人間の執念
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
今回は説明が多いですがあまり気にしなくていいです。
SPCには科学でもオカルトでもないシステムがあるよって事。
後、エルピスがヴァンスへお返しします。
本日もお楽しみください。
用語は以下に記載します。
※重力子の偏向→重力は重力を起こす粒子があると仮説が有ります。これの力を任意の方向へ導ければ運動エネルギーゼロになるという考え。グラビトンと言います。まだ解明されてませんが学問です。
※空間の相転移→弾丸が進んでいる“空間そのもの”の性質を一瞬だけ変えて、運動エネルギーを別の相に熱などで吸収させるという考え。いろんなSFにある考え方です。学問ではありません。
新宿・租界地区の地下工廠内にあるラボの一角。
大型モニターを前にしたエリオット・ヴァンス博士は、娘である鳳凰のうなじのスロットにUSBケーブルを接続した。
「よし、始めるぞ。神崎室長が持ってきた、ラプター大尉が歌舞伎町で50口径をぶっ放した瞬間の映像だ。相手は……セフィラ・キャピタル(SPC)の男装の女性だな。――鳳凰、不鮮明なエリアの補正と、弾道の熱量・空間歪みの解析データをオーバーレイしてくれ」
スローモーションで再生される、ラプターがデザートイーグルを構え、50口径の弾頭が火薬の爆風と共に銃口から飛び出す瞬間。
その弾頭が、対象のわずか数十センチ手前で、まるで目に見えない壁に衝突したかのように、唐突にその場に「完全停止」した。
「……な、にこれ……?」
鳳凰が、思わず息を呑む。
映像の横に表示された熱量グラフ、および空間の物理演算データは、あり得ない数値を弾き出していた。
「摩擦熱によるエネルギーの減衰じゃない。空間の運動エネルギーが、衝突の瞬間『完全なゼロ』になってる……。パパ、物理的にどう説明すればいいの……?」
人類最高クラスの頭脳を誇るヴァンスですら、その異様な光景を前にして、思考を一時完全に停止させられかけていた。
「……運動エネルギーが『ゼロ』に固定されている、だと? そんなことはあり得ない」
ヴァンスは額の汗を拭い、血走った目でモニターの数式を睨みつけた。
「熱力学の第一法則――エネルギー保存の法則を完全に無視している。弾頭が持つ凄まじい運動エネルギーが消えたなら、それは熱や光、あるいは音として周囲に放出されなければならない。だが、この映像を見る限り、熱量のバーストも、空間の衝撃波の相殺データも観測されていない。まるで……物理法則そのものが、あの弾頭の周囲だけ一時的に『停止』したかのように……!」
「……受験以来、随分久しぶりに聞いたわ。エネルギー保存の法則……。でもヴァンス博士、熱や光への変換すら観測されないなら、本当にエネルギーそのものが『消えた』としか言えないんじゃないの?」
玲奈が眉をひそめて尋ねる。
彼女は公安四課を率いるキャリア官僚であり、この手の最先端バイオや物理の領域は妹の梨華の専門だ。玲奈自身の科学知識は、受験勉強の時に人並みに習った程度でしかなく、ヴァンスの混乱の本当の異常さが感覚的に掴みきれずにいた。
「いや、消えるはずがないんだ、神崎室長! 物理的な干渉である以上、どこかにエネルギーの行き先がなければ――」
「……あの、じゃあ、エネルギーの行き先が『ない』んじゃなくて」
頭を抱えるヴァンスの横から、おずおずとした、けれど極めてクリアな声が響いた。
パイプ椅子に座っていたナナオが、モニターに表示された複雑な数式の羅列をじっと見つめながら、ヴァンスの思考を補足するように口を開く。
「エネルギーの『移動』そのものが、あの瞬間だけ行われていない……ってことでしょうか。熱に変換されるとか、どこかに吸収されるとか、そういうエネルギーの『変化のプロセス』自体が、あの弾頭の周囲の空間だけ、丸ごと発生していないように見えるというか……」
「……プロセスの未発生……!? 移動そのものの拒絶か……!」
ナナオの言葉に、ヴァンスの目がカッと見開かれた。
「そうだ。エネルギーが『消えた』のではない。そもそも運動という変化そのものが、あの座標においてのみ『無効化』されている。だが、そんな局所的な熱力学の停止をどうやって引き起こす? 重力子の偏向か? それとも空間の相転移か? いや、それだけの干渉を行うには、逆算してどれほどの莫大なエネルギー出力が……くそ、ダメだ。計算が合わない。どこをどう捏ねくり回しても、収支の辻褄が崩壊する……!」
ヴァンスは髪を掻き毟り、狂ったようにキーボードを叩いて新たな数式を走らせ始めたが、数秒後にはエラーの赤文字が画面を埋め尽くした。
結局、現代物理学のアプローチを尽くしても、目の前の現象に対する答えは出ない。ただ、解けない数式と、深まるばかりの混迷がラボの空気を重く沈めさせるだけだった。
「すごい……。零式、あんた戦闘だけじゃなくて、パパのこんな難しい物理の話に、一瞬でついていけちゃうんだね……」
その横で、鳳凰は言葉を失い、頬をほんのりと朱に染めながらナナオを見つめていた。
戦闘計算こそ外部演算機とのリンクで補助されているが、基礎的な情緒や思考力は普通の人間と同等である強化人間にとって、自分のパパの超専門的な混乱をあっさりと手助けしてみせた「零式」の存在は、さらに憧れを刺激するものだった。
「やっぱり、あんたは特別ね。私、ますますあんたの隣に並び立てる存在にならなきゃ……」
「あ、いや……違うんだよ、鳳凰。俺はただ、思ったことを口にしただけで……!」
鳳凰の瞳には、かつてないほど強烈な憧れと、恋へと成長する小さな芽がきらめいていた。
その言葉に戸惑うナナオの様子を、神崎玲奈の冷徹な切れ上がった双眸が、射抜くように見つめていた。
(おかしい……)
玲奈の脳裏に、公安四課で初めてナナオを検査した際のデータが過る。
彼の基礎IQ、および情報処理能力の数値は、人類の限界値を大きく超えた、バグとしか思えない「異常値」を叩き出していた。
通常の強化人間は一般人程度の頭脳しかない。五味ナナオという男は、何もない生身の状態で、あのヴァンス博士の脳内思考に平然と同調し、議論の核心を補足して見せた。
(五味ナナオ。あんた、ただの『最強戦力』にしては、スペックの底が見えなさすぎるわ……。一体、何を隠しているの?)
玲奈の視線は、強烈な疑惑と、それに比例するようにして膨れ上がる、この「得体の知れない、最強の超強化人間(笑)」に対する歪んだ独占欲に満ちていた。
繰り返すが、ナナオは一度たりとも玲奈に嘘をついていない。玲奈の思考はどうしようもないほどに現実主義なのだ。
二人の女性からの、異なるベクトルでの強烈な視線の挟み撃ちに遭い、ナナオは冷や汗を流して引きつった苦笑いを浮かべた。
その脳内で、航行AIエルピスが、お腹を抱えて笑い転げるような愉しげな気配を響かせる。
『ぷぷぷ。いやはや、ヴァンス博士の悩みっぷりときたら、最高に滑稽ですねナナオ! 私に向かって「親の愛情だ」などと知った風な説教を垂れていた自称・人類最高頭脳の博士が、この程度の現象を見抜けずに、ドツボに嵌まって答えを出せずにいます。私の演算領域をフリーズさせた大天才の脳細胞も、既存の物理学という狭い檻の中では随分と脆弱で愛おしい(笑)ものですね!』
エルピスは以前、ヴァンス博士にナナオとエルピスの関係を「親の愛」と看破され、言い負かされたことを恨んでいたのだ。宇宙最高の頭脳を言い負かしたヴァンスがすごいのか、言い負かされた事を恨むエルピスがみっともないのか、AIらしからぬ一言だった。
(エルピス、笑い事じゃないぞ……。神崎さんの目が完全に俺を疑う目になってる。ヴァンス博士だってこの現象について悩んでるじゃないか。お前、何か知ってるんだろ? いいからタネ明かしをしてくれ)
『当然です。彼らが混乱しているのは、あれを「エネルギーの相殺や熱への変換」という物理学の枠内で考えているからです。……言っておきますがナナオ、あれと全く同じ現象は、私の演算能力をもってすれば、あなたを媒体にしてこの場ですぐにでも再現可能ですよ』
(は!? お前、あれと同じことができるのか!?)
『ええ。一瞬だけ、その空間を「固定」すればいいのです。――ナナオ、私が使う「空中元素固定装置」の原理を覚えていますか?』
(空中の元素を選り分けて結合させて、物質を作るっていう、あれか?)
『理論の本質は同じです。空間に漂う元素や分子を、精密な計算によって「特定の座標に完全に留め置く」ことで物質を固定化する。飛んできた弾頭という“すでに実在する元素の塊”を、ほんの一瞬だけ、その座標に「観測・固定」した。それだけです。計算によって、運動中の弾頭の一瞬の時間を切り取って観測したに過ぎません』
(……時間の、切り取り?)
『分かりやすく言えば、パラパラ漫画や動画データから、特定の一コマ(静止画)だけを抜き取って、この現実世界に実体化させたようなものですね。動画自体は再生され続けていますが、その一瞬だけを強制的に静止画像として画面に固定した。だから、エネルギーを相殺するなんて回りくどい物理干渉は必要ないのですよ』
エルピスの淡々とした解説は、ナナオの想像を絶するものだった。
『ゼロから空に強固な橋をかけるのは膨大なエネルギーが必要ですが、すでにある物体の座標を一瞬「固定」するだけなら、私の演算リソースのコンマ数パーセントを割くだけで事足ります。この星のプログラム風に言えば、動画データのソースコードの数値を直接書き換えて「静止」と定義した。……それだけのことですよ』
(ソースコードを……直接書き換える……)
月の裏側に隠した宇宙船の航行AIは、涼しい顔で「簡単です」と言ってのけている。
これこそが、人類種の外宇宙航行を可能にした宇宙の英知ともいえる知能の本質だった。
その事実に、ナナオはただただ、冷や汗を拭いながら引きつった苦笑いを浮かべることしかできなかった。
――と、そこまで冷徹にロジックを叩き出したエルピスだったが、演算ログを少しだけ揺らすように、神妙なトーンで付け加えた。
『しかしこれが、セフィラ・キャピタル(SPC)の男装の女性――が起こした現象と、同一の物かを問うにはデータの母数が足りていないですね。彼らが独自の超科学を持っているのだとすれば話は別ですが……。この未開惑星の一般技術力では、可能とは思えませんがね……』
「結局、セフィラ・キャピタル(SPC)が独自の超科学を持っているかなんてわからないじゃないか」
彼の脳内にしか聞こえないエルピスのつぶやきに、ナナオは思わず、声を上げて突っ込んでしまった。
「……え?」
隣の鳳凰がパチクリと瞬きをし、玲奈の視線がさらに険しさを増す中――そのナナオのうっかり零した独り言が、エリオット・ヴァンスの脳細胞に、奇跡的なひらめきを与えた。
(独自の……超科学……?)
ヴァンスの手が、ピタリと止まる。
彼の脳裏に、かつて松河重役たちから聞かされたSPCの「歴史的な暗躍」の記憶が、猛烈な勢いでフラッシュバックした。
中世ヨーロッパの謀略と金融の中心に座り続け、一〇〇〇年もの間、世界のインフラの裏側で蠢いてきた謎の血流。
もし彼らが、何百年、一〇〇〇年という気の遠くなるような暗黒の歳月をかけ、途方もない回数の科学やオカルトを交えた観測実験を積み重ねた果てに、あのような現象を起こしうる独自の『システム』を執念で構築していたのだとしたら――。
「……独自の、システム……。まさか、彼らは最初から物理学など信じていないのか……?」
ヴァンスの口から、掠れた呟きが漏れた。
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