加害者と被害者
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本日は、白雪の復活祭です。
どうぞお楽しみください。
東京湾の埠頭——夜の静寂の中に佇むのは、欧州金融シンジケートSPCが誇る巨大豪華客船『セフィラ・マジェスティ』。
漆黒の海に浮かぶ巨大なその姿は、華やかな客船というよりも、世界の金融を操る城塞そのものだった。
自動運転のミニバスが静かに停止し、ハッチが開く。
ナナオたちはコラスたちやアリスに促されるまま船内へと足を踏み入れた。
豪奢な絨毯が敷き詰められた廊下を抜け、案内されたのは最深部にあるプライベート区画——フランチェスカの私室だ。
アリスの手によって、意識のない白雪湊がふかふかのキングサイズベッドへとそっと横たえられる。
「……ふぅ。これでひとまず安心ね」
F35ことアリスは静かに息を吐くと、ベッドに横たえた白雪のよだれを、備え付けのティッシュで苦笑しながらふき取った。
アリスやコラスたちが後片付けや出港準備のために席を外すと、室内にはベッドで眠る白雪、オットマンに腰掛けるナナオ、そして部屋の隅にポツンとうずくまるフランチェスカだけが残された。
黒いゴスロリ服に身を包んだフランチェスカは、未だに自分のしでかした裏切りへの罪悪感から肩を小さく縮こませ、オットマンに座るナナオの様子を部屋の隅から恐る恐る窺っていた。
「……ごめんなさい、私の神様……。私……私、どうしてもあなたに……」
低い女性の消え入りそうな涙声。
ナナオは静かに彼女を見上げると、いつもの穏やかな瞳で首を振った。
「いいんだ、フランチェスカさん。責めに来たわけじゃないよ。……君がずっと苦しそうだったから、話を聞きたかったんだ」
「……っ……!」
怒りも憎しみもない、まっすぐで優しい眼差し。
その温もりに溢れ出た涙を拭いながら、フランチェスカはぽつり、ぽつりと胸の奥を明かし始めた。
「……私はね、母上……お嬢様から逃げ出したかったの。幼い頃から『男の子』として生きることを強制され、失敗すれば折檻されて……心が壊れそうだった。この服もね……『私は女の子なんだ』って……」
大きな黒のリボンを揺らす彼女の肩が情けなく震える。
「新宿の空にあなたが虹の橋をかけて、強化人間の女の子2人と新宿の街を救った奇跡を『観測』したとき、どうしても会いたくなって日本にコラス達を連れてきたの……」
「そして、あなたに出会った時、分かったの。……この人なら、神様みたいなあなたなら、あのお嬢様の冷たい呪縛から私を……私たちを連れ去ってくれるんじゃないかって……っ! だから……母上に奪われる前に、どうしてもあなたを連れて逃げたかった……」
「俺を……頼ってくれたんだね」
「でも……そのために無関係な女の子を巻き込んで……あなたを裏切ってしまった……っ! 私は……なんて最低な……っ」
罪悪感に苛まれ、顔を覆って咽び泣くフランチェスカ。ナナオは、部屋の隅にうずくまるフランチェスカの横に座ると静かに言葉をかけた。
「ううん。理由が分かってよかった。……俺はね、棄てるって言葉も、見棄てられるのも嫌いなんだ。……君たちのこと、絶対にそのままにはしない」
その声にフランチェスカは隣に座るナナオを見た。まっすぐと自分を見つめる彼にフランチェスカは一つの確信を持った。
「……やっぱりあなたは私の神様だ……」
そのあまりに真剣なフランチェスカの物言いに、ナナオは苦笑しながら答えた。
「フランチェスカさん……神様はちょっと……僕はナナオって呼んでほしいな」
「わかった……な、ナナオ……」
ためらいながら名前を呼んだフランチェスカの顔は熱を帯びていた。蠱惑的な女性であるにもかかわらず、非常に初々しい反応だった。ナナオの許しに安心したフランチェスカは、そのまま彼に頭を預け眠りについた。
ふたりが静かな言葉を交わしている間にも、足元から微かな、重低音の振動が伝わり始めていた。『セフィラ・マジェスティ』に搭載されたハイブリッド・ガスタービンと水ジェットブースターが時速90キロ(50ノット)もの速度をたたき出しながら、東京湾を静かに滑り出し、夜の闇に乗じて怒涛の加速を開始していた。
エンジンの微細な振動の心地よさと程よい船の揺れ、隣にいるフランチェスカの柔らかい温かさと甘い匂いにナナオは微睡みを覚えると静かに目を閉じた。
◇◇◇
——何時間か経過した早朝。
船はすでに伊豆諸島を遠く走り抜け、日本の排他的経済水域(EEZ)すら越えて外洋へと突入していた。
「おはよう!代行者様、朝ごはんの時間だよ」
「ダメだよ、名前で呼んでほしいんだってフランチェスカが教えてくれたよ」
「ナナオ、起きなさいな。うちのチビさんたちが一緒に朝ごはん食べたいんだって」
「私、アリエスと違って名前で呼ぶの恥ずかしいよ……」
「ナナオ君、コラス達とフランチェスカが朝ごはんの用意をしてくれたわよ」
にぎやかな声にナナオは目を覚ます。
目を開けると、小学生の低学年くらいのコラスたちがナナオを笑いながら覗き込んでいた。
部屋の隅にいたナナオには毛布が掛けられていた。恐らくフランチェスカは先に起きたのだろう。
フランチェスカの私室、船とは思えない広い部屋の一角には二〇人は座れるであろう大きなテーブルが据え付けられていた。
既にコラスの年長組やアリス・メイは席についていた。
「おはよう。起きたんだね、ナナオ。一緒に食事をしたいんだけど、いいよね」
朝食の乗ったワゴンを押しながら、部屋に入ってきたフランチェスカは明るく笑った。
昨日の話が彼女の気持ちを切り替えられたのだろうとナナオも嬉しくなった。
「ああ、一緒に食べようかみんな。きっと美味しいんだろうな」
そんな爽やかな空気の中、未だにベッドで横たわりながら「ちゅみちゅみ」と寝言を言っている白雪に気が付くとナナオは顔をじっと見た。
(……白雪さん、本当にあれからずっと寝てるな。途中でパカーンって目を覚まして『ここはどこ!?』って叫ぶかと思ってたんだけど……)
と、その時だった。
「……ん……ふごっ!?」
ベッドの上で、白雪湊の身体が跳ねた。
うっすらと瞼が開かれ、どんよりとした寝ぼけ眼が天井の豪華なシャンデリアを捉える。
そして、数秒のフリーズの後——。
「……え? なにこの成金趣味の照明。うちの天井じゃない……」
失礼な言葉を吐きつつ、むくりと起き上がった白雪は、寝癖のついた髪をボサボサ揺らしながら周囲を見回した。
豪華な革張り家具、ロリータ服の美女、仮面を外した同じ顔の少女たち、そして——自分の目の前で素朴に首をかしげている五味ナナオ。
「……あ、白雪さん。おはよう」
「おはよう、じゃないわよ!! え、ちょっと待って、ここどこ!? 私、妹の椿に勉強教えなきゃいけない火曜日じゃなかったの!?」
開口一番、怒涛の勢いで叫び出す白雪。誘拐されたことよりも「妹の家庭教師の予定」を気にする大物ぶりである。
「ここは豪華客船の中だよ。……白雪さん、アリスさんに気絶させられて、そのまま連れてこられちゃったんだ」
「はぁ!? 誘拐!? 私が!?」
白雪は目を白黒させ、それから部屋の一角でテーブルについている強化人間少女——F35ことアリス・メイを指差した。
「思い出した! ちっとも帰ってこない椿を迎えに行く途中で……この金髪の子を見てから……えーっと、何だっけ?」
「……後ろから首筋に生体電流を流したのよ。ごめんなさい。軽く睡眠誘導をするレベルだったんだけどね……」
苦笑いの表情で謝罪するアリス。しかし、誘拐の事実を前にしても白雪は一歩も引かない。
「っていうか五味くん! アンタなんでここにいんのよ!? 一緒に捕まってんじゃないわよ!」
「いや、俺は白雪さんを助けるために、自分から一緒についてきたんだけど……」
「助けるために一緒に捕まってどうすんのよ!! 助けるならその場で私を引っ張り戻しなさいよ! なんで悪の軍団と仲良く移動してんのよ! 遠足じゃないのよ!?」
「あ、でも車の中でアリスさんが白雪さんに膝枕してくれてたよ。白雪さん『ふごふご』言って車でも船でもよだれ垂らして熟睡してたし……」
「よだれとか言わないで!!」
真っ赤になって絶叫する白雪の勢いに、普段は冷徹なリアリストであるはずのコラスたち(アリエスやジェミニ)も引き気味に顔を見合わせている。
白雪はガシガシと頭をかくと、ベッドから飛び降りて仁王立ちになった。
「はぁ〜……もう意味が分かんない! 五味くんはズレてるし、私はよだれ垂らして寝てたらしいし! で!……実行犯は分かったけど、どいつが首謀者なの?」
あまりの白雪の剣幕にコラス達は茫然と白雪を見つめる。
そんな中、ワゴンを押していたロリータ服の女性——フランチェスカがビクッと反応した。
「誰だか知らないけど……アンタがこの誘拐劇の犯人なわけ?」
怒りに荒れる白雪の勢いに、フランチェスカはびくりと肩を揺らし、先ほどまでの明るい笑顔を一転させて、大粒の涙を瞳に溜めて俯いた。この状況、最早どちらが誘拐犯か分からない。
あまりの剣幕に呆気に取られていたコラスの年長組、アリエスが慌てて割って入る。
「……待って。誘拐の計画を立てて未来観測で最適解を出したのは、私たちコラスよ。フランチェスカは最後まで反対していたわ」
さらにF35ことアリス・メイも、白雪の前に立ちはだかるようにかばい立てした。
「そうよ。フランチェスカは最後まであなたの解放を訴えてた。……全部、私たちの独断なの。彼女は悪くないわ」
泣きじゃくる「オリジナル」を、幼い少女たちが総出で必死にかばう構図。 その異様なまでの庇い様に、今度は白雪の方が「……は?」と拍子抜けしたようにあっけにとられた。
「……ちょっと待ちなさい。何だかややこしい事情があるみたいなのは分かったわ」
白雪はふぅと大きく息を吐くと、腕を組んでロリータ服のフランチェスカ、コラスたち、そしてアリスを一人ずつ見回した。
「なら、包み隠さず説明しなさい。内容次第では許してあげるわ。……ただし、とっとと私を家に帰してくれるならね!」
ズビシッ!! と勢いよく指を突きつけ、豪華客船の私室にいる面々に向かって堂々と啖呵を切る。
人質として誘拐され、敵の最深部に連れ込まれておきながら、一瞬でその場の主導権を握り、全員を従わせてしまう狂気のカリスマ性。
これこそが、租界地区のアイコンでありスパイたちのアイドル『世界のIINCHOU』——白雪湊という女傑の真骨頂だった。
その光景を見ていたナナオは、感心したように「……白雪さん、やっぱりすごいなぁ」と呟き、アリエスたちコラスは「な、なんなのこの人……人質なのになんでこんなに偉そうにしてるの……?」と完全に圧倒されていた。
残念ながらコラスたちもフランチェスカもアリスも、彼女が狂気の女傑「IINCHOU」である事など知る由もなく誘拐したのだった。本当に相手が悪すぎた。
(この子たちの『未来予測』って、あんまり上手く行ってないんじゃないかなぁ……)
ナナオはボソッと心の中でつぶやいたのだった。
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