お兄様と……
いつもお楽しみいただきありがとうございます。
ナナオを取り巻く状況に第三極が登場します。
謎の美青年?と謎の少女の狙いは一体何か。
本日もお楽しみください
日本対アメリカの総力戦――。
そう称された『新宿・租界地区運動会』の公式戦、鳳凰対ラプターの一戦は、見る者すべての魂を置き去りにしたまま、壮絶なドロー(引き分け)という形で幕を閉じた。
地上の技術者たちも、軍人たちも、まるで至高の夢を見ているかのような一戦だった。
あの日、あの現場にいたものすべてが、地上一万メートルから激しく上下する鳳凰とラプターの圧倒的な緊張感、限界の息遣い、はたまたその超音速の視界までも、まるで我が事のように肌で感じ取っていた。
脳が痺れるような、異様なまでの熱狂。
――だが、地上を支配したその狂熱の正体を、見上げる誰もが知る由もない。
それは、月の裏側からエルピスによる「量子もつれ通信」を介し、空を駆ける二人と完全に感覚をリンクさせていた五味ナナオが、無自覚に引き起こした『トランスの余波』だった。
彼が知覚した剥き出しの感情と熱量が、電波の檻を超えて、その場にいたすべての人間の脳へと物理的に伝播してしまったがゆえの、共鳴現象だったのだ。
世界トップクラスの現場の軍人や技術者たちが、揃いも揃って自らの本分である「残燃料の計算」や「機体のバックアップ」を行うことさえ完全に忘れて魅入っていたのも、すべてはその代償だった。
結果として訪れた、唐突なフレームアウト(燃料切れ)。
絶頂の熱狂から、奈落への暗転。
そして、真っ逆さまに落ちていく二人の火の鳥を救うために、少年が夜空へ咲かせた光り輝く天使の羽の螺旋階段――。
五味ナナオが見せたあの絶対的な奇跡は、あまりの鮮烈さに、激闘の果ての新宿が見せた『美しい夜明けの幻』のようでもあった。
◇◇◇
公式戦の終了後、この戦闘の結果は、文字通り世界中の軍事関係者を驚愕させることとなった。
鳳凰とラプター。
それは、これまでの強化人間の歴史を根底から塗り替える、伝説の戦いとして記憶されたのだ。 一時間にも及ぶ高出力リアクターの限界飛行。
そして何より、二百五十メートル四方という、超音速戦闘においては「あまりにも狭すぎる檻」でのドッグファイト。
それらは地球上の従来の演算性能や、これまでの戦術シミュレーションの常識では「絶対に不可能である」という、一つの確定した答えに至った。
結果として、日米ともに強化人間開発の分野において、間違いなく世界の頂点に君臨しているという事実を、世界へ再認識させる形となったのである。
そして、日本の虎の子たる零式七七〇が起こした奇跡は、世界の度肝を抜いたのだ。
謎の発光現象を起こし、鳳凰とラプターを墜落から救い出した、世界で唯一の男性型強化人間。
その場に居合わせた日米の要人たちは理解している。二体の完全可動の強化人間が墜落したならば、その余波は確実に新宿を壊滅させていた。
結果論かもしれないが、我々は零式七七〇に命を救われたのだという事を。
これらのことが相まって、日米の総力戦は感情的なしこりを残すことなく、ドロー決着で幕を閉じたのだった。
そんな大団円の中、静かに野心を燃やす者、胸に疑念を抱く者が居た。
前者は内閣官房長官の九頭竜、後者は神崎玲奈であった。
「両国のしこりが残りかねない総力戦だったが、つつがなく終えることが出来た。
それだけでは無い。世界の頂点を示した日米両国の強化人間開発技術、そして伝説の『零式』の再来か。……ふふ、これほど都合のいい駒が揃うとはな」
自室である品川のタワーマンションの最上階から、朝焼けに染まる街を見下ろしながら、九頭竜は冷徹にほくそ笑んでいた。
アメリカに巨大な貸しを作り、同時に日本の軍事力を世界の特異点に押し上げた。次はこの『零式』を、いかにして己の影響下に置くか。最強の勝ち馬を乗り換えるための計算と新たな展望が、彼の脳内で始まっていた。
一方、市ヶ谷の分室では腕を組む神崎玲奈の考えは堂々巡りに陥っていた。。
(あんなの……『扶桑の極秘プロトタイプ』なんて大嘘で誤魔化せる領域を、とっくに超えているわ。高度一万メートルからの自由落下を力ずくでねじ伏せるなんて、地球の物理法則が許すはずがない……。それにあの発光現象は一体何だっていうの。ナナオ、あんたの本当の『正体』は――)
ヴァンス博士と違って、彼女には「自身が宇宙人である」というナナオの言動を素直に信じることは毛頭できなかった。
玲奈の苦悩はしばらく続くことになるだろう。
◇◇◇
「困ったなあ……。本当に困った」
相も変わらずナナオは悩んでいた。
宵の口が過ぎた、午後九時の新宿・租界地区。その地上出口の目と鼻の先にある『コンビニセブン』。
自動ドアを破壊せずに潜り抜けることには成功したナナオだったが、レジの前で、壁にぶち当たっていた。
彼が両手に握りしめているのは、厨房での調理実習(麻婆豆腐作り)の合間に、「白雪さんたちにお土産でも買っていこう」と思いついてカゴに入れた、数個のセブンプレミアムのシュークリーム。
だが、支払いの段になって、ナナオの思考は完全にフリーズした。
セルフレジのタッチパネルには『お支払い方法を選択してください』という無慈悲な文字。
電子マネー、バーコード決済、クレジットカード。
宇宙船には存在しなかった、脆弱で複雑なこの星の金融媒体が、ナナオの十世紀先を行く超知能を激しく混乱させる。
(エルピス、おいエルピス! この機械、選択肢が多すぎて、何をすれば俺の口座から資産を引いてくれるかわからない! これじゃ不法占拠(万引き)事案になって神崎さんにまた怒られる!)
『……ナナオ、ですから言ったでしょう。現在、工廠の維持にリソースを割いているため、コンビニエンスストアの決済端末をハッキングして、ナナオの銀行口座を運用する事は承認されません。地球のルールに従い、ただの脆弱な「紙の通貨」を使いなさい。ぷぷぷ』
冷や汗を流しながら、レジの前で呆然とするナナオ。
レジの店員が怪訝な目を向け始めた、その時だった。
「――お困りのようだね、無垢なる代行者」
ハスキーで、冷たく、けれどどこか気品溢れる声が、背後から耳を叩いた。振り返ったナナオの視界に飛び込んできたのは、夜のコンビニの蛍光灯の下でも、歪なほどに美しく映える一人の青年だった。
漆黒のタイトなスーツを完璧に着こなし、足音もなくナナオの隣へ滑り込んでくる。
長めの前髪の奥から、吸い込まれそうな鋭い瞳でナナオの顔を覗き込むと、細くしなやかな指先で、レジのパネルの『現金』ボタンをスマートにタップした。
そして、中世の貴族が施しを与えるかのような優雅な動作で、最高額面の紙幣を投入口へと滑り込ませる。
「これでいいのだろう? 君のような大それた奇跡を操る者が、
こんな現象界の、ただの『資本』のシステムに足止めされているなんて……ふふ、実に面白いな」
「あ、ありがとうございます……。あの、お名前は……?」
呆然とするナナオに対し、お兄様は名乗ることもせず、柑橘系の匂いを微かに漂わせながら、ハスキーに笑った。
「名乗るほどの者ではないさ。私はただ、君に少し興味があるだけの……通りすがりの観測者だよ。……大きな力を持っていながら、力に溺れず、ただの菓子を前にこれほど無垢でいられる君が、一体何者なのか、知りたくてね」
釣り銭とシュークリームの袋をナナオの手に握らせる青年。
その視線は、壊してしまいたいほどに愛おしいものを見るような、泥泥とした羨望と狂気に満ちていた。
「……じゃあ、また近いうちに。――地上の楽園で会おう、ナナオ」
青年はそれだけ言い残すと、踵を返し、足音もなく夜の新宿の闇へと溶けていった。 ナナオが袋を抱えたままコンビニセブンの外に出ると、初夏の生温かい夜風が通りを吹き抜けた。
青年の背後には、いつの間にか、もう一つの小さな人影がぴったりと影のように寄り添っている。
青年は、ピクリとも動かない少女の細い肩を後ろから愛おしげに抱き寄せると、まるで意思を持つ美しい人形の長い髪を優しく梳かすように触れながら、誰もいない虚空へ向かってハスキーな声を落とした。
「見ただろう、ライトニング・ゼロ。あれが私の探していた怪物だ。神の権能をあれほど無邪気に、無垢に行使してみせる……。本当に、壊してしまいたいほどに妬ましく、愛おしい個体だね」
二人の影は、新宿の夜霧の奥へと静かに消え去っていった。
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火、木、金曜 18時の週3回投稿になります。
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