箱庭の少女たち
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
本日は、コラスとF35ことアリスの話になります。
どうぞお楽しみください。
夕暮れの花園神社境内にて
ぐにゃりと世界が歪み、漆黒の影が視界を塗りつぶした——はずだった。
次の瞬間、眩い光が収まると、ナナオの目の前に広げていたのは異次元の扉などではなく、ごく普通の高級送迎ミニバスの革張りシートだった。
「……え? 車?」
「ええ、車よ、早く乗ってちょうだい。『男の子』の代行者様」
全員が手早くミニバスに乗り込むと車は静かに走り出した。
ナナオの隣に座ったアリエス(年長のコラス)が、白銀の仮面を膝の上で外し、イチゴミルクの紙パックをストローでちびちびと飲んでいる。
コラスたちの『空間移動』——その実体は、物理的なワープなどではない。
人間は、「一枚一枚の映像」を見ているだけなのに、脳がそれをつなぎ合わせて、途切れない世界として認識している。
コラス十二人の多重観測がやったのは、その「つなぎ目」に指を突っ込んで、ほんの一瞬だけ認識の連続をねじ曲げて途切れさせただけだ。
空間が歪んだように見えたのも、黒い影に包まれたように見えたのも、すべては観測者側の認知がバグを起こした結果生じた「錯覚」。
自分たちの存在が観測されなくなった数十秒の間に、彼女たちは普通に白雪を抱えて歩き、境内の裏手に停めてあった車に乗り込んで帰っていただけ——という、素朴な種明かしだ。
「……なんだ。空間を折りたたんでワープしたわけじゃないんだね」
ナナオが素直な感想を漏らすと、アリエスは呆れたように溜息をついた。
「当たり前でしょ。人間が空間そのものを記述し直して折りたたむなんて、そんな神技……世界で、あなたとあの小さな怪物にしか出来るわけないじゃない」
「小さな怪物って『ルクレツィア』のこと?……」
「そう。私たちがやってるのは、せいぜい認知の隙間に入り込むだけの『知覚のすり替え』。……でも、あの小さな怪物は本物よ。本当に憎たらしいけど代行者を名乗るだけのことはあるわ」
「……ふうん、ルクレツィアのことは苦手なんだね」
その言葉を聞いたアリエスは、キッとナナオを睨みつけて言った。
「私たちのことに土足で踏み込んでほしくないわ。フランチェスカがどうしてもって言うから協力してるけど、他所から招き入れるなんてしたくないの。あなたが代行者様であっても」
ナナオは頭をかくと、アリエスに頭を下げた。
「ごめんね。俺は人と話すことに慣れてないから、嫌な事を言っちゃったんだね」
まっすぐな謝罪を受けたアリエスは、少し驚いたような顔をした。
「……こっちこそごめんなさい。フランチェスカもずっと泣いてばかりいるし、アリスにだって誘拐なんて慣れない事させちゃったし、わたしも気が立ってたかも……」
小さな箱庭の中で育ってきたコラスたちにとって、外の世界から訪れる者はすべて警戒対象でしかなかった。
けれど、初めて触れる「異性」という存在への無意識の興味、そして何より、自分たちが「神」と崇めるほどの強大な権能を持つ代行者からの、あまりにまっすぐな謝罪。少女の心を解きほぐすには、それで十分すぎるほどだった。
ナナオからの謝罪に、アリエスは端正な顔をほんのり赤く染めた。それは初めての感覚だ。
「あーっ! アリエスが代行者様とお話してる」
「ずるいずるい、私もお話したい」
「男の子って初めてだよね」
「男の子じゃないよ、代行者様なんだよ。私たちの神様になるんだって」
年少組のコラスたちが、自律走行で無人に走るミニバスの後部座席からワラワラと顔を覗かせてくる。
この最新鋭の送迎バスにはドライバーすら存在しない。完全にSPCのネットワークと直結した安全な「動く箱庭」。
「こら、静かにしなさい。……代行者様が困ってるでしょ」
アリエスが少し赤くなった顔を誤魔化すように年少組を窘める。
十二歳になるアリエスとジェミニの年長組は、幼い容姿に反して情緒が非常に安定していた。コラス達全員で行う『未来観測』という権能を活用し、巨大金融シンジケートでもあるSPCの経済予測のアナリストとして最前線で働く彼女たち。その特殊な立場もあり、どこか冷徹なまでに大人であり、割り切ったリアリストに成長したのだ。
だからこそ——通路を挟んだ右側の二人掛けシートで、ボロボロと大粒の涙をこぼし続けている「オリジナル」の姿に対しても、どこか冷めたような静かな視線を向けている。
「……ごめんね……ごめんなさい、私の神様……っ。私……私、こんなことをしたくなかったの……っ」
低い女性の涙声。
男装の麗人「お兄様」としてSPCのフロントに立っていた時の責任感とカリスマ性は、いまや影も形もない。
張り詰めていた糸がプツリと切れたように、フランチェスカは子どもみたいに肩を震わせ、ハンカチで何度も目元を拭いながら、通路越しにナナオの様子を窺っていた。
過酷な仕打ちと無茶な強要をし続ける、絶対的な母親からの逃げ場のないプレッシャー。
その重圧に耐えかねて「神様」に救いを求めた結果、自分の手でその神様を裏切り、罪もない女の子を誘拐することになってしまった罪悪感。
彼女の根本にある「善性」が、自分自身の行動の矛盾に耐えかねて悲鳴を上げていた。
「フランチェスカ、あなたは悪くないわ。未来観測で最適解を出したのは私たちだし、代行者様も許してくれたもの」
アリエスがイチゴミルクのストローを咥えたまま、淡々と諭す。
泣きじゃくるフランチェスカよりも、幼いコラスたちの方が遥かに「大人の対応」をしている。そして仮面を外したコラスたちは年齢の違う同一人物の顔という歪な光景だった。
何かを言おうとしたナナオはその言葉を飲み込んだ。
(本当に踏み込んだら、彼女たちを傷つけるかもしれない……)
そう思いながらも、彼女たちの『歪さ』は、ナナオの胸の奥に確かな熱をフツフツと湧き上がらせていた。
(……これが、予定調和なのか?)
アリスは言っていた。貧困も、格差も、差別も……すべての断絶を失くし、誰も悲しまない世界を作るのだと。
だが、現実はどうだ。
重圧に押し潰されて子どもみたいに泣きじゃくるフランチェスカ。
幼さが隠し切れない年齢でも感情を殺し、大人以上に冷徹なリアリストとして自らを諦めているコラスたち。
社会の断絶を無くしたところで、この子たちが抱え込まされている『歪さ』はどうなるのだ。
誰かを救うための善意の陰で、身内の幼い少女たちの犠牲や悲鳴の上に成り立っている平和。そんなものは、ただの欺瞞でしかない。
(……彼女たちは予定調和に見棄てられているじゃないか……)
ナナオは“棄てる”という言葉が嫌いだった。自分自身がずっと母星から見棄てられた存在だったからこそ、誰かが同じように切り捨てられるのを、黙って見ていられなかった。
目の前の理不尽と歪みに対して、ナナオの心に「熱」が静かに灯った。
ナナオがふと最後部の四人掛けベンチシートへ視線をやると、そこには横たわる白雪湊と、彼女に膝枕をしているF35ことアリス・メイがいた。
「……ナナオ君。私のこと……軽蔑した?」
意識のない白雪の髪を静かに撫でながら、アリスが低く尋ねてくる。
高振動ブレードを納め、膝の上に置かれた彼女の手は、十五歳の少女らしくどこか不器用に強張っていた。
「ううん。アリスさんが『自分の大切な仲間を守りたい』って本気で思っているのは分かったから」
「……っ。……お姉ちゃん(スーザン)は、なんて言っていたの?」
「『一度思い込んだら一直線なのは相変わらずね』って言っていたよ。……あとでたっぷりお説教するって」
「……っ、もう! お姉ちゃんのバカ……!」
顔を真っ赤にして不貞腐れるアリスの膝の上で、人質なはずの白雪湊は「ふごふご……」とよだれを垂らして眠っていた。どこまでも大物である。
泣きじゃくる大人、冷めて大人びた子供たち、若い覚悟を決めた少女、熟睡する人質、そして神様と呼ばれた宇宙人。
そんな歪で奇妙な一行を乗せた自動運転のミニバスは、東京湾の埠頭に佇む巨大豪華客船『セフィラ・マジェスティ』へ向けて、宵闇迫る首都高速を静かに走り抜けていくのだった。
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