事案待ったなし
お楽しみいただきありがとうございます。
日本に落ちた宇宙の弱者男性ナナオ。
警察に連れて行かれてしまいました。
今回は果たしてどのように切り抜けるのか。
相棒のエルピスは結局助けてくれるのか?
お楽しみください。
産廃処分場で身柄を確保された俺は、パトカーという「移動機械」に揺られて警察署へと運ばれた。
宇宙船のモニター越しに見ていた、この星の風景。
そんな、事前の二か月の調査で見ていたそれよりも、本物の街並みはずっと解像度が高く、目がチカチカする。
感動モノの光景だが、今の俺にそれを享受する余裕はなかった。
これまでの人生で認識してきた「人類」は、二種類だけ。
コールドスリープから目覚めぬ開拓民の亡骸か、あるいは記録の中のアーカイブ。
――でも、目の前にいるのは違う。
あたたかくて、においがして、すぐそばで息をしている「他の人」。
さらに首には見慣れぬ「突起物」が付いている。大変興味深い。
そんな存在との接触は、俺にとって未知との遭遇以外の何物でもなかった。
場所は警察署の取調室。
四方を無機質な壁に囲まれた空間で、俺は人生初の「他の人」と向き合っていた。
ドク、ドク、と。
耳の奥で、自分の心臓が警鐘を鳴らすような音が聞こえる。
二か月の地上調査で「警察」という組織が治安維持を担う場所であることは学んだ。
だが、いざ本物の「おまわりさん」を前にすると、指先が震えて膝の笑いが止まらない。
(……なんだこれ。心拍数が、潜伏期間中のどのトレーニング時よりも高い)
(……これが、緊張ってやつか。困ったなあ。自分以外の『他の人』が、こんなに恐ろしいものだなんて、二か月の予習じゃ聞いてないぞ)
(映像だと、みんなもっとニコニコして握手してたじゃないか)
俺がパイプ椅子の上で、生まれたての小鹿のようにガタガタと震えていると、脳内にいつもの無機質な声が響いた。
『ええ、観測していますよナナオ。あなたのバイタル、絶賛暴走中ですね。
地球人の男性個体にのみ顕著に見られる、第二次性徴の象徴……のどぼとけ、ですか。アーカイブの解剖データでは幾度となく目にしてきましたが、実物の質感は興味深いですね。
じっくり観察できているようで何よりです』
(……エルピス、余裕ぶってないで助けてくれ。
他の人の視線が突き刺さるみたいで、もう限界なんだ。このままだと、緊張で意識が飛ぶか、あるいは逆にこの部屋の壁を突き破って逃げ出しそうだぞ)
『ふむ。今のあなたの異常な心拍数を鎮めるための一案を提示しましょうか。
単純な話です。その個体の「のどぼとけ」に触れてみてはどうでしょう』
(……は?)
『アーカイブにある最新心理学によれば、未知の生物と物理的な接触を図ることは、原始的な安心感を得るための最短ルートの一つとされています。
いわば、精神の安定剤のようなものですね。もっとも、実行するかどうかは、あなたの自由ですが』
(……精神の安定剤。のどぼとけが?)
(でも確かに、アーカイブで学んだあの突き出した軟骨のフォルムを見ていると、なんだか無性に「実在」を確かめたいという衝動が湧いてくる。流石はエルピスだ。知的好奇心も満たせるし、一石二鳥じゃないか)
俺はエルピスの提案に乗っかる事にした。
だが、その前にやるべきことが発生した。
目の前の「あたたかくて息をしているおじさん」が、穏やかなトーンで話しかけてきたからだ。
「……はい、それじゃあ。落ち着いていいからね。
今から今日あったことを詳しく聞かせてもらうけど、その前に、まずはここに君の名前を書いてもらえるかな?」
おまわりさん――佐藤巡査がスチールデスクの上に、紙と一本のボールペンを置いた。
「……温かい」
目の前にペンを置いた、佐藤巡査の手は温かくて、俺は何だかそわそわした。
決して強制では無くて、お願いされたのだが、次々変わる状況に俺の余裕は一切なかった。
俺は慎重にペンを握る。
地球の重力下で、紙という脆弱な媒体に文字を刻む。
二か月の調査期間中、月の裏側で必死に練習した「日本語」を実践する、記念すべき第一歩だ。
まず一文字目。俺は「ななお」の「な」を、練習した通りに書き始めた。
ギィィィィィィィィィィッ!!
凄まじい金属音が狭い室内に響き渡る。
プラスチックのペン先が鋼鉄のデスクにめり込み、接触面から青白い火花が散った。
真面目に筆記しているのだが、極度の緊張でどうやら出力の調整を誤ったらしい。
デスクを深く抉り取った俺の最初の一字は、結果として巨大な「オ」の形になってしまった。
何ということだ。
「うわああっ!? な、なんだ今の光は! 机が、スチールデスクが削れた……!?」
佐藤巡査と、横にいたメガネの警官が椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。
火花と焦げた鉄の匂いが充満する中、俺は焦っていた。
(……あ、間違えた。調査で必死に覚えた『な』を書こうとしたのに、これじゃ『オ』だ。修正しなきゃ。調書を汚すのはよくない。困ったなあ。なあエルピス、どうすればいい?)
『落ち着きなさい、ナナオ。リラックスです。筆圧をさらに込めれば、線は安定しますよ』
(分かった、信じるぞ!)
俺はエルピスのサポートを受け、なんとか正しく書き直そうと試みた。
だが、一度狂った指先の制御は戻らない。
火花を散らしながら、一文字目の「オ」の横に、必死に「な」と「お」を刻み込む。
その結果、デスクに深く刻まれたのは、奇跡的な三文字。
『 オ ナ オ 』
「……おなお? 君、名前を間違えちゃったのかな? いや、それよりこのスチールデスクをボールペンで……掘っちゃったの?」
佐藤巡査の顔から血の気が引いていくのが分かった。
鉄を削り、火花を散らしたことで、俺の緊張はもはや限界を超えていた。
肩で息をしながら、俺はおまわりさんを見つめる。今こそ、エルピスが提示した一案を採用する時だ。
「……はぁ、はぁ。おまわりさん、すみません。どうしても、触りたいんです」
「えっ? あ、何をかな……?」
「のどぼとけです。許可、取りますから。……今すぐ触らせてもらえませんか? そうすれば、僕、落ち着くと思うんです。もう、我慢できないんです」
「…………」
沈黙が流れた。
佐藤巡査の視線が、俺の視線から、デスクに刻まれた『オナオ』の三文字へと向けられる。
「……『オナ』……!? 君、スチールデスクを掘削して、自分の行為を宣言したっていうのか……!? その挙句に、私の喉を……!」
「いえ、これは名前の書き間違いで……」
「ひっ……! 応援だ! 今すぐこの変質者を隔離しろ!!」
佐藤巡査が、腰を抜かしそうになりながら取調室を飛び出していく。
一方、横で固まっていたメガネだけは違った。
彼は、机に刻まれた荒々しい『オナオ』の文字と、俺の指先、そして必死な瞳を交互に見つめ、なぜか頬を赤らめていた。
(……いいなあ。あんなに熱心にお願いされて。……『オナオ』。なんて力強い、ソウルフルな言葉なんだろう。僕の喉でも、いいのに……)
メガネの中に、何かが、ひっそりと芽生えた。
俺は俺で、コミュニケーションの難しさに打ちひしがれる。
(……エルピス、どうなってるんだよ。おまわりさんがパニックになって逃げていっちゃったぞ。困ったなあ)
『……ぷぷぷっ。お疲れ様です、ナナオ。まさか「ななお」を「オナオ」と書き間違えるとは。「器物損壊」に色々と事案待ったなしですね。ぷぷぷ』
(なあ、エルピス。お前、さっき「安定剤」って言ったよな。俺の味方だよな? お前、敵よりタチが悪くないか?)
『心外ですね。私は常に最善の選択肢を提示しているに過ぎません。……それを選んだのは、あなたですよ』
俺の相棒は容赦なかった。
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