本庁の女
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
今回はヒロインの1人、神崎玲奈の登場です。
今回こそ、相棒エルピスは助けてくれるのか?
お楽しみ下さい。
おっさん巡査が絶叫しながら部屋を飛び出して、数分。
取調室には、頬を染めたまま俺の指先を凝視するメガネの警官と、俺。
そして脳内で「ぷぷぷ」と笑い続ける相棒だけが残された。
(……なあ、エルピス。これ、どういう状況だ?
俺、お前の言う通りにしたよな。安定剤だって言うから、喉に触らせてくれって頼んだよな?)
『ええ、観測していますよナナオ。あなたのバイタル、困惑と不信感で面白いことになっていますね』
(面白がるな! おまわりさんが悲鳴を上げて逃げていったんだぞ。……これ、俺はとんでもないミスを犯したんじゃないか?)
『ミス、ですか。それは定義によりますね。
心理的な距離を詰めるという目的においては、ある種の劇的な効果を上げたと言えるでしょう』
(……お前、わざとやっただろ。絶対に確信犯だろ。敵よりタチが悪くないか?)
俺が脳内で相棒への恨み言を並べていると、扉が静かに開いた。
そこに立っていたのは、紺色のスーツをパリッと着こなした一人の女性だった。
髪は後ろで一つにまとめられている。 わずかに隈の浮かんだ鋭い眼差しが、室内を一巡する。
手には、分厚いタブレットPCを抱えている。
「…………」
彼女は部屋に入るなり、俺の顔を見ることもなかった。
ただ、机に刻まれた『 オ ナ オ 』の三文字を凝視する。そして、俺が握ったままのボールペンを見た。
「……警視庁の本庁から来ました、神崎です」
抑揚のない、事務的な声だった。
彼女は俺の向かいに座ると、小さくため息を吐いた。それからタブレットを起動し、俺の方に向ける。
「君がこれをやったのね。不法投棄監視カメラの映像よ」
画面には、夜空をあり得ない角度で跳ね回る影が映っていた。
俺の「空中スキップ」だ。
物理法則を無視した足場をドンドコと踏み鳴らし、爆音を立てながら飛び回るその姿。
映像で見ると、本人の必死さとは裏腹に、ただの不審者だった。
「……あ、これ、俺です」
「正直なのは助かるわ。……それで、あんたはどこの所属? 国? 企業? それとも海外の軍?」
矢継ぎ早に言葉が飛んでくる。
返答を待つ間も、彼女の視線は俺の全身を舐めるように動いていた。
それは「対話」を求める者の目ではなく、新製品のカタログスペックを疑う査定員のそれだ。
「どこの『製品』かって聞いてるのよ。独軍? それとも米軍の新型? まさか、共産圏じゃないわよね」
彼女は唐突に立ち上がると、俺の横に回り込んだ。
そして、ぶしつけに俺の髪を掴んで頭を固定すると、指で俺の瞼をこじ開けた。
瞳孔の収縮を確かめ、さらに俺の顎を掴んで口を無理やり開かされる。
指先が容赦なく口内に差し込まれ、歯並びや粘膜を検品するようにまさぐられた。
(……な、なんだよこれ。怖いのに、恥ずかしい……)
彼女の指は冷たい。
けれど、あたたかくて、においがして、すぐそばで息をしている「他の人」の感触。
されるがままに皮膚を摘ままれ、体をまさぐられているうちに、俺の身体が妙な熱を帯び始めた。
恐怖や困惑とは別の、自分でも制御できない生理的な反応。
「……野良にしては外装に傷がなさすぎるし、栄養状態も完璧。
かといって機能の出力設定がデタラメすぎるわ。どこかの廃棄品だとしたら、あまりにオーバースペック。……あんた、どこのラボで育てられたのよ」
彼女の問いかけは、俺を「人間」として扱っていない気がした。
まるで性能テストに失敗した不良品を検定しているかのような、冷徹な響き。
それを分かっていながら、身体の熱は引いてくれない。
なんだか少し、恥ずかしく、情けなくなった。
宇宙の果てで一人ぼっちだった時よりも、ずっと。
そんな事を考えているうちに何だかイケナイ気持ちでふっくらとしてきた。
ナニがである。
そんな俺にお構いなく、神崎は淡々と事務手続きを進めるように言った。
「……その『オナオ』って名前、書き直させるから。次からは、私の指示に従いなさい。分かった?」
俺はただコクコクと首を振る。
すると、神崎の視線が俺の下半身で止まった。
「……あら。何、これ。股間部の体積が膨張しているわね。
バイタルを確認。……熱源反応あり!
あんた、そこになんのデバイスを隠してるの? 攻撃用の油圧ピストン? それとも、高出力の指向性エネルギー兵器?」
「……ち、違います。これ、その、デバイスとかじゃなくて……!」
「隠しても無駄よ。
こんな露骨な反応、レオパルドの重装型でも見たことがないわ。暴発されると面倒ね。ちょっと、出力設定を見せなさい」
神崎が迷いなく手を伸ばした、その時だった。
「待ってください! 神崎刑事、それは職権乱用です!」
今まで黙って俺の手を凝視していたメガネの警官が、血相を変えて立ち上がった。
「そんな魅力的な……いえ、危険なデバイスの検品、僕も加わらせてください!
二人がかりでチェックしないと万が一の時に……!」
「はぁ? あなた、もういいから出ていって」
神崎は一瞥もくれず、ゴミでも掃き出すような動作で彼を部屋から叩き出した。
メガネの警官は「そんな……僕も見たかったのに……」と名残惜しそうに、そして俺の右手を最後にもう一度だけ熱く見つめてから、取調室を後にした。
再び二人きり。逃げ場はない。
「さて、続きよ。暴発を未然に防ぐのが私の仕事なの」
「ひっ!? やめて、本当になんでもないんです! 触らな……あーっ!!」
神崎の手が、迷いなく「デバイス」を鷲掴みにした。鉄をも砕く俺の出力が、別の意味で限界を迎える。
頭の中が真っ白になり、十世紀先の知性はどこかへ吹き飛んだ。
「…………え?」
「おふっ……」
握った感触。そして、伝わってきた拍動。
神崎玲奈の冷徹な仮面が、初めて崩れた。
彼女は自分の掌にあるものが、重工技術の結晶でもなければ、高出力の兵器でもないことに、ようやく気付いたようだった。
「……っ」
神崎は顔を真っ赤に染めたまま、けれどその手を離すこともできず、固まった。
沈黙。
あまりにハードな接触。
放心状態の俺の脳内に、相棒の極めて楽しげな声が響く。
『……おめでとうございます、ナナオ。初めての「他人の接触」は、挨拶の握手やハグでもない、ハードな接触ですね』
『股間のおちんが、見事に「落ち」になりましたね。ぷぷぷ』
(……エルピス、お前は本当に……)
俺はふにゃふにゃになった身体で猫背になり、警察署という名のカオスから、神崎玲奈という名の女性により「さらに面倒な場所」へと、事務的に移送されることになったのである。
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