お嬢様とお兄様
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第三極たるセフィラ・キャピタル。
この組織もどうやら一筋縄ではいきません。
彼らの目的は一体何か。
本日もお楽しみください
深夜の港区三田。
鬱蒼とした緑に囲まれたイタリア大使館の敷地内に、重厚なリムジンが停車した。過剰なまでに分厚いドアが開くと、漆黒のタイトなスーツをまとった青年と、無表情な少女が一人降り立った。
二人が向かうのは、大使館内の旧松平家庭園の奥深くに隠された『聖域』と呼ばれる別邸である。 ローマに本拠地を置くマルタ騎士団の伝統を汲み、数世紀にわたり歴史の裏側を支配してきた名門イタリア貴族の血統。
さらに『観測』という行為を徹底している彼らは、他者からのそれにも徹底した対策を取っていた。
電子機器のハッキングを絶対的な武器とする存在の死角を突くため、彼らはこの現代の東京においてなお、中世から変わらぬ大理石で作られたパラッツォ様式の完全なるアナログの隠れ処を維持していたのだ。
地下の赤暗い現像室で青年は、慣れた手つきで、カシャリ、カシャリと、現像液の酸っぱい匂いとともに、何枚ものフィルム写真が並べていく。
そこに映っているのは、コンビニのレジ前で間抜けに冷や汗を流す五味ナナオの姿や、租界の地上で少女たちに囲まれて笑う少年の日常だった。
「……間違いない。彼こそが、我々が中世より待ち望んだ『完全なる代行者』だ」
写真を細い指先でなぞりながら、お兄様はハスキーな声で低く恍惚を漏らした。隣には、感情の消えた人形でしかないライトニング・ゼロが、ただ意思なくじっと佇んでいる。
「行こう、ライトニング・ゼロ。お嬢様に報告だ」
青年は、少し渋い顔をすると、書類と写真を革封筒に入れると、部屋を出た。
◇◇◇
その別邸の最奥、重厚なアンティークの椅子に、セフィラ・キャピタルの象徴たる最高権力者――お嬢様が静かに腰掛けていた。
幼女の容貌を持つその少女は、青年の来訪に若干怒ったような声で語りかけた。
「……報告がいささか遅いのではないですか? まあいいですわ。ねえ、お兄様もご覧になりまして? 新宿で天使が起こした地上の奇跡を」
兄が差し出した手書きの調書とフィルム写真へ、酷く冷淡な視線を落とした。
「こんなにいっぱい写真を撮って。お兄様、ずいぶんとあの『天使』に心酔しているのですね」
「心酔? まさか。私は冷静に観測を行っているだけさ、お嬢様」
お兄様は紳士服の襟を正し、誇らしげに胸を張ってみせる。だがその瞳には、幼女に向けるにはふさわしくない嫌悪感と劣等感が隠しきれずに滲んでいた。
「先の公式戦で彼が見せたあの現象……あれは扶桑重工のサイバネティクスなどという地上の低俗な技術ではない。この宇宙のすべての事象の根源である『モナド』を完璧に捉え、限定的な現実の固定化を物理世界へ直接顕現させる、大それた神の離れ業だ」
二人の言葉には、微塵の迷いもなかった。まさかナナオの背後に、十世紀先を行く外宇宙の航法管理AIエルピスがおり、月の裏側から膨大な量子演算パッチを走らせているなどとは、夢にも思っていない。
彼らは中世より伝承してきた独自のスコラ学を数学と数式に当てはめて、ナナオという『宇宙人とその技術』を、大真面目に神格化していたのだ。
「それほどの奇跡の権能を持ちながら、彼は力に溺れることもなく、現象界のちっぽけな菓子や豆腐の購入に右往左往している。あまりにも無垢で、あまりにも純朴だ。……私のように、自重を僅かに浮かせ、操るだけの権能で神になった気でいた器の小ささが恥ずかしくなるほどにね」
自嘲気味に笑うお兄様を、お嬢様はただ無機質に見つめ返した。
「数式の予定調和を地上へ回帰させるためには、あの受肉した天使の力が不可欠ですわ。……でも、お兄様。あなたは彼をどう扱うおつもり?」
「決まっているさ」
お兄様は暗室の赤を思わせる歪んだ微笑を浮かべ、隣のゼロの細い肩を引き寄せた。
「彼はあまりにも無垢で、脆い泡のような日常に浸かりすぎている。あのままでは世界の檻を壊す『神の歯車』にはなり得ない。……だから、一度あの肉体を美しく破壊し、我々の儀式によって、三日後に完全なる『生ける数式』として復活させてあげるべきだ」
「過激ですわ、お兄様。ナザレの聖人を真似るなんて、相変わらず、あなたのシングルタスクな脳が導き出す答えは、視野が狭くて脆い」
お嬢様は冷酷に言い放ち、手元の羊皮紙の調書を閉じた。左右の脳を同時に燃やす、SPC歴代頭首特有の共感マルチタスクの視線が、青年を容赦なく射抜く。
「私は、彼を丁重に我がセフィラ・キャピタルへ囲い込み、世界の方を彼に合わせてキャリブレーション(修正)するつもりですわ。……邪魔をするなら、たとえお兄様であっても、使徒たちを動かして排除しますよ」
パチン、と。 お嬢様が小さな指先を軽く鳴らした。
その微かな残響と同時に、何もない大理石の空間が不自然に歪み、虚空から影が染み出すようにして、山高帽を被った不気味な黒服の男たちが複数、音もなく現れた。 彼らは一様に感情を排した目でお兄様の死角を包囲し、ただの合図一つでいつでも彼をバラバラな肉片へできるだけの圧力を無言で突きつける。
「……フッ、いいだろう。どちらの解釈が正しいか、新たな人の子(五味ナナオ)に直接問い詰めるとしよう」
お兄様は山高帽の使徒たちを一瞥すると、不敵な笑みを崩さぬままお嬢様に深く一礼し、感情のないゼロの手を引き、三田の別邸の重厚な廊下へと歩き出した。
扉が閉まり、お嬢様と使徒たちの視線が完全に遮断された瞬間、お兄様の端正な横顔がピキリと屈辱に歪む。
(……六十を超えてもなお、成長もせずに、幼女の肉体に安住している能力の化物め。才に溺れたお前には、あの怪物の本当の『美しさ』など理解できまい)
ハァ、と重い溜息とともに、お兄様は仕立ての良い绅士服のネクタイを引き抜き、きつく締められていた襟元を緩めた。
ボタンが外され、はだけた首筋から覗く鎖骨のラインは、青年というにはあまりにも華奢で、どこか痛々しいほどに白く、滑らかだ。
男装を強いる母親の呪縛から一瞬だけ逃れるように、大きく上下する胸元は、スーツの厚みの下に隠された「女性」としての繊細な肉体の膨らみを、夜の闇にそっと浮かび上がらせていた。
お兄様は夜霧の立ち込める庭園を見据えて冷たく微笑んだ。
「……それにね、お嬢様、いや、母上。歴史を紐解けば、いつだってそうだ。人の子を十字架にかけ、昇天させて神へと為すのは――いつの時代だって、我らローマ人の役目なのだから」
母親への反感と、ナナオへの異常なまでの羨望を宿したその背中は、ライトニング・ゼロを伴って静かに闇の奥へと溶けて消え去っていった――。
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火、木、金曜 18時の週3回投稿になります。
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