瓶詰地獄
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
本日は、お兄様ことフランチェスカがいる、
母親の呪縛と彼女を慰めるクローンたちの箱庭模様です。
ご存じの方もいるかもしれませんが、
今回のタイトルは日本ミステリー界の異端児とされた
「夢野久作」の著書「瓶詰地獄」からお借りしました。
既にパブリックドメインです。いわゆる著作権切れとなっています。
当方の一〇〇万倍すごい文章とエンタメ力です。
角川文庫が一番手に入りやすいです。興味があれば是非。
あと、この小説も本当にお楽しみください。お願い致します。
東京湾海上に浮かぶ豪華客船『セフィラ・マジェスティ』の深奥にある、お兄様の私室。
そこでは、表舞台の冷酷な空気とは打って変わり、ささやかで、けれどどこか歪な甘やかさに満ちたケーキパーティーが開かれていた。
「ほら、アリエスもジェミニも、たくさんお食べ。新宿では私の『翼』のために、よく頑張ってくれたね」
白いマントと白銀の仮面を外し、お兄様がかつて少女だった頃の本来の美貌をそれぞれの年齢(12歳〜7歳)で宿した十二人のコラスたち。フランチェスカは、彼女たちの前でだけは、あの冷徹な「お兄様」の仮面を少しだけ緩め、頼れる優しい姉としての、弱々しくも温かい微笑みを浮かべていた。
だが、その穏やかな時間は、卓上のアンティークな内線電話が、鼓膜を抉るようなベルを鳴らした瞬間に凍りついた。この電話をかけてくるのは一人しかいない。
ビクリ、と最年長の個体であるアリエスの小さな肩が跳ね、コラスたちが一斉に「お嬢様」への恐怖を孕んだ視線で電話機を睨みつける。
フランチェスカは咄嗟に表情を繕い、妹たちにできる限りの笑顔を作って見せた。
「大丈夫だよ、みんな。少し用事を済ませてくるだけさ。……行ってくるよ」
弱々しい言葉を残し、フランチェスカは隣室である執務用の自室へと入り、重厚な扉を閉めた。
席に着くと同時に、壁面の大型モニターが自動で起動する。そこに映し出されたのは、実年齢六十九歳でありながら、千年の妄執をその身に宿して「十歳の可憐な少女」の姿を維持し続ける絶対的な怪物――セフィラ・キャピタル現当主、「お嬢様」と名乗る母親、ルクレツィアの姿だった。
『お兄様。新宿では随分と派手な御失態をしてくれたものね。……おかげで、こうして忌々しいデジタル回線を使ってあなたと通信する羽目になっているわ』
スピーカーから響く少女の声音には、一切の温度が存在しなかった。
『VPNをどれほど噛ませようとも、デジタルである以上は常に傍受の可能性を残す。私があなたたちに耳にタコができるほど叩き込んできた、情報秘匿の絶対的な優位性について、もう一度最初から教え直さなければならないかしらねえ。……しかも、新宿での衝突直後に直接この船まで飛んでくるなんて。日米の防諜機関にも移動ルートを傍受されているはずよ』
冷酷な叱責の言葉が続く中、モニターの中の少女は、ふっと酷く無垢で、それゆえに狂気に満ちた歪んだ微笑を浮かべた。
『――いけない娘になっちゃったわね。「お兄様」の役割さえも、満足にこなせないなんて。……ねえ、フランチェスカ』
「……っ!」
男装のジャケットの奥で、フランチェスカの全身に強烈な悪寒が走り、顔面が蒼白に染まる。
お嬢様ルクレツィアが彼女を本来の女性名である「フランチェスカ」と呼ぶ瞬間。それはいつだって、幼い頃から地下室で、衣服を剥ぎ取られて折檻を施される時の合図だと、彼女の肉体と魂が記憶していたからだ。
唇を血が滲むほど強く噛み締め、フランチェスカはただ呼吸を殺して恐怖に耐えることしかできない。
『まあ、いいわ。今後も定時連絡を。それとコラスたちの【未来観測】によるマクロな確率予測の結果は、随時私に報告しなさい。来週のヨーロッパの金融情勢に反映させなければならないから』
「……わかったよ、お嬢様」
掠れた声でどうにかそれだけを返すと、画面の少女は満足そうに目を細めた。
『よろしい。――ああ、それとお兄様。マルタの本邸に帰ってきたら……たっぷりとお説教をしてあげるから、楽しみに待っていなさい』
ブツン、と非情な音を立てて通信が切れ、モニターが暗転する。
その瞬間、フランチェスカは糸が切れた人形のように、床へ崩れ落ちるようにして膝を突いた。男装の威厳も、使徒としての誇りもすべて消え失せ、その両肩は情けなく小刻みに震えている。
「怪物め……っ! 離れた土地でさえ、この私を縛り付けるというのか……!」
魂の底から尻尾を巻かされる絶望感。己の脆弱さに、フランチェスカは激しい嫌悪と無力感を覚えていた。残念ながら神崎玲奈のように、対等に親と戦うための牙すら持てないフランチェスカなのであった。
彼女は、母親のエゴによって無理やり着せられている「お兄様」の男装ジャケットを、呪わしいゴミであるかのように乱暴に脱ぎ捨てた。
フランチェスカは、美しく肉感的な白い身体をさらすと、クローゼットの奥から、溢れんばかりのフリルとレースで飾られた「ロリータ服」を取り出し、その身を包んでいく。
手足が長く、誰もが羨むモデルのような長身の美貌だからこそ、その幼さを強調するリボンだらけの衣装は、どこか現実から切り離されたような、奇妙で歪な美しさを放っていた。
これこそが、彼女に残された唯一の酷く無力な「自分が女の子だという母親への反発」だった。
大きすぎるリボンを揺らし、ベッドの端で膝を抱えて小さく丸まる彼女の元へ、隣室からコラスたちが音もなく集まってくる。
アリエスやジェミニ、最年少のピスケスたちが、白銀の仮面を外した本来の素顔で、ロリータ服に身を包んだ「美しいオリジナル」の身体をそっと包み込むように抱きしめた。
「……フランチェスカは悪くない」
「私たちは失敗していないわ、フランチェスカ」
「悪いのは全部、あの小さな年寄りの化物よ……」
長身のフランチェスカの身体を、小さなコラスたちが総出で囲み、髪を撫で、お互いの傷を舐め合うようにして密着する。
お嬢様からは単なる経済運用のデバイスとしてしか扱われない少女たちが、自分たちのオリジナルである姉を全肯定する。自分自身の複製たちの幼い温もりだけが、彼女の精神の形を保つ唯一の揺りかごだった。
妹たちの抱擁に身を委ね、アリエスに頭を撫でられながらも、フランチェスカの網膜の裏からどうしても離れない光景があった。
それは、新宿の歌舞伎町で遭遇した、あの「五味ナナオ」という少年の存在。
あの日、遥か遠く一万キロ離れた極東・新宿の夜空に架かる、あまりにも美しい「虹の螺旋階段」という奇跡は、遠く離れたフランチェスカやコラスたちも、直接触れられるような感覚として確かに知覚出来ていた。あの五味ナナオという少年の圧倒的な能力の為だ。
そして何より、新宿の地で初めて対峙したときの、彼の圧倒的な「無垢さ」だった。
今まで出会ったオスたちであれば、男装のジャケットを羽織っていようとも、隠しきれないフランチェスカの見目麗しく女性的なエロスを、性的な目で見つめてきた。
だが、あの少年だけは違った。彼は、フランチェスカを前にしてなお、どこまでも純朴で、濁りのない真っ直ぐな瞳で自分を見つめていた。
さらに、彼女の脳裏を戦慄させ、同時に狂おしいほどの恍惚で満たすのは、少年の背後に感じた、より「神の如き巨大な観測の影」だった。
コラスたちの多重観測を以てしても捉えきれなかった、人知を超えたプレッシャー。それは、現当主であるあのお嬢様をして、畏怖と共に「神の代行者」と認めさせたほどに絶対的な、超越者の証明だった。
(ああ……あの少年は……ナナオは、違う……!)
セフィラ・キャピタルの執念という名の、一〇〇〇年続く重く冷たい歴史の鎖。その埒外に、突如として舞い降りた、本物の神の如き存在。 お嬢様という「母親」の絶対的支配の檻に囚われ、自らの性も年齢も歪められて生きてきたフランチェスカにとって、その神性を背負った純朴な少年は――自分たちを虐げてきた「他人」とは全く異なる存在。
「ナナオ……私の、救世主……」
コラスたちの小さな腕に抱かれ、ロリータ服のフリルを震わせながら、フランチェスカは熱を帯びた瞳で虚空を見つめ、熱病のような掠れた声でその名を呟いた。 この冷酷で不変の瓶詰地獄セフィラ・キャピタルから、自分という「ひとりの女の子」を「血の呪縛」から力尽くで連れ去り、救済してくれる唯一の救世主。
少女の複製たちに囲まれた閉ざされたベッドの上で、彼女の心には、五味ナナオに対するあまりにも深く、あまりにも歪んだ執着として彼女の心へ深く刺さり始めていた。
いつもご愛読いただいありがとうございます。
火、木、金曜 18時の週3回投稿になります。火木金曜はナナオの日 お忘れなく。
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