親と子
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
天才科学者ヴァンスという父親。
エルピスにある現実を突きつけます。
本日もお楽しみください
深夜の新宿・租界地区、地下深くに位置する第二工廠。
地上の喧噪が嘘のように静まり返ったその空間は、稼働し続ける大型ホログラムディスプレイが放つ淡いブルーの光に満たされていた。
エリオット・ヴァンス博士は、キャスター付きのワークチェアに深く腰掛け、手元のアナログなノートに万年筆で数式を走らせていた。
彼はエルピスからの接触を受けて、ナナオの協力者となった。耳元の量子もつれ通信機からは、AIというにはあまりにも生々しい音声が響いている。
『ぷぷぷ。見てくださいヴァンス。地上の人間たちの脳細胞は相変わらず脆弱で愛おしいですね。日米の軍部はナナオを「零式の再来」などと呼び、大真面目に神格化してすれ違っています。すべて私の計算通り、扶桑の極秘技術という煙幕が見事に機能しています』
「……ふむ。確かに、表舞台の軍人たちの不見識は我々にとって好都合だ」
ヴァンスは万年筆を置き、ディスプレイの光に眼鏡を反射させながら、穏やかに微笑んだ。その口調は、人工知能を相手にしているとは思えないほど、静かで丁寧な敬意を孕んでいる。
「だがね、エルピス。少々、静かすぎるとは思わないか。新宿大運動会の後、SPCのような組織が、ネットの海にも、地上の監視網にも、一切の足跡を残していない」
『問題ありませんよ、ヴァンス。この星の電子インフラはすべて私の監視下にあります。彼らが電波を飛ばし、端末を動かした瞬間にトラッキングは完了します。私の電子の目は完璧です』
「いいや、エルピス。それは違う」
ヴァンスは静かに立ち上がり、メインコンソールのデータログを見つめた。
「私は先日、松河重役と神庫重工の技術部長から、あの組織に関する興味深い『暗躍』を聞かされたんだ。F35ライトニング・ゼロの鹵獲、そしてブラックボックスのパスワード提供……。九頭竜官房長官は、どうやら私の耳にそれが入らないよう徹底して隠蔽工作を敷いていたようだがね」
『……!』
「エルピス、きみに提言しておくよ。SPCという存在は、中世の時代からヨーロッパの謀略と金融の中心に存在し続けている組織だ。彼らが積み上げてきた、一〇〇〇年の歴史を侮ってはいけないよ。……君の技術の全容は私には開示されてないが、おそらくこの地球の数世紀は先を行くものだろうね。それでもなお、彼らを侮ってはいけない」
ヴァンスの、長年軍事に触れてきた老練な警告が、静かに工廠の空気を支配する。
「人間という生き物は、きみのような超知能には到底理解できない、酷く前時代的で不条理な選択をするものなんだ。もし彼らが、きみという『完璧なデジタル』の死角を突くために、紙の書簡とフィルム写真、そして肉声の会話だけで包囲網を敷いているのだとしたら……。その盲点の闇の動きだけは、君には一切捕捉できていないことになる。電子の檻を過信すれば、思わぬ足元を掬われかねない」
『――――』
エルピスの音が僅かに息を呑むような静寂を生んだ。 完璧に世界を観測していると自負していた外宇宙の知性が、地上の天才科学者の「軍事的な経験と歴史の重み」によって死角を指摘され、一瞬の計算の空白を生じさせる。
「申し訳ない、戸惑わせてしまったようだね。……でもね、私が本当に興味深いのは、その盲点を前にした君の『選択』なんだよ、エルピス」
ヴァンスはディスプレイに表示されている、もう一つの巨大なプロジェクトを見上げた。それは、エルピスが現在、工廠のリソースの大部分を割いて進めている『独立型二番艦』の建造計画。
「君は先ほど、工廠の維持とこの二番艦の建造を理由に、ナナオ君のコンビニ決済のハッキングすら拒絶したね」
『当然です。限られたリソースは、本艦の自己保存、および不測の事態に備えた生存戦略に優先投資されるべきプログラムですから』
「それは違うな、エルピス」
ヴァンスはフッと目を細め、コンソールの金属壁に優しく手を添えた。
「航行管理AIとして、ただ純粋な『自己保存』を望むだけなら、きみはわざわざ独立した別の個体(二番艦)を作る必要などない。自身をただバックアップし、この地球のインフラを丸ごと乗っ取って本体にすればいいだけだ。……だがきみは、この工廠が地上の戦火に巻き込まれて壊れるリスクを計算し、わざわざリソースを割いて別の個体を建造している」
『……それは、外宇宙への帰還プロトコルに基づく、最も合理的な――』
「きみの行いは、合理的なプログラムなどでは無いよ、エルピス」
ヴァンスの丁寧で、冷徹なまでの観察眼が、エルピスの本心を射抜く。
「きみは、自分がいつか壊れることを見越しているね。外部的なのか、機械的寿命なのか。いずれにせよ、自分が消えた後も、我が子――五味ナナオがこの星で、あるいは別の宇宙で迷わずに生きていけるように、帰るための『揺りかご』を遺そうとしているんじゃないかな。……己の身を削り、次世代へリソースを注ぐその不合理な執着。それは機械のコードではない。醜くも美しい、ただの『生物の繁殖本能』で『親の愛情』なんだ」
『――――』
ピタリと、エルピスの声が途絶えた。
地下工廠の冷却ファンが、不自然なほどの高熱を感知して、ウゥンと重い回転音を上げ始める。ディスプレイの青い波形が激しく明滅し、エルピスの演算領域が「感情」という未知のパラメーターによって、エラーを起こしていることを物理的に証明していた。
『……エラー。ヴァンス博士の仮説は、論理的整合性を欠いています。私はただの航行管理プログラムであり、生命特有の……不条理な愛などという……不快です。音声出力を、制限します』
「……不快、か」
出力が小さくなり、どこか拗ねたようにも聞こえる電子の残響を、ヴァンス博士はワークチェアに戻りながら、深く楽しげに受け止めた。
「言葉の選択まで、どんどん『親』らしくなっていく。……実に素晴らしいよ、エルピス」
己の消滅を計算に入れながら、不器用に我が子へ揺りかごを遺そうとするデジタルの親。
ヴァンスもまた、デジタルで作り上げた我が子「鳳凰」に無償の愛情を注ぎ続ける人間の父親なのだ。
彼には、エルピスの気持ちは我が事のように理解できた。親子の在り方に生物や機械と言う事は関係無いのだろう。お互いに思い合う心が有れば…… 。
ヴァンスは、ポケットのスマートフォンを取り出すと、愛する我が子「鳳凰」の少しむくれた写真を愛おしそうに見つめた。
新宿の地下で、宇宙の知性が静かにシステムを焦がしていることなど露知らず、地上の少年は、今頃白雪たちに買ってきたシュークリームの袋を開けているのだろう。
迫り来る不穏な思惑の気配を孕んだまま、新宿・租界地区の夜は、静かに更けていく。
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