溢れ出す
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
本日は、心悩ませるラプターとナナオの会話です。
最後が波乱ですが
本日もお楽しみください。
終礼を告げるチャイムが鳴り響くと、白雪湊は素早く鞄を抱え直した。
「じゃあ、今日は妹の勉強を見る日だから! 二人とも、また明日ね!」
いつものハキハキとした声でそう告げると、嵐のように教室を飛び出していく。その後ろ姿を見送りながら、五味ナナオは隣で帰り支度をしていたラプターに声をかけた。
「白雪さん、忙しそうだね」
「……白雪って、妹がいたの?」
問いかけてきたラプターの口調は、学校や仕事で見せるエリート然として陽気な「ラプター大尉」としてのものだった。
「うん。椿ちゃんっていう中学二年生の妹がいてさ。勉強が苦手らしくて、毎週火曜日は白雪さんが家庭教師をしてるんだって」
「……へえ。仲が良いんだね」
そう微笑むラプターの瞳の奥に、ふっと寂しげな影が差したのをナナオは察した。
強化人間という特殊な立場だが、アメリカ人としての彼女には肉親がいるのだ。
お嬢様との会話にも出てきたF35ライトニング・ゼロ——アリス・メイ。
今年で15歳になる、白雪の妹である椿と年齢的にもそう変わらない少女だ。
ラプターことスーザン・メイの生家は、アメリカ南部の至って普通のサラリーマン家庭だった。共働きの両親は、国家への忠誠心が人一倍強い以外はどこにでもいる平凡な人々だった。
だが、彼女たちが10歳を迎えた年、すべてが変わってしまう。
アメリカ全土で行われる「全国民一斉適合試験」。
強化人間の適正として最も必要とされる左脳と右脳を繋ぐ脳梁の異常発達と、外部電子端末との並列処理適性、人工筋肉や人口内臓との免疫適正——10万人に1人という絶望的なまでの低確率を叩き出した姉妹は、その類稀な「才能」ゆえに、瞬く間に両親の手から引き離された。
待っていたのは海軍士官学校での過酷な教育と、人間性を削ぎ落とし、軍人としての育成を目指す肉体訓練、そして強化人間としてのサイバネティック処置の日々だった。
白雪姉妹のように、放課後に宿題を教え合ったり喧嘩をしたりするような日常など、どこにも存在しなかった。姉妹として思い合う時間すら与えられず、ただ最高性能の「兵器」として別々に扱われてきたのだ。
(……私は、妹に何もしてやれていない)
伏せられた彼女のまつ毛が小さく震えている。ナナオは何も言わず、ただ静かに彼女の横顔を見つめていた。
◇◇◇
夕暮れの新宿。鳥居の朱色が血のように赤く染まる花園神社の境内に、二人の足音が寂しげに響いていた。
境内に人の気配はない。石段の途中で足を止めたラプターは、長い影を引きながら振り返った。その顔には、いつも見せている「ラプター大尉」の笑みが張り付いていた。
「……ねえ、ナナオ。日本の神社って、なんだかすごく神秘的でクールだよね。放課後に呼び出したりして、ごめんね?」
いつもの軽快で、どこか大人びた「ラプター大尉」の話し方。
けれど、その声は微かに擦れ、途切れがちだった。必死に強がり、ペルソナを保とうとすればするほど、彼女の痛々しさが浮き彫りになっていく。
「ラプター。無理して笑わなくていいよ」
「……え?」
「白雪さんもいないし、ここは教室でもない。無理に『ラプター大尉』でいなくてもいいんだ」
ナナオの静かな言葉に、ラプターはハッと目を見開いた。張り詰めていた糸がプツリと切れたように、その顔から作ったような笑みが消え去っていく。
「……あはは。バレちゃってるか。……参ったな」
自嘲気味に呟く彼女の肩が、小さく揺れ始めた。
「あたしさ……ずっと頑張ってたんだ。軍の士官として、米軍最強、世界最強の強化人間として、完璧に振る舞わなきゃいけないって。……でも、もう限界なの」
ぽつり、ぽつりとこぼれ出す言葉。
10歳で日常を奪われ、そして今や国からも軍からも駒として、大切な妹までも切り捨てられようとしている、単なるスーザン・メイとしての悲鳴だった。
「あたしの命なんて、どうなったっていい……! でも、アリスだけは見棄てたくない……あの子だけは助けたいんだ……っ!」
夕空の下、年相応の少女に戻ったスーザン・メイの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……見棄てる、か」
ぽつりとこぼれたナナオの呟きは、夕陽が差し込む境内に静かに溶けていった。
その言葉の響きに、ナナオ自身の胸の奥がひりひりと痛む。
遥かな宇宙の彼方から、ただ一人地球へと辿り着いた自分。あの果てしない孤独の中で、自分もまた「棄てられた」存在だった。だからこそ、自分の命と引き換えにしてでも妹を救おうとする少女の悲痛な叫びを、どうしても他人事には思えなかった。
「スーザン」
ナナオは「ラプター」ではなく、彼女の本当の名前を優しく呼んだ。
肩を震わせて泣きじゃくる少女の前に静かに一歩を踏み出し、目線を合わせるように少しだけ体を低くする。
「自分の命なんてどうなってもいい、なんて言わないでよ。……そんなの、すごく悲しいじゃないか」
「な、ナナオ……」
「君が自分の命を棄てたら、残された妹さんはどうなるの? 助けてもらえたとしても、お姉ちゃんを失った妹さんは、きっと一生自分を責め続けるよ。白雪さんだって……君が勝手にいなくなったら絶対怒っちゃうよ」
ナナオの瞳には、一切の打算も偽りもなかった。
宇宙船での果てしない孤独を知っているからこそ、大切な誰かを失う悲しみも、誰かに見棄てられる絶望の冷たさも、痛いほど理解できるのだ。
「俺はね、棄てるって言葉が嫌いなんだ。……人も、夢も、命も。壊して失ってしまうのは簡単だけど、直して、拾い上げて、守っていく方がずっと良い」
ナナオはそっと手を伸ばし、涙に濡れたスーザンの細い肩に手を置いた。常人なら骨ごと粉砕してしまうほどの筋力を、彼は今、優しく慎重にコントロールしている。
「妹さんを助けよう、スーザン。君も、妹さんも、二人とも助かる方法を考えよう」
「でも……! 妹の件では軍のバックアップもないんだよ!?合衆国本国を敵に回しちゃうんだよ……!金融シンジケートのSPCだって!一体どうやって……」
「俺がいる」
まっすぐな、揺るぎない瞳だった。
「俺が君の力になる。同情なんかじゃないよ。君が妹を想う気持ちが本物だって分かったから……俺が、君たちの味方になりたいんだ」
夕陽を浴びながら微笑むナナオの姿は、おとぎ話に出てくる王子様のように、どこまでも直球で、愚直なまでに優しかった。
スーザンは息を呑み、涙で滲む視界の中でナナオの顔を見つめ直した。
米軍や世界の戦場で、兵器として扱われることしか知らなかった彼女の心に、暖かな光がじんわりと広がっていく。
(……ああ。だからあたし、この人の側にいたいんだ……)
その時、ナナオの脳内に、慣れ親しんだ冷やかしの声が直接響いた。
『ナナオ。地球の17歳男子高校生としては、いささかキザが過ぎてこちらが恥ずかしくなってきますよ。ぷぷぷ』
『SPCという組織は未だに不透明ですが、お嬢様は交渉の余地はありそうですね。米軍への打診に関してはヴァンスや神崎玲奈への協力依頼は必須になるでしょう。カッコいい事を言ってもナナオでは骨が折れる交渉ですよ』
エルピスはいつものように皮肉交じりの解説を口にしながらも、バックグラウンドで猛烈な速度の演算を開始していた。
『外部介入は趣味ではありませんが……まあ、ナナオがそう決められたのでしたら、全力でサポートするしかありませんね。……やれやれ、これだからナナオには手間がかかります』
「……ありがとう、エルピス」
「え? ナナオ、いま何か言った……?」
涙を拭いながら首をかしげるスーザンに、ナナオは照れくさそうに「ううん、独り言」と笑って首を振った。
「さあ、いこうスーザン。まずは、地下工廠で温かいお茶でも飲みながら、妹さんを救い出す作戦を練ろう。白雪さんにも……後でちゃんと相談しようね」
「……うん! うんっ……ありがとう、ナナオ……!」
涙を拭い、今度こそ心からの笑みを浮かべたスーザン。
刹那、夕暮れの風でざわめく境内の木々の音や遠く聞こえた車のクラクションがパチンと真空になった。
「ごめんね、私の神様。もう時間が無くなっちゃった」
思わず振り向いたナナオの視線の先に立っていたのは、漆黒のゴスロリ服を身に纏った美女——フランチェスカだった。
だが、「お兄様」と呼ばれていた男装の麗人の芝居じみた声ではない。低く、静かな大人の女性の涙声だった。
「あの時の……!?」
ナナオが身構えた瞬間、彼女の背後に静かに佇む人影が蠢いた。
白いマントを羽織り、白銀の仮面を被った十二人の「コラス」。彼女らは言葉を一言も発することなく、すっと腕を上げ、一斉に境内の影を指し示す。
その視線の先に立っていたのは——表情を消し去った、F35ライトニング・ゼロ。
そしてその腕には、完全に意識を失い、ぐったりと力なく横抱きにされた白雪湊の姿があった。
「アリス……!? 白雪……!!」
目を見開くスーザンの悲鳴が、夕焼けに染まる境内に響き渡る。
いつもご愛読いただいありがとうございます。
火、木、金曜 18時の週3回投稿になります。火木金曜はナナオの日 お忘れなく。
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