親という名の壁
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
親子の在り方はそれぞれです。ヴァンス、お嬢様、そして神崎豪徳。
あとF35が可愛いです。フランチェスカも健気です。
本日もお楽しみください。
「……という仮説を立てたんだが君はどう思うかい?」
地下工廠の静寂の中、ヴァンス博士はモニターに並ぶ複雑な数式と幾何学パターンから目を離さずに問いかけた。
空中に浮かぶ光の粒子が形を結び、エルピスの静謐な声が工房内に響く。
『驚きました。詳細な技術構造までは開示できませんが……私が搭載している空中元素固定装置の量子演算パッチのおおよその理論と適合しています』
「つまり、どういうことなんだい、エルピス」
『ええ。SPCはあなたが言ったように一〇〇〇年の時間をかけて、不完全ではありますが空中元素固定に近いフェイズにたどり着いています。しかも最新の科学的検証ではなく、物体観察における経験則や思考実験を繰り返し、体系立ててそこに至ったことが脅威です』
ヴァンスは深くため息をつき、眼鏡のふちを押し上げた。
「やはり、彼が得意とした物理や数学的思考ではなく、神の実在を中心に据えた哲学的アプローチ……『モナドロジー』による世界観測は、一つの答えだったんだな」
『ええ、皮肉なものです。中世最大の数学者でもある彼の哲学的アプローチの方が、物質世界の本質をとらえていたとは。……ヴァンス、人間にはあなたのような時代を変える知性が、世代を超えて誕生するのですね。人間は侮れませんね』
「わかった。これを早速みんなに共有しよう。神崎玲奈君も呼ぶのなら、松河重役も呼んでいいかい。彼女へのいい牽制になる」
『承知しました、ヴァンス。あなたもやはり神崎玲奈は警戒すべき対象ととらえているのですね』
「そうだね、エルピス。神崎君は何らかの思惑で行動している。九頭竜官房長官と同じで、自身の手札を隠し続けている。ナナオ君への態度もだ。君が彼女に名乗りを上げないのは、そこが気になるんだろう?」
『その通りですよ、ヴァンス。ですが、神崎玲奈の行動は把握できています。恐らくは彼女の父と戦うための準備なのでしょう。あなたと鳳凰との関係とはまるで違いますね。人間とは不思議です』
「子が親の壁を乗り越えるのも、愛情の一つの形なのかもしれないね。その親子の在り方自体は健全なのだろうが……ナナオ君を巻き込むのは感心しかねるがね」
『あなたたち親子とは真逆ですが、それでも健全というのですか』
「きわめて健全さ。……親子が理解しあえているのならね。ナナオ君への伝言、お願いするよ」
『わかりました。ナナオと白雪湊には私から連絡します』
光の粒子が霧散し、エルピスとの通信が途絶える。
静まり返った工房で、ヴァンスは消えたモニターの残光を見つめながら、煙草に火をつけた。紫煙の向こうで、ぽつりと独白が漏れる。
「……しかし、エルピスの言ったように、やはりあなたは中世のオーパーツ的な存在だったんだな。……ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ」
◇◇◇
ヴァンスの独白が消えた地下工廠の静寂から、遠く離れた太平洋上——ホノルル港で停泊する豪華客船『セフィラ・マジェスティ』のプライベートデッキ内の私室。
鏡の前に立つフランチェスカの指先は、不自然なほど細かく震えていた。
(……嫌だ。行きたくない……)
これから式場で行われる、米政府高官との「戦略的互恵経済協定」の締結式。
表向きは合衆国と巨大金融資本の輝かしいパートナーシップの象徴。だが、フランチェスカにとってそれは屈辱以外の何物でもなかった。
あの米国政府高官の男は、以前からフランチェスカの可憐な容姿を、舐めまわすような性的な視線で見つめていた。二人きりになると過剰なほどに腰や胸に手を触れてくる、あのねっとりとした手の感触を思い出すだけで、胃の奥から吐き気が込み上げてくる。
知識も分別もある。だが、その事情を当然知っていながら、「SPCの顔」として高官との握手役をフランチェスカに命じたのは、他ならぬお嬢様だった。
フランチェスカの嫌がる顔を見て、ホノルルで合流したお嬢様は満足そうに意地悪く微笑んでいたのだ。母親であるにもかかわらずだ。
あまりの苦痛と緊張に自室から出られず、ベッドの上に膝を抱えてうずくまっていた、その時だった。
ドアをノックする音が一度響き、返事も待たずにノブが乱暴に回される。
「入るわよー!」
入ってきたのは、ジーンズに薄手のシャツを引っかけただけの少女——F35ライトニング・ゼロこと、アリス・メイだった。
荒っぽい気性のアリスのことだ。返事もせずに引きこもっている自分に痺れを切らして怒りに来たのかと、フランチェスカは身構えた。
だが、アリスは何も言わず、ベッドの脇にどっかと腰掛けた。
力強い腕で自分より一回り身体の大きなフランチェスカをガバッと抱きしめると、大きな胸に彼女の頭をうずめさせた。
「ちょっと、アリス……!?」
「フランチェスカ。世の中ってさ、嫌なこともいっぱいだし、やりたくないこともいっぱいあるよ」
アリスはガサツな手つきで、フランチェスカの綺麗に整えられた髪をわしゃわしゃと力任せに撫で回した。
「私だってこんな性格なのに、日米双方を欺くために感情が無いお人形みたいな顔を、人前でずーっとしてるじゃない。ずーっとよ?……だからさ、もしあの気取ったくそエロ野郎にフランチェスカがお尻でも撫でられたら、私に言いなさい。私がそいつを引っ捕まえて、水平線の彼方まで持って行って投げ捨てて来てあげるから!」
力強い声。だが、その胸のぬくもりは温かかった。
「お嬢様は理不尽なことばっかりあなたに要求するけど……あなたは一人じゃないわ。私がいるじゃない。コラスたちだって、みんなあなたの味方よ。……それに、日本にいたナナオ君?だっけ。あの人だって、きっとあなたの味方になってくれる。良く分からないけど、あの人は神様みたいなものなんでしょ? 大丈夫! 神様なんだったらみんなを幸せにしてくれるよ」
「……アリス……」
涙目になるフランチェスカの頬を、アリスは自分のハンカチで乱暴に拭った。
フランチェスカはアリスの温かい胸に顔をうずめ、小さく呟く。
「……本当にアリスは乱暴だな。でも、すごく温かいよ。アリスが私たちの母上だったら……コラスたちも、私も、もっと幸せだったのに……」
「バカ言わないの! ほら、しゃきっと『お兄様』しなさい!」
ポンと背中を叩かれ、フランチェスカは立ち上がった。
深呼吸を一つ。そして、可憐な少女の顔から、凜とした男性的な声色へと切り替える。「お兄様」の仮面を被るために。
「……じゃあ、行ってくるよ。ライトニング・ゼロ」
「……いってらっしゃい。待ってるからね」
部屋を出ていくフランチェスカの後ろ姿を、アリスはどこか心配そうに見つめていた。
◇◇◇
協定締結式は無事に終わり、夜景を見下ろす特別室で、お嬢様は上機嫌にワイングラスを傾けていた。
米国との巨大な原油利権を握り、目的を果たした満足感。さらに東京でのナナオとの出会い。彼女はナナオとの接触は成功したものと考えていた。すこぶる気分が良いお嬢様は交渉の成功を娘に自慢したくなった。だが、その言葉はフランチェスカへ新たな理不尽を強いる事になる。
「そういえば、フランチェスカ。先日私が直接、五味ナナオを説得しに行った話はしたかしら?」
「……え……?」
フランチェスカの顔から血の気が引く。
「あの子ったらね、私が何を言っても黙って、真剣に話を聞いてくれたのよ。あんな荒唐無稽な話だというのにね。……ふふ、お互い代行者同士で通じ合うものがあったもの。恐らく彼は来るわ。私の元へ。わざわざ『空間観測』を使ってまで日本に移動した甲斐があったというもの。残念だったわね、フランチェスカ。彼はあなたの『聖人』にはなってくれないみたい」
煽るようにくすくす笑うお嬢様の言葉が、フランチェスカの胸を鋭く穿った。
フランチェスカにとって、五味ナナオという存在は単なるターゲットではない。この狂ったSPCの呪縛から自分を救い出してくれるかもしれない、崇拝に近い「自分だけの神様(聖人)」だったのだ。それを、お嬢様は嘲笑いながら奪い去ろうとしている。
さらに、お嬢様は追撃するように書類を弄んだ。
「そうそう、米軍との協定合意の中に、F35(アリス)の処遇についても記載させておいたわ。……あの子には、これから私とナナオの『予定調和』を手助けしてもらうために、この船から降りてもらうわね」
「……っ!?」
フランチェスカの中で、何かがぶちりと切れる音がした。
自分とコラスたちの唯一の理解者であり、心の支えであるアリスまでも引き離そうというのか。
蜘蛛の糸のように縋っていたナナオという希望を奪い、さらにアリスという光までも自分から奪い去ろうとするお嬢様の理不尽さ。
(——許さない)
胸の奥底で、静かな激しい炎が、母への憎悪として燃え上がった。
ナナオの身柄を、お嬢様よりも先に手に入れなければならない。彼が完全にお嬢様の手に落ちてしまえば、自分も、アリスも、コラスたちも二度と救われない。
「……承知いたしました、母上」
うつむき、深々と頭を下げるフランチェスカ。
その表情は影に隠れて見えなかったが、その瞳には、生まれて初めての明確な「叛逆」の意思が宿っていた。
そんな娘の気持ちを歓迎するかのようにお嬢様は優し気に微笑み返した。
いつもご愛読いただいありがとうございます。
火、木、金曜 18時の週3回投稿になります。火木金曜はナナオの日 お忘れなく。
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