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国家を揺るがすマヌケ

いつもお楽しみいただきありがとうございます。


 取調室の重い扉が開く。

 

 本庁のトイレで新しいパンツを履かせてもらい、部屋に戻ってきた俺は、向かいに座る神崎玲奈に声をかけた。

 

「あの、神崎さん。パンツ、ありがとうございます。助かりました」

「……黙りなさい」

 

 神崎さんの眉間が一瞬で険しくなった。

 彼女は手元のタブレットに目を落としたまま、顔を上げようとしない。

 

「それは単なる『緊急の措置』よ。あんたがあの時……その、変な液を出して汚したから、仕方がなくよ。変な誤解はしないで」


「デバイスじゃなくて、ただの生理現象だって言ったじゃないですか。……あんなに一生懸命まさぐられたら、普通はああなりますよ。ひどい話だ」


「っ、うるさいわね! 業務上の確認だったって言ってるでしょ!」

 

 神崎さんの耳の付け根が、真っ赤に染まっている。

 どうやら、さっきの検品で俺を至らせてしまったことを、事務的な理屈で必死にごまかそうとしているらしい。

 

 そんなやり取りを、隣に座る中年男性――本庁の上席管理官が、鋭い視線で遮った。

 

「神崎。……こいつか。米国かどこかの国が作った、新しい戦略兵器というのは」


「管理官。所轄からの報告によれば、事務用のペンと素手で鉄の机に文字を刻み込み、火花を散らすほどの出力を誇る個体です。ですが……言動はただのマヌケです」

 

 管理官は、俺がペンで鉄の机を彫刻したという報告書を凝視し、戦慄したように息を呑んだ。

 

「ふむ……。あえてバカのふりをして、相手を油断させる作戦か。……恐ろしいな」


「……正直に言いますけど。俺、母星から宇宙調査に捨てられた『宇宙開拓民』の子供なんです。ようやく地球に降りてきただけで、兵器とかじゃないですよ」

 

 俺は隠す必要もないので、本当のことを言った。

 部屋に、しんとした沈黙が流れた。

 

 管理官は呆れたようにため息をついた。

 

「……やれやれ。神崎、やはり頭の中が壊れているな。こんな高度な兵器に、昔のSF映画みたいな嘘の記憶を覚えさせるとは」


「そうですね。強化人間にはよくあるバグです。自分の正体を守るために、脳が勝手に妄想を信じ込んでしまう……。可哀想ですが、典型的な故障バグですね」

 

 俺は本当のことを言っただけなのに、二人はそれを「壊れた機械のノイズ」として片付けた。

 だが、神崎だけは、じっと俺を見つめていた。

 

(……おかしいわね)

 

 彼女は内心で首を傾げる。

 これまでに見てきた記憶混濁の個体は、もっと情緒不安定で、言葉に矛盾が多い。こいつの言っていることは、内容はデタラメだが、話の筋だけは変に通り過ぎている。

 

 それに加えて、事前に行われた知能テストの結果が異常だった。

 

 IQが尋常じゃなく高い。

 

 知能テストの測定不能域を軽々と超えてみせた。

 本人は無自覚なようだが、上層部はこれを「脳を薬物やナノマシンで強制ブーストする最新技術」の結果だと断定している。

 

 外見年齢は十代後半。

 肉体も知能も最高峰。

 

 それなのに、他人と接した形跡が一切感じられない。

 あまりに浮世離れした、社会性の欠落。

 知能が高すぎて、逆にこちらの常識が通用しない不気味さがある。

 

「……神崎? 早く手続きを。身元不明者の就籍しゅうせき処理は特例で済ませてある」


「……あ、はい。管理官。……ねえ, ナナオ。あんた、苗字はどうするの?」


「苗字? ……そんなの、考えたこともないですよ」

 

 宇宙船では「ナナオ」だけで事足りていた。

 困った俺は、脳内の腐れ縁にこっそり助けを求めた。

 

(なあ、エルピス。なんか地球っぽい苗字、適当に繕ってくれよ)


『了解しました。ナナオ、この国の姓名統計から、もっともあなたの「性質」を端的に表し、かつ社会に溶け込みやすい高貴な苗字を提案します。……「五つの味」と書いて、「五味ごみ」です。これなら誰に名乗っても不自然ではありません』


(ごみ、か。なんか響きはあれだけど、高貴な名前なら文句はないな)

 

「……あ、じゃあ『五味』で。五味ナナオでお願いします」


「五味……? 急に普通ね。まあ、いいわ。今日からあんたの名前は『五味ナナオ』よ」

 

『ぷぷぷ』

 

 脳内で、今まで抑えていたらしい笑い声が爆発した。

 俺が気づいていないだけで、この苗字には何か別の意味があるのだろうか。

 

 神崎さんは淡々とタブレットにその名を打ち込み、冷徹な視線をこちらに向けた。

 

「今日から一ヶ月、本庁が用意した部屋で『力の加減』を死ぬ気で練習してもらうわ」

 

 それからの一ヶ月は、俺の人生でもっとも繊細で、不毛な時間だった。

 

 本庁の地下訓練室。

 そこで俺が命じられたのは、豆腐を崩さずに箸で運ぶといったたぐいの特訓だ。

 

 そして何より、「ドアノブを回す」という地獄の反復演習。

 

「ナナオ! 今、ノブに八十キログラム余計な力が乗ったわ! 修理代、あんたの将来の給料から引いておくからね!」


「……ひどい話だ。数十キログラムの制御なんて、俺からすればあるんだか無いんだかわからない。それを『出さないようにする』ことがどれだけ無理難題か分かってますか?」


「一般人はそれを『触れた』とも言わないのよ! 黙って加減しなさい!」

 

 神崎さんは、血管が切れそうな顔で床に転がる無残な豆腐の残骸を指差した。

 

「いい? あんたが練習で失敗した食材を消費するために、今、この本庁舎に勤務する職員二千人の胃袋が、一ヶ月間『全食』、卵と豆腐だけで満たされているのよ!」

 

 本庁の地下にある巨大な厨房は、今や俺が量産する失敗作を加工するためだけの巨大工場と化していた。

 

「朝は生身を抜かれた卵かけご飯、昼は麻婆豆腐定食、夜は厚焼き玉子と豆腐ハンバーグ! 庁内食堂の献立表が、あんたの訓練スケジュールと完全に同期してるのよ!

 この一ヶ月、本庁職員のタンパク質源はあんたの『失敗』のみ! 捜査一課のベテラン刑事が、震える手で『また豆腐か……』って涙を流しながら啜っている姿を見たことある!? 早く加減を覚えなさい!」

 

 俺の感覚では、地球上のあらゆる物質は、まるで水面に浮かぶ泡のようなものだ。

 呼吸ひとつで崩れかねないこの世界で「普通」を装うのは、爆弾を抱えて薄氷の上でダンスを踊るようなものだった。

 

 だが、一ヶ月が経つ頃には、どうにか自分の出力をミリ単位まで封じ込める「脱力」を掴みかけていた。

 

 そして、運命の登校前日。

 

「いい、ナナオ。あんたの身分は、まだ『身元不明の拾い物』を更生させている段階の仮免許よ」

 

 神崎さんは、一ヶ月間の卵焼き生活で少しやつれた顔で俺に言い聞かせる。

 

「上層部は、あんたのその歪んだ社会性をまずは矯正すべきだと判断したわ。外見年齢も十代だし、脳をブーストした代償で情緒が欠落している可能性もある。だから、学校に行って社会性を醸成しなさい。そこで一般人の情緒を学んでくるのよ」


「学校、ですか」


「そうよ。ただし、絶対に目立たないこと。無理は厳禁よ。あんたが本気を出せば、校舎が更地になるんだから」


「分かってますって。普通、ですよね。ノブを回す練習なら完璧ですよ」


「その返事が一番怖いのよ……」

 

 神崎さんは深くため息をつき、俺に真新しい制服を手渡した。

 本庁がどこからか調達してきたそれは、生地だけはやたらと上等だが、俺の体格には微妙に合っておらず、少しだけ丈が短かった。

 

 こうして俺は、「五味ナナオ」という仮面を被り、未知の戦場――日本の学校へと放り込まれることになったのだ。

 

 ――まさか、あんなに練習したドアノブなんて一つもない、「引き戸」だらけの校舎が待ち構えているとは、この時の俺は知る由もなかった。

 

 本当に困った。 


いつもご愛読いただいありがとうございます。

毎日18:00投稿になります。

18:00はナナオ、お忘れなく。

続きが気になる!』『面白い!』と思っていただけたら、

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