神速の断罪と、黄金の塵
「……ころす」
その言葉が、私の口から漏れた瞬間。
黄金の玉座の間から、すべての音が消え失せた。
――ッ!!!
それは、音さえも置き去りにする、神速を超えた「概念の一撃」だった。
強欲の神――私の兄は、優雅に笑ったまま、自身の身に何が起こったのか、切り裂かれるその瞬間まで気づくことはなかった。
彼が認識できたのは、私が一歩を踏み出した、その刹那まで。
次の瞬間、彼の胴体は上下に泣き別れになり、豪奢な黄金の玉座と共に、その肉体は真っ二つに両断されていた。
再生? そんな悠長な現象が許されるはずがない。
私の放った大鎌の軌跡には、吸血鬼の本能と、限界突破した神の神格が融合した、この世で最も純粋で重い「殺意」が込められていた。その殺意は、彼の存在そのものを物理的・概念的に「切断」し、細胞一つ一つに死の呪いを刻み込んだ。
再生の理さえも切り裂かれた兄の肉体は、傷口から黄金の塵を撒き散らしながら、崩れ落ちることさえできずに宙で静止していた。
「あぁ……ぁ……」
私は、霧散していく大鎌を気にも留めず、黄金の床に横たわる四人の眷属の元へ、ふらふらと歩み寄った。
血だまりの中に沈む、動かなくなったセラフィ、ミア、リン、レヴィア。
「……私の、大切な……ゴミなんかじゃ、ない……っ」
私の中で、理性を塗り潰していた殺意が収まり、代わりに、底なしの「喪失への恐怖」が湧き上がってきた。
嫌だ。失いたくない。この子たちがいない世界なんて、生きている意味がない。
「……戻りなさい」
私は、四人の上に右手をかざした。
口から漏れたのは、魔法の詠唱ではない。神としての、絶対的な「命令」だった。
私の全身から、黄金と真紅の魔力を遥かに凌駕する、神聖で禍々しい「神の力」が奔流となって溢れ出した。
それは、傷を治す「回復魔法」なんて生易しいレベルのものではなかった。
事象の再生。あるいは、時間の巻き戻し。
――カチリ。
世界が、逆再生を始めた。
黄金の床に広がっていた血だまりが四人の身体へと逆流し、真っ二つに裂かれたセラフィの大盾が黄金の粒子となって再結合し、砕け散ったミアの双剣が元の形を取り戻し、リンの魔力障壁が再生し、レヴィアの裂かれた竜の鱗が元通りに閉じていく。
致命傷など、最初からなかったかのように。彼女たちが傷つく「前」の時間へと、空間そのものが巻き戻されたのだ。
「……っ、はぁ、はぁ……っ!」
四人の胸が大きく波打ち、呼吸が戻る。
それを見届けた瞬間、私の視界がぐらりと揺れた。魔力ではない、神としての力を過剰に行使した副作用。全身の細胞が、崩壊を始めていた。
「……お、驚いたな。……まさか、概念そのものを巻き戻すとはね……」
背後から、掠れた声が聞こえた。
見れば、上下に泣き別れになったまま、黄金の塵を撒き散らしながら、兄が辛うじて言葉を紡いでいた。吸血鬼の執念と、神としての最後の意地。
「……カノン。……それが、父上をも恐れさせた……神をも超える、唯一無二の素質か……」
兄の真紅の瞳から、傲慢さが消え失せ、底なしの恐怖と、そして……どこか晴れやかな、畏敬の色が浮かんでいた。
「……っ、黙れ……お母さんの、死の真相を……吐きなさいッ!」
私は、崩れそうになる身体を叱咤し、兄を睨み据えた。
「……ふふっ、そうだったね。……最期のプレゼントだ、妹よ」
兄は、黄金の塵になりかけの唇を歪め、残酷な真実を語り始めた。
「……傲慢の神、僕たちの父上はね……生まれたばかりのお前の、その底知れない力と素質を……恐れたんだよ」
「恐れた……?」
「そう。自分を超える存在になるかもしれない、とね。……だから父上は、お前を、愛することもできず生まれてすぐに殺そうとした」
兄の声が、静かに玉座の間に響く。
「……でも、母上はそれを許さなかった。……下等な吸血鬼のはずの母上は、お前を護るために、自らの命と引き換えに父上に挑み……そして、殺されたんだ」
「――ッ!!!」
世界が、凍りついた。
母は、私のために。私の命を護るために、自らを犠牲にして、父に殺されたのだ。
「……母上は、死ぬ間際までお前の名前を呼んでいたよ。……父上への愛など微塵もない、ただお前への愛だけを抱いて、逝ったんだ……」
「お母さん……お母さんッ!!」
私の目から、止めどなく涙があふれ出した。
絶望ではない。胸が張り裂けるほどの、母の愛への感謝と、父への、絶対に許せない、狂気じみた殺意。
「……さあ、真実は知った。……父上を、僕の代わりに、その手で……殺してくれ……カノン……」
兄は、最期に満足げな笑みを浮かべると。
――サラサラサラ……。
話し終えると同時に、その肉体は完全に再生の力を失い、美しい黄金の塵となって、玉座の間へと霧散していった。
強欲の神の、終焉。
後に残されたのは、彼が持っていた、黄金の神格の輝きだけ。
「……っ、あ……ぁ……」
母の愛を知り、兄を討ち、眷属を救った安堵。
そして、過剰な力の行使による、限界。
私の視界が、急激に真っ暗になった。
「カノン様ッ!!」
「カノン!!」
意識を失い、床に崩れ落ちる私の身体を、事象の巻き戻しで治ったばかりのセラフィとレヴィアが、困惑と心配に満ちた顔で受け止めた。
(……お母さん。……私、お母さんの愛を、無駄にはしないわ)
カノンの神殺しの旅路は、母の愛を胸に、真の「クライマックス」へと突入する。




