山高帽
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
本日はお嬢様ことルクレツィアと白雪湊の舌戦の結末と
山高帽の秘密についてです。
どうぞお楽しみください。
世界の裏で暗躍する魔女ルクレツィアが、若き鬼白雪湊の圧倒的な正論に面食らい、言葉を失う。
沈黙を選ぶナナオの眼前で、ルクレツィアは、わずかに唇を震わせながらも、再び気高く言い放った。
「……子供の情動など、歴史の偉業の前には些末な事に過ぎないわ。貴方ほどの矜持があれば、私の掲げる『神の教えと地上に楽園を作るという悲願』の重みが分かるはずよ。個人の感情も家族も捨てて予定調和の秩序へ世界を導くことこそが、私たちの――」
「些末な事ねぇ……。笑わせないでよ」
ルクレツィアの言葉を、白雪は鼻で笑って遮った。
彼女はドンとさらに一歩踏み込み、鋭い眼光でルクレツィアを射貫く。
「神の教え? 人類二千年の悲願? はっ、寝言は布団で言いなさいよ。
私が新宿の租界で何やってるか、さっきの紙に書いてあったでしょ? 神崎さんから融通してもらった一〇〇万円でまずお風呂を整えて、物みたいに棄てられてた仲間の身なりを綺麗にさせるとこから始めたのよ。古着や中古の家具をかき集めて、みんなで頭を突き合わせて地下の環境を整えたんだから。
動画投稿にしたって、運動会のアイデアだって全部そうよ! 必死に生きるあの子たちを皆に知ってほしくて、動画サイトに投稿したわ。運動会だってそう。仲間が勝手に闇討ちみたいに痛い目にあって怪我することが多かったから、『どうやったら安全に、しかも楽しくオープンにやれるか』って、スポーツにすれば審判がいるから誰も傷つかないでしょ。これも必死に考えて形にしたの!」
一気に言い放った白雪の言葉には、机上の空論ではない、血の通った「生活と営み」の重みがあった。
「スケジュール調整や各国機関との連絡方法は協力者に手伝ってもらったけどさ……あれは全部、私たちが、悩み抜いて考えた結果よ。
そこにいるスパイやエージェント、死の商人や軍需産業なんて言われてる世界の裏側の連だって、みんな必死に生きてるわ。そんな人たちだって――私の仲間なのよ!
日本政府がなんて言おうと、私が認めた仲間は絶対に売ったりしない。
ロリババア、あんたは、世界とか歴史とか視点がデカすぎて、自分の足元で誰が泣いてるかすら見えてないのよ。とんでもない資産を持って、とんでもない奴らを後ろに従えて、神様のことばっかり考えて……それで何がしたいわけ?」
「ぐっ……それは……」
「さっきの紙に何が書いてあったかなんて知らないけどね、私は、目の前の一人一人に向き合って、理不尽な目にあってる子を救い続けて、自分の仲間を守りたいだけなの!
自分がもう引き返せないところにいるのぐらい百も承知よ。――これが私の全身全霊なんだから!」
一切の迷いのない、濁りのない直球の正論。そして、仲間のために己のすべてを賭ける「生身の覚悟」。
その圧倒的な熱量と正しさに射貫かれ、ルクレツィアの中で迷いが生じていく。
(私が……足元を見ていなかった……? この子が言う「仲間」や「全身全霊」の重みは、私たちの計画にはどこにも……)
ルクレツィアがよろめき、その場に膝をつきそうになった瞬間――。
彼女の背後に漂っていた空間から複数の山高帽たちが、じんわりと姿を現した。
しかし、今回の彼らは、幽霊のような希薄な存在ではない。彼らの存在は、午後の日差しにくっきりと影を落としたのだ。
「やりますね、日本のお嬢さん。我らの器に迷いを生じさせるとは……」
「左様、その覇気は良し!武人として天晴と言わせて頂こう。異教徒であるのが残念だ」
「我想う、故に我ありでしたか。なるほど、彼女は体現しておりますな」
「いや、儂はそんなつもりで言ったわけじゃないんだが、しかし見事じゃ」
「まあまあ、このお嬢さんを褒めるのはここまでとして、我々は器を守らねば」
ルクレツィアを抱き上げた山高帽の一人が、黒塗りの車の扉を開くと、後部座席に彼女を横たえた。
「ルク嬢ちゃんは、ここまでだ。あとは我ら老骨に任せて、しばし眠りなさい」
背広に似合わぬ大きなその手は、少女を寝かしつけるように驚くほど優しく、そしてどこか切なげだった。
その一団のなかで、一際異彩を放つ、獅子のような男が、ふっと目を細めて斜め上を見た。わずかに離れた場所で、その一部始終を眺めていた少年――ナナオに視線を向ける。
「面白い。……見えるぞ、アイザック。この肉体を失い、理の側に落ちた我らだからこそ、はっきりと分かる」
ただ興味本位ではない、畏怖に似た光をその瞳に宿しながら呟いた。
その言葉に、隣に立つ男――鋭い眼光を力学そのもののように纏うアイザックが、わずかに眉をひそめる。
「何が見えるというのだ、リチャード」
「あの少年の背後だ。この体になって初めて、我々は『神』の存在をまざまざと肌で感じるようになったというのに……あの背後には、『巨大な神』が居る。あいつは、まぎれもない代行者だ」
リチャードの確信に満ちた言葉に、アイザックは、静かに首を縦に振った。
「――確かに、『神』の存在を感じる。……我が名はアイザック。少年、君のその肉体と神経回路の組成、そして音を置き去りにするような運動量……それは力学の範疇を完全に超越している。どうやら、『神の計算違い』の最高傑作は、ルクレツィアだけではなかったようだな」
アイザックは静かに一歩前へ踏み出すと、背後を振り返り、まだ闇の中に控えている者たちへ向けて軽く手を上げた。
「若者を説得するならば、我がライバルがうってつけだ。神学も哲学も修めている口うるさい男にぴったりの役割だ――なあ、ライプニッツよ」
アイザックの呼びかけに応じるように、闇のなかからもう一人の男がゆっくりと歩み出てくる。静かに微笑みながら老いた思想家は、深々と一礼して名乗った。
「ちょっと、アイザックその言い方――ああ、僕はライプニッツ。ねえ若者。君ほどの器と、代行者としての資質があれば……僕たちと共に、地上に真の楽園を降ろす『|地上の楽園たる予定調和』を完遂できる。どうか、話を聞いてくれないかな。強制じゃあないよ、人類の歴史がたどり着くべき、必然の対話って言ったところだよ。ロマンチックだろ」
悠然と微笑む三人の英雄たちの前で、ナナオは不思議そうに首を傾げた。
その緊迫した対話の気配を背に受けながら、闇のなかに潜む五つの影もまた、静かにその結末を見据えていた。
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火、木、金曜 18時の週3回投稿になります。火木金曜はナナオの日 お忘れなく。
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