの死角は確認済みです. 黙っていれば、やっていないも同然です』
(……確かにそうだな)
神崎さんからは、この一ヶ月の訓練で「報告、連絡、相談」の重要性を嫌というほど叩き込まれた。
だが、俺にはこの組織での地位に執着しているわけでもなければ、誰かに評価されたいという欲求も皆無だ。
俺とエルピスは、最短かつ効率のいい結果を導き出すため、即座に「黙殺」という結論を共有した。
過酷な環境を生き抜くために培われた、こすっからい知恵である。
俺は「スズメ」と呼ばれる高熱を発し続ける強化人間の少女に駆け寄った。
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