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重力1/100 〜コンテナ暮らしの宇宙人は世界を救う神らしい〜  作者: 益城 茜


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閑話 白雪椿の憂鬱

いつもお楽しみいただきありがとうございます。

本日は閑話です。少し名前が上がった白雪椿という

普通の中学生の話。IINCHOUの妹です。

どうぞお楽しみください。

次回こそ本編がっつり進みます。

 東京、江戸川橋。子育て地蔵を東に曲がった先、昭和のタイル張りがレトロな風情を醸し出す細い路地に、我が家はある。

 白い暖簾が風に揺れる『東京銘菓・白雪本舗』。明治12年創業、何の変哲もない街の老舗和菓子屋だ。


 ……少なくとも、母さんと私にはそう見えている。


 一階の店舗前には、今日も今日とて黒服の男たちが並んでいる。彼らは申し訳なさそうに列を作り、順番が来ると神妙な面持ちで暖簾をくぐり、箱詰めされた最中をまるで宝物のように受け取って去っていく。店の外壁の前で、やたらと真剣な顔つきで自撮りをしていく連中もいる。

 大使館の外交官っていうのは、みんなそんなに白雪の最中が好きなのか。理解に苦しむ。


 それも全て、姉である白雪湊が新宿で外国人向けの「セミナー」だか「研修」を始めたせいだ。いつも変な事ばかりしてるお姉ちゃんのやる事に興味が無かったのだが、今回は明らかに普通じゃない。


 三階の喫茶スペースは、姉の「研修」が始まってからというもの、さらに奇妙なことになっている。

 湊お姉ちゃんがたまに連れてくる、美人の多国籍な女の子たち。モデルみたいな彼女たちは私や家族を見ると、なぜか異常にテンションを上げて「キャー!」と騒ぎ出す。

「これが、噂の妹さん?」「湊の、家族……! すごーい!小っちゃい、カワイイ」

 まるで伝説の珍獣か何かを拝むような目で見られて、私はただただ引きつった笑顔を返すしかなくなる。

 おかげで我が家の喫茶コーナー、美人が集まる喫茶店としてSNSで有名になった。明らかにそれを目的とした近所の大学生たちでひっきりなしだ。……騒がしいったらありゃしない。


 先月だってそうだ。

 うちの白雪最中が「内閣総理大臣賞」を取ったのだ。あの無口な二人、お父さんも富士夫兄ちゃんも大喜びだった。喜びのあまりに近所の居酒屋をはしごして、商店街の道路で騒いでたのをご近所さんから苦情が入ったくらいだ。翌朝、富士夫兄ちゃんはお義姉ちゃんにガッツリ怒られたらしい。……恥ずかしいったらありゃしない。


 その授与式を店でやるっていう事で、スーツを着込んだ厳めしい一団がマスコミを引き連れて店にやってきたのだ。先頭に立っていたのは、ニュースでよく見る内閣官房長官・九頭竜っておじさんだった。

 お父さんと富士夫兄ちゃんは、いつも気慣れないスーツを着せられた上に、顔を真っ赤っかにして直立不動。お母さんは「まさかうちのような店が……」と恐縮しつつも、お茶を出して迎えている。

 私は三階の階段の踊り場から、その様子をこっそり覗き見ていた。


 九頭竜官房長官は、賞状を収めた額縁を恭しくお父さんに手渡すと、踊り場にいた私に目を留めた。そして、なんだか不思議な笑みを浮かべながら、私に近づいてきた。

「君が、白雪湊君の妹さんかい?」

「……は、はい」

「お姉さんと違って、素直そうないい目をしてる。……いや、なに、安心してくれたまえ。官房長官としての公式行事だよ」


 九頭竜さんは周囲の黒服たちやマスコミに聞かれないように、私に耳打ちするように言った。


「お姉さんに伝えておいてくれないか。『九頭竜がお手柔らかにと伝えていた』とね。……あのお嬢さん、前の一件で内閣を本気で脅すものだから、こっちは肝が冷えてね。租界の女子寮の件と言い、少しは手加減してほしいと、伝えておいてほしいのさ」


 正直、この人が何を言っているのか全く理解が出来なかった。


「……お姉ちゃんに、伝えておきます」


 私が引きつった笑顔でそう答えると、九頭竜は満足したような、意地の悪い笑みを浮かべ、悠々と店を後にしていった。


 ……やっぱり、お姉ちゃんに関わると、ろくなことにならない


 私は湊お姉ちゃんとは真逆だ。騒がしいのは嫌いだし、正直、友達なんていらない。


「お姉ちゃん、本当に苦手」


 私はため息をつきながら、ノートの端に猫の落書きを描く。


 お姉ちゃんは、地味な制服を着て、髪型もいつも通りなのに、なぜかやたらとモテる。進学校の都立高校でも成績は毎回十位以内。運動もそつなくこなす。おまけに将来は「遠くには行きたくないから」という理由で、江戸川橋から歩いて通える範囲の国立か、偏差値のバグった理系私大を狙っているらしい。


(歩いて通える大学って、頭のネジが何本か飛んでる人しか行けないよ……)


 お姉ちゃんは、一言でいえば「生物名:ジャイアン(雌)」だ。我が道を行くどころか、道がないなら作るタイプ。

 それに引き換え、私はのび太君でいい。漫画を読んで、絵を描いて、運が良ければコミケで薄い本を出して、実家の和菓子屋を手伝いながら、静かに、誰にも邪魔されずに一生を終えたい。


 だからこそ、火曜日が嫌いだ。

 火曜日は、あの強引なジャイアンが私の勉強を見てくれる「家庭教師の日」。

 今日もまた、私が解けない難問を前に、あのブスッとした表情で「なんでここが分からないの?」と言われるのかと思うと、ただただ憂鬱でたまらない。

 私の言いたい事なんて、お姉ちゃんは一切聞いてくれない。それが本当に嫌だ。


 ――そんな平凡な(はずの)私の日常に、あのお兄さんが現れたのは、初夏のことだった。


 ◇◇◇       


「……もう、やってられない!」


 私はお姉ちゃんが夕食の支度で台所に立っている隙を見計らい、裏口から愛車のママチャリを引っ張り出して飛び出した。

 目的地なんてない。ただ、あの姉が発する妙な重圧から一刻も早く逃げ出したかった。


 私は小日向の急な坂道を、立ち漕ぎで駆け上がった。


 この界隈はどこを切り取っても早稲田や理科大、東大といった「偏差値の化け物」たちが闊歩している。ここら辺にいると、コンプレックスだらけの私の心がキュっとなるのだ。


 逃げ出した私が辿り着いたのは、白銀公園。


 周囲を高級住宅街の高い塀に囲まれ、迷路のような坂道の果てにあるこの場所は、私にとって唯一、勉強という名の呪縛から解放される隠れ家だ。


 私はベンチに座り、スケッチブックを開く。

 カサカサと鉛筆の音だけが響く。描いているのは、誰も知らない異世界の冒険譚。これさえあれば、私はどこにだって行ける。何にだってなれる。


 描いてさえいれば私は無敵なのだ……


 気づけば、空は藍色を通り越して真っ暗になっていた。


「……帰らなきゃ。お姉ちゃんの怒りゲージが最大値になる。無限コンボが炸裂しちゃう」


 慌てて自転車にまたがり、公園から急坂を下りようとした、その時だった。

 ガリッという嫌な音がして、ペダルが空回りする。


「えっ……」


 見ると、無残にもチェーンが外れ、ギアの隙間に噛み込んでいた。


「嘘でしょう……」


 直そうとして手を伸ばしたが、すぐに後悔した。指先が真っ黒な油で汚れ、しかもチェーンはびくともしない。女子中学生の握力ではどうにもならない硬さだ。

 暗い路地裏、小日向のアップダウンの切り替え地点。誰も通らない場所で、私は途方に暮れた。油と切り傷まみれの手を見て、思わず涙が滲む。


 あのお姉ちゃんに見つかったら、「勉強できずに逃げ出して、チェーン一つ直せないなんて、効率が悪すぎる」と小一時間説教されるに決まっている。


「……最悪だ」


 泣きっ面に蜂とはこのことだ。私が地面に座り込んで膝を抱えたその時だった。

 背後の、古い洋館に囲まれた駐車場の方から、重厚な金属音が響いた。


「ねえ。そんなところで、何を泣いているのかな?」


 振り返ると、そこにお兄さんがいた。


 界隈の人なら誰でも知ってる「神崎邸」。その高級邸宅の駐車場の隅に、不釣り合いに置かれた巨大なコンテナ。その入り口の明かりを背にして、無造作にTシャツとジーンズを着たお兄さんが不思議そうに私を見ていた。


 背後では、コンテナの外壁に取り付けられた、あまりにも最新の扶桑製の高級エアコンが、シュルシュルと無機質な音を立てて風を吐き出している。


 私と自転車を見比べると、お兄さんは歩み寄ってきた。


「……自転車、壊れちゃったんだね。直してみるよ。貸して」


 そう呟くと、お兄さんは私の自転車に歩み寄ると、鞄を持つくらいに無造作に片手で自転車をコンテナの明かりのところに持って行った。明かりの下には「オナオ」と汚い字で彫られた鉄板のようなものが表札みたいに張り付いている。


「そこで手を洗ってて。洗剤は水道の下に置いてあるよ。そこの椅子に座って待っててね」


 コンテナの脇にあるのは、どう見ても洗車用の水道。そこに食器用洗剤とスポンジがバスケットの中に几帳面に入っていた。

 言われるがままに手を洗うと、チェーンで出来た深い切り傷に洗剤がしみた。最悪だ。


 近くにあったパイプ椅子に腰かける。座面が学校のものよりもキレイだった。

 私は明かりの下で自転車を直す、お兄さんの様子をぼんやりと見ていた。


 女子の力ではびくともしなかった硬いチェーンに、彼は迷いなく素手を伸ばす。

 ガキッ、と重い金属音がした。


 え……嘘? 工具も使わず、素手であんなに簡単に……!?


 お兄さんは自分の服で真っ黒になった手を適当に拭うと、「……ほら、直ったよ」と平然と言い放った。お兄さんがペダルを回すと自転車の後輪が心地よい音で回り出す。


 指先にはべったりと使い古しのオイルがついていたが、本人は気にする様子すらない。

 私が呆然とチェーンを見つめていると、彼はコンテナの方を振り返り、困ったような、でもどこか優しい目を向けて言った。


「油で手が汚れるから、触らないほうがいいよ。……女の子が、こんな暗いところで一人で泣いてちゃダメだよ」


 結構な血がにじむ私の掌を見るとお兄さんは、コンテナの中から救急箱らしき銀色のケースを取り出す。その間、お兄さんはハンズフリーのスマホか何かで「エルなんとか」って人と話していた。不思議な名前だったから何となく覚えている。


 ケースから見た事ない形のスプレーを取り出すとお兄さんは


「少ししみるかも。でもすぐ治るからね」


 と笑顔でスプレーを私の掌に噴きかけた。スプレーからは掌を覆う泡が噴き出される。


「……っ」


 一瞬針で刺されたような刺激を感じたが、泡が流れ落ちると傷一つない私の掌が現れた。


 一体何が起こったの……?


 お兄さんは笑いながら、人差し指をそっと出してこう言った。


「扶桑重工の最新の治療薬を使ったんだよ。実験段階のものだから内緒にしてほしいんだ」


 嘘だ!と私は思った。だってどんなすごい薬だって、深い切り傷を一瞬で直せるなんて考えられない。魔法って言われた方が信じられる。

 一応、うんと頷いてはみたけど正直納得してはいない。


 私の隣に座ると、お兄さんは冷たい缶のココアを一本くれた。お兄さんも同じのを飲むみたい。お兄さんはココアを一気に飲むと、私の目を見てこう言った。


「それでどうして泣いていたのか教えてほしいんだ。自転車のことじゃないよね」


 すると何だか私は、気持ちが溢れ出したように色々とお兄さんに話したのだ。

 家族のこと、お姉ちゃんのこと、自分の将来のこと……本当に思うままに話した。

 お兄さんは遠くを見るような顔で、私の話をたくさん聞いてくれた。


 知らない間に随分と時間が過ぎて、誰にも言えなかった色んなことを話せたせいか、私の気持ちも落ち着いてきた。そんな私の頃合いを見計らったのだろうか、


「もう夜も遅いから送るよ。自転車だからそんなに遠くないよね。こう見えても足が速いから気にしなくても大丈夫だよ」


 自転車を直してもらった人も一緒ならお姉ちゃんも怒らないよね……。怒る姉ほど怖いものは無いという私の計算もあり、お兄さんのお言葉に甘えて送ってもらう事にした。


 ◇◇◇


 お兄さんのコンテナから北に五分ほど、山吹町の交差点。飲食店も多いこの辺りは、午後九時ごろでも人通りが多い。


 多くの人が待っている横断歩道の向こうに鬼が居た。


 この辺は地蔵坂って呼ばれてるんだけど、そこに居たのは子供を守るお地蔵さんでは無かった。妹を頭からバリバリ食べる、怒りの獣神の登場だ。


 信号が青になると、お姉ちゃんは凄い形相でドンドコと私に向かって歩いてきた。その迫力たるや、往来の仕事帰りのサラリーマンや飲み会の大学生の群れを真っ二つに割ったのだ。


 私はそこに新たなモーゼの誕生を見た。海を割ったモーゼは聖者だったけど、人波を真っ二つに割るのは白雪湊という鬼だ。


 立ちすくむ私に気が付いたお兄さんは、私の肩にそっと手をかけてくれた。

 なんだか心が温かくなる。そしてあろうことか、あの鬼に向かって勇敢なお兄さんは声をかけたのだ。


「こんばんは。白雪さん、すごい顔して散歩かな?」


 なんてこと言うんだお兄さん!うちのお姉ちゃんは、ナンパしてきた近所の医大生を涙目になるくらい理詰めにするような剛の者。って、お兄さんなんでお姉ちゃんの苗字知ってる……?


「なんで五味くんが椿と一緒にいるの?いっつもこの子、私からすぐに逃げるの。今日こそは、ぐうの音も出ないほどの英語地獄に……」

「白雪さん、そんな風だと妹さんが大変だよ。誰だって白雪さんみたいにまっすぐじゃないんだから」


 どうやら二人は知り合いのようだ。でも、お姉ちゃんは人の言う事なんて一切聞かないんだよ。そんな言い方をしたらお兄さんがバラバラにされちゃう!


「どういうことか、説明してよ。五味くん」


 なに?あのお姉ちゃんが……人の話を聞く……だと!


 お父さんやお母さん、富士夫兄ちゃんやお義姉ちゃんの言う事なんか絶対聞かなかった。ついでに学校の先生の言う事さえも全然聞かなかった、あのお姉ちゃんが、お兄さんの話を聞いている……。


 なんだ、あのお姉ちゃんの表情は!? あんな表情のお姉ちゃん、私生まれてからずっと見た事ない。すごい!すごいよお兄さん!!!!!!


 しばらくお姉ちゃんは、お兄さん(五味くん、と呼ばれてた)と凄く楽しそうに話していた。本当に楽しそうに。


「それじゃあ帰るわよ、椿」


 明らかに機嫌が良くなったお姉ちゃんは、私に声をかけた。


「僕も帰るよ、あんまり遅いと神崎さんがうるさいんだ。それじゃあね。白雪さん、妹さん」


 あ、そういえば名前!


「あ、あの私、白雪椿です。お姉ちゃんの妹です」


「僕はナナオ。五味ナナオっていうんだ。よろしくね」


 私とお姉ちゃんに手を振るとナナオさんは、ものすごい勢いで地蔵坂を駆け上がっていった。……多分だけど車より早く感じたんだ。


 横を見るとお姉ちゃんが手を振っていた。男の人にだ!信じられん!

 そんな私を見たお姉ちゃんは不思議そうな顔で尋ねてきた。


「なによ、椿。私、何かおかしかったかしら?」


 首を縦に振るべきか横に振るべきか悩んでいたら、「帰るわよ」って言われて背中を押された。

 夏の訪れに華やぐ夜の街角。自転車を押しながら、私はお姉ちゃんに聞いてみた。


「逃げてごめんね。お姉ちゃん、怒ってないの?」

「そりゃあ怒ってるけど、五味くんに言われちゃった。自分ができる事だって言って、あんたに押し付けるのは間違ってるって。だから今後は少しづつ、あんたの勉強に付き合うわ」

「……」

「五味くんに感謝しなさいよ。チェーンまで直してくれたんだって」

「お姉ちゃん、あのナナオさんの言うことはしっかり聞くんだね。他の人の言うことなんか聞かないのに」


 それを聞いたお姉ちゃんは笑いながら私に言った。


「そりゃあそうよ!アイツ私よりすごいんだから。……多分世界を救えるくらいね。まあ、私も負けてられないけど」


 世界を救うとかは冗談として、お姉ちゃんは本気でそう答えてくれた。


 二人で自転車を押す初夏の帰り道は、そんなに悪いものじゃなかった。

 多分、私はお姉ちゃんのことはずっと苦手なんだろう。今はそれでもいいと思った。

 ナナオさんは何も言わなかったけど、苦手でもずっと一緒にいる事の方が大事なんだと思った。


 もし、それでも嫌になっちゃったら……神楽坂のコンテナに行こう。






いつもご愛読いただいありがとうございます。

火、木、金曜 18時の週3回投稿になります。火木金曜はナナオの日 お忘れなく。

『続きが気になる!』『面白い!』と思っていただけたら、

下の星を【★★★★★】にして応援してくださいませ。嬉しくて頑張っちゃいます!

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