新宿租界
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
租界とは本来は外国勢力による治外法権です。(天津、上海、横浜居留区)
当小説では、治外法権という部分だけを頂いてます。
古今東西、魔界やカオスがあるのは新宿なんですよ。
この場所のモデルは新宿五丁目近辺のゴールデン街から吉本興業の本社にかけてです。
グーグルマップを見ながら読むと地理の勉強にもなって便利ですぜ。
※空中元素固定装置 元ネタは永井豪の著作「キューティーハニー」からです。本作にはいろんなオマージュがありますので、探したら面白いかも。
(……エルピス、こいつの熱が下がらないぞ)
路地裏の隅。
俺の腕の中で、スズメと呼ばれる少女は、負荷をかけたエンジンのように熱を発し続けていた。手のひらから伝わる温度は、すでに生身の人間が耐えられる域を超えている。
(……こいつと俺の間に断熱を頼む)
エルピスと本船のエネルギーリソースを食うが、俺の手が焼けるよりはマシだ
『了解しました。月の裏側、本船へリクエストを送信。量子もつれによる同期を確認……。空中元素固定装置、事象介入を開始します』
エルピスの声と同時に、俺の腕とスズメの体の間に「境界」が生じた。
局所的な事象の固定。
俺の腕を包む大気中の分子が、本船からの高精度な演算によって、特定の励起状態のまま静止・配列された。
それは、熱力学の法則を無視した、絶対的な断熱性能を有する「真空の被膜」に近い。
月の裏側からの圧倒的な質量とエネルギーが、俺とスズメの間の空間を物理的に書き換えたのだ。
俺の後ろでは、クラス委員長の白雪さんが、驚きのあまり呆然と立ち尽くしていた。
本来なら最短効率で彼女を置き去りにすべきだが、エルピスは即座に別の演算結果を提示した。
『ナナオ、彼女を置いていくのは下策です。彼女の正義感を誘導し、保護活動の一環であると錯覚させましょう。
自らの意志でこの少女を守ったという既成事実を作らせれば、彼女は自ずと口を閉ざす共犯者になります。後の隠蔽工作は、そちらの方が容易です』
「おい。どこへ行けばいい。お前の『目的地』はどこだ」
俺が問いかけると、スズメは薄く目を開けた。その瞳には感情の色はなく、ただ現在地から目的座標を検索しているような無機質さがあった。
神崎さんからの話によると、「野良」と呼ばれる無所属の強化人間は、機能不全で廃棄されたものか、他国から逃れてきた亡命者。
だから、正式なパスポートを持たない彼女にとって、この国の法の下に安全な場所など存在しない。
「……新宿。……花園の、裏」
「新宿? 近いけど、街中じゃないか」
「……違う。……『租界』。あそこの、地下……」
スズメの言葉に、白雪さんが悲鳴に近い声を上げた。
「租界!? 嘘でしょ、そんなの駄目よ五味くん!
あそこは犯罪者やテロリストの巣窟だって、ニュースでもネットでも言われてるわ。
真っ当な人が近づいていい場所じゃないのよ!」
たぶん、彼女の言うことは、この星の「一般常識」としては正しいのだろう。
だが、俺にとっての正解は常にエルピスのナビゲーションにある。
『ナナオ、彼女の言う通りです。
新宿租界――かつてのゴールデン街を中心とした一画は、現在、公権力の介入が著しく困難な空白地帯となっています。
つまり、神崎玲奈の目から逃れるには最適の座標です』
(……決まりだな)
俺はスズメを抱え直し、歩き出した。ナナオの仮住まいがある閑静な住宅街から、新宿へと。
「ちょっと、五味くん! 待ちなさいってば!
……もう、一人で行かせるわけにいかないじゃない! 誰も助けないなら、私がその子を安全な場所まで見届けるわ!」
白雪さんは半泣きになりながら、それでも「自分は正しいことをしている」という正義感に突き動かされ、俺の背中を追ってきた。エルピスの誘導恐るべし。
靖国通りを抜け、区役所通りの喧騒を横目に、俺たちは「神社」へと辿り着いた。朱塗りの鳥居が闇に沈む花園神社。その裏手に一歩足を踏み入れ、入り口へと急ぐ。
(エルピス、入り口はどこだ)
『この先の地下階段です。……ナナオ、スズメの生体情報をハックしました。面白いことがわかりましたよ。
先程の追手の企業――「扶桑重工」は、他国の強化人間である彼女をマンハントし、その技術を他国へ売り捌こうとしています。
防衛利権を介して一部の警察官僚にも深く食い込んでおり、この租界一帯を「清掃」する超法規的な権限を事実上委任されています』
(……本当に、生まれてからずっと腹の立つことばっかりだ。俺の故郷もこの星も、どっちも人間のやることは……)
俺は、淀んだ空気を吸い込み、租界へと足を踏み入れた。
◇◇◇
新宿租界は、外部に通じる通路が五本しかない。その各々には、租界の女性陣が持ち回りで担当する「見張り」が配置されていた。
この星は未開の為に技術レベルが、俺の母星に比べ十世紀ほど遅れている。
その為、強化人間は、生体耐性が高い女性のみにしか「処置」を行えないようだ。
だから、租界に居るのは地上用の調整処置を受けた少女たちという事になる。
俺たちが近づくと、暗がりに潜んでいた見張りの一人が姿を現す。
「止まれ。何の用だ」
俺は無言で、腕の中のスズメを見せた。見張りの少女の瞳が、一瞬だけ揺れる。そこに横たわるのは、自分たちと同じ「壊れかけた個体」の姿だ。
「……そいつは、扶桑が追っていたっていう奴か。なぜ、一般人が連れている」
俺が事情を説明しようとした矢先、見張りの少女の耳元にあるレシーバーが点滅し、通信が入った。
「……。チッ、上からの通達だ。通れ」
疑念を隠さないまま、彼女は俺たちを地下へと続く隠し階段へ案内した。
重厚な鋼鉄のハッチを開けて、地下へと延びる階段を降りていく。随分と長く暗い階段だ。
降りるほどに、湿り気を帯びて濁った空気、機械油や薬品の混じった匂いが強くなっていく。
降りて行ったどん詰まりにあったのは、大きなコンクリートの柱が立っている暗くて巨大な地下空間。都立高校の敷地がすっぽり入るくらいの広さがある。
『現在は使用されていない都市調整池ですね。
高さ30M、奥行き500M、多くの人が身を隠すには最適の場所といえます。生体反応も120。すべて強化人間のバイタルです。
……ナナオ、戦闘行為の可能性もありますから、注意してください。』
エルピスからの情報に、俺は暗がりに目を凝らした。暗がりに少し光が見える。
そんなポツポツ光るLEDライトの下、俺たちが見たのは、本当に悪夢みたいな光景だ。
片手や片足が機能不全を起こし、関節があらぬ方向に曲がったまま機械的に動いている少女。
強力な調整薬物の副作用か、虚空を見つめてケタケタと笑い続けている者。
どの子も何かしら欠けていて、ぺたんと人形のように座ったまんまで、俺と白雪さんを見つめている。
そんな中、自分も上半身だけの身体なのに、懸命に他の女の子を修理している油まみれのゴーグルの子もいた。
人種も国籍もバラバラな女の子たちが、ただ「企業や国家」という飼い主に使い潰された残骸として、この暗い地下の少女地獄に溜まっていた。
「……何、これ……。これが、租界なの……?」
白雪さんは、光景と匂いに口を抑えていた。その傍ら、俺は腕の中のスズメを静かに床へ下ろした。
その光景の最奥。
サーバーラックに囲まれたソファに、一人の女が座っていた。
勝気な光を宿した金色の瞳。不敵に釣り上がった口角。
ボロボロの革ジャンからは、白雪さんに負けず劣らずの豊満な肢体が主張している。
彼女も随分と栄養状態が良いようだ;
革ジャンさんは、不敵な笑みを浮かべつつも、その眼光は鋭く俺を観察していた。
「……おい。そいつをどうやってここまで運んできた?」
彼女が、ソファに深く背を預けたまま問いかける。
「そいつはオーバーヒートしてやがる。
今の中枢温度は三〇〇℃を下回っちゃいないはずだ。生身の人間なら、触れた瞬間に火傷じゃ済まない。
それを平然と抱えて、しかもおまけの女を一人連れて歩いてくる……」
革ジャンさんは、黄金の瞳を細め、俺を値踏みするように睨みつけた。
「……ただの、通りすがりの転校生だ」
彼女は呆気に取られたように目を見開いていた。
やがてその口角が、獲物を見つけた猛禽類のように吊り上がった。
「……あははっ! 転校生、だとさ。そりゃあ最高にイカした肩書きだねぇ」
ソファから身を乗り出し、愉快そうに喉を鳴らして笑う、革ジャンさん。だが、その金色の瞳の奥にある光は、笑い声とは裏腹に、鋭く俺を観察している。
「いいよ、気に入った。そのふざけた制服に免じて、一晩くらいは面倒見てやる。……おい、みんな! この『転校生』様に場所を空けてやりな。こいつは――どうやら、あたしらと同じ側の生き物らしい」
彼女はそう言うと、再びソファに深く身を沈め、興味深そうに俺を眺め続けた。
その視線は、俺を面白がっているようでもあり、何だか嫌っているようにも見えた。
神崎さんに教わった「平穏な学校生活」への道は、どうやら転校初日で行方不明になったらしい。
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