不思議な同盟
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
本日は、ヴァンス、ラプター、神崎の話になります。
どうぞお楽しみください。
時は戻って、夕闇が忍び寄る租界地区の地下工廠。
その一角にあるヴァンスのラボの扉が激しく開かれた。そこに立っていたのは、米軍最強のF22ラプターことスーザン・メイだった。
いつもの「ラプター大尉」としての仮面をかなぐり捨てた彼女の顔には、隠しきれない疲弊と焦燥が張り付いていた。
「……ラプター君かい? どうしたんだい、そんな血相を変えて」
作業の手を止めたエリオット・ヴァンス博士が怪訝そうに眉をひそめる。
スーザンはラボの床に足を踏み入れると、一息に苦渋の真実を吐き出した。
「ナナオがSPCの豪華客船『セフィラ・マジェスティ』に同行した。……そして、白雪湊も誘拐されたの。でも、無事よ。花園神社でナナオから『ヴァンス博士に伝えてくれって』伝言を頼まれたの」
「なんだって!? じゃあ、……」
「問題はそこじゃないわ、ヴァンス。この誘拐劇に……F35ライトニング・ゼロが、私の妹アリス・メイが加担しているのよ」
ぐっと拳を握りしめるスーザン。その瞳に悔し涙が滲む。
司令部からはすでに、F35のSPCによる鹵獲の件に関して「一切の干渉は禁ずる」と冷厳な命令を下されていた。合衆国の後ろ盾を失った彼女は、今やたった一人の「姉」として、孤立無援の立場に置かれていた。
「それでも……あの子を助けたいの。SPCの大義に共感して、自分の意志で合衆国と日本を裏切る形になっているけど。私は妹を連れ戻したいの。私に力を貸して、ヴァンス……!」
スーザンの切実な訴えに、ヴァンスは深い溜息をつき、頭を抱えた。
——とっさに思いつくのは、航行AIエルピスの存在。超常的な演算・ハッキング能力、加えて空中の元素を固定するという破格の機能を持つその人工知能に協力を仰げば、この手の追跡や暗号解析など一瞬で解決する。
しかし、ヴァンスはその事実を知りながらも、エルピス本人が「白雪とヴァンスと言った『自分が選んだ人物』にしか存在を明かしていない」という掟を固く尊重していた。安易にその禁忌に触れるわけにはいかないという、矜持と葛藤がヴァンスの胸を締め付ける。
「すまない、ラプター君。僕の権限と手持ちの機材じゃ、国際海域を航行するSPCの巨大客船をピンポイントで追うのは……」
その時だった。ラボの自動ドアが再び開き、女子寮の一員である強化人間の少女・スズメが、青ざめた顔でタブレット端末を片手に飛び込んできた。
「――ヴァンス博士っ大変です! 大変なことが起きました!」
「どうしたスズメ君、そんなに慌てて」
「これを見てください!」
スズメが突き出したタブレットの画面には、租界地区で運営されている大運動会サイトの受付メールに投稿された、世界中の裏社会で使われるタレコミ用の匿名掲示板のキャプチャが映し出されていた。
「租界地区のネットワークに、世界中のスパイや情報機関の方たちから……匿名で大量のデータが続々と送られてきているんです!」
「スパイから……?」
「はい! ……これを見てください」
スズメがタップすると、そこには信じられないファイル群が表示された。
東京湾を深夜に出港した『セフィラ・マジェスティ』のリアルタイムの正確な位置情報。F35ライトニング・ゼロ(アリス)が白雪湊を背後から強襲し、生体電流で気絶させた決定的瞬間をとらえた高解像度写真。さらには、花園神社でナナオがSPCの面々に囲まれて同行していく様子を収めた、詳細なテキストファイルと画像データの一式。
「なんだこれは……世界中の情報機関が、一斉にこの情報をリークしてきたって言うのか?」
「そうです。ロシアの情報屋も、ヨーロッパの諜報員も、果ては米軍内部の反撥勢力まで……みんなバラバラのルートで、この追跡データをうちのサイトやダミーアドレスに送ってきてるんです」
スーザンは目を見開いた。
白雪湊——租界地区のアイコンであり、世界中のスパイやアンダーグラウンドの住人たちから、ある種の「アイドル/マスコット」として異常なほど愛され、マークされていた女傑。
その彼女が何者かに攫われたと知るやいなや、世界中のスパイたちが怒りと焦燥に駆られ、「匿名の情報提供」を仕掛けてきたのだ。
「す、凄まじいな……。白雪君、どれだけ世界中の裏社会に愛されているんだ……」
ヴァンスが呆然と呟く。
おかげで、『セフィラ・マジェスティ』が今どこを走り、どこへ向かっているのかという「位置情報」は、世界最高峰の精度で手に入ってしまった。
「位置が分かったところで、相手は海の上。この租界地区からどうやって追いつくっていうの……移動手段が――」
司令部の許可なしでは飛行する事もかなわず、絶望しかけたスーザンの言葉を遮るように、ラボの入り口の警報音が軽快に鳴り響いた。
「――失礼するわよ。一体どうなってるのこれ!」
ラボに足を踏み入れてきたのは、警察庁公安第四課の室長・神崎玲奈だった。
彼女の顔もまた、寝不足と怒りと困惑が入り混じった凄まじいものだった。彼女は手元のスマートフォンを叩きつけんばかりの勢いでヴァンスに見せつける。
「見てちょうだい、警察庁の公式窓口も、公安第四課のセキュア回線も、私の個人業務回線に至るまで……世界中の諜報組織から『白雪湊を救出せよ』『セフィラと交渉せよ』っていうタレコミメールで完全にパンクしてるわよ!」
「神崎君……君のところにも?」
「当たり前でしょ! ……まったく、ナナオのやつ! 一体何を考えてるのよ、勝手に異国の怪しい豪華客船にお持ち帰りされて、世界中のスパイを大暴走させて……!」
頭を抱えて天を仰ぐ神崎。国家の治安を守る公安に、テロリストや各国の諜報員から「白雪湊救出リポート」を連日送りつけられるという、前代未聞のシュールかつ絶望的な事態に陥っていた。
だが、神崎の目は怒りだけでなく、確かな「決意」の光を宿していた。
世界中から寄せられた膨大な位置データ。そして、国家の枠組みを超えて集まった無数の「追跡の糸口」。
「……嘆いていても始まらないわね」
神崎はふっと息を吐き出すと、スーザンとヴァンスを鋭く見据えた。
「位置は割れている。世界中のスパイがアシストしてくれているお陰でね。……問題は、あの船にどうやって乗り込むか、その『足』よ」
神崎玲奈の言葉に、スーザンもヴァンスも押し黙った。
相手は国際海域を快走する欧州金融シンジケートSPCの客船『セフィラ・マジェスティ』。外洋船でありながら時速九十キロ(五十ノット)に迫る高速巨大船、通常の民間機や軍の移動手段では追いつけない。かといって、玲奈の生家である巨大コングロマリット「扶桑重工」の軍用輸送機や特務艦を公然と動かせば、アメリカや日本政府、SPCに即座に察知される。
「……私の実家(扶桑重工)のルートを使えば、一応の輸送艇や特殊装備は手に入るわ。けれど、父親にだけは絶対に貸し作りたくないし、あんな家のかかわりはもうごめんなんだから、極力使いたくはないのよね……」
玲奈は煩わしそうに吐き捨てると、自分のこめかみを押さえた。父への反発心から、たとえ国家のトラブルであったとしても、実家のリソースを頼ることは彼女にとって最大の屈辱だった。
その時だった。玲奈のスマートフォンの画面が再び激しく明滅した。
表示されたのは、圧倒的な財力と情報網を持ち、いまや半ばオブザーバーとして租界地区の地下女子寮の住人となりかけている人物からの通信要請だった。
「……っ。よりによって、このタイミングで」
玲奈が苦虫を噛み潰したような顔で受話器を取る。相手は他でもない、松河だった。
「もしもし、玲奈ちゃん? やだねぇ、公安のおえらいさんがこんな時間に世界中のスパイからラブレター貰いすぎて、すっかり人気者じゃない。で、 白雪ちゃんが拐われたって聞いたけどさぁ」
スピーカーから響いてきたのは、艶やかなオネエ口調の松河の声だった。
以前よりも芯の通った声に玲奈は目を細め、意図的に冷たい声で切り返す。
「……白々しいわね、松河。あんた、もう情報を掴んでるわけ? なら話が早いわ。今すぐ、あの洋上の『セフィラ・マジェスティ』に追いつけるだけの『移動手段』を用意しなさい」
「おや、随分と強気ねぇ。ワタクシちゃんに何の権利があってそんな命令を――」
「――あるでしょ。あんたが過去にやらかした『F35の鹵獲』を見逃してやった、あの巨大な借りがね」
玲奈の言葉に、通信の向こうの空気がピタリと静まり返った。
それは松河にとって、一歩間違えれば日本政府を敵に回しかねない大きなミスだったが、玲奈の見逃しによって救われ、最終的には合衆国から不問に処された件だった。
「……ほう。それを持ち出すかい?」語りが男声になる松河。
「口調が素に戻ってるわよ……ええ、使わせてもらうわ。今すぐその借りを返しなさいよ」
玲奈の冷徹な駆け引き。だが、松河はそこでふっと優しく、そしてどこか誇らしげに声を弾ませた。脅されているというのに、そのトーンには確かな情愛が満ちている。
「いいわよ、玲奈ちゃん。その脅し、喜んで乗ってあげる」
「……は?」
「勘違いしないでね。脅されたからじゃないんだから。……私ね、あの白雪ちゃんには頭が上がらないのよ」
松河の口調が、より一層親愛に満ちたものに変わる。
「私や玲奈ちゃん、ううん、世界中がこれまで見捨て続けてきた、行く場のない強化人間の女の子たち……あの地獄の底の彼女たちを、白雪ちゃんは『女子寮』の一員にして、眩しい笑顔に変えてくれた。あの子のおかげでさ、租界地区の地下には初めて本当の温もりが生まれたのよ。あのお嬢ちゃんに、私たちは計り知れない恩を受けてる……。パトロン気取ってるわけでも無いわ、私はただの『租界女子のお姉さん』だからね。自分の恩人が鳥籠に囚われてるってのに、黙って見過ごせるわけないでしょ?」
松河の言葉に、その場にいた強化人間ラプターことスーザン・メイもヴァンス博士も、そして神崎玲奈自身も息を呑んだ。
大企業の嫌味な御曹司を気取りながら、その実『租界女子のお姉さん』として女子寮の住人を心から慈しむ松河の温もりは疑いようもない本物だった。
「これで借りは帳消しだね、玲奈ちゃん。それに、あの子の身を案じる僕個人の誠意としてもね……極秘裏に改造した、SPCのレーダーを完全に欺瞞する超高速の海上ステルス揚陸艇を準備してあげるよ。あと最強の助っ人も用意するつもりだ。自慢の可愛い子たちを乗せる、最高のお迎えだ」
「……っ。助かるわ、松河」
「礼なら、無事に白雪ちゃんを連れ戻してから言ってちょうだい。……それと、ナナオ君のこともよろしく頼むわ。あの子も、私たちにとって大切な太陽だからさ」
ツウ、ツウ、と通話が切れる。
冷ややかな脅し合いから始まった交渉は、白雪湊という少女への底知れない感謝と、お姉さんとしての情愛によって、不思議な同盟へと姿を変えていた。
「……っまったく。松河のヤツ、本当に良いトコ持ってくんだから。それじゃ」
玲奈は小さく悪態をつきながらも、どこかすっきりと晴れ渡った表情でスマホをポケットにしまった。
世界のスパイたちがもたらした位置情報。そして、松河が提供する極秘の海上ステルス艇。
「世界で最も愛された女傑」を救うためのパズルピースが、ここにすべて揃った。
「準備はいいわね、ラプター、ヴァンス博士」
神崎玲奈は不敵に笑う。
「アメリカも日本も出し抜いてやろうじゃない。――私たちの『IINCHOU』を、迎えに行くわよ!ああ、ついでにナナオも殴ってやらなきゃね」
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