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歩兵隊長は聖女の侍女に恋をする  作者: 黒笠


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126/127

126 その頃聖女エストは2

 とりあえずは、パンすらもない。エストにとっては好物であり、必需品だ。故にまずはパン屋へと歩を進める。

「聖女様、いらっしゃい」

 もう馴染みとなっているので、気さくに声をかけられる。

「どうも」

 エストは軽く会釈した。変に距離を置かれるよりも良い。

(ラデンは小麦が美味しいから良いわぁ)

 パンが好物のエストにとっては、嬉しい特産物なのであった。惣菜パンから甘い貸しパンまであらゆるパンが並ぶ。

「バールの方じゃさ、あまり食べ物の味に頓着しないから。あんまり美味しくないのよ。こっちはいいわよね」

 誰にともなくエストは、告げる。一応、店主向けの言葉であった。

「最近はバールじゃ盗賊も出るって話だね。大変で味に頓着する余裕がないんじゃないかな」

 初老の店主がのんびりとした口調で返す。

 エストは惣菜パンや菓子パンにも心を揺らされつつ、結局は食パンを幾つか購入する。『美人さんだし聖女さまだし』と幾らかおまけしてもらえたのが嬉しい。

 エストは意気揚々と次の店へと向かう。

(出来れば魚や野菜とかも買っておきたいけど)

 頭の中では必要なものと欲しいものとを峻別していく。

 聖女であろうとも生きているのだから物資は必要なのだ。

「エスト様?いえ、聖女様?」

 上から声をかけられた。視界が翳っていたことに遅れてエストは気付く。

 見上げると馬車の小窓からレニー・ティグリス侯爵令嬢が自分を見下ろしている。

「ティグリス侯爵令嬢、ごきげんよう。ごめんなさいね、お買い物中で」

 会釈してから、エストは買い物かごを示す。パンしか入っていないのだが。

「聖女様自らですか?ティスさんはどうしたんです?」

 かつてはカートとのことで、ティスをなじったこともあるが、その後、更に魔獣から助けられたことで逆に感謝するようになった。

「シュルーダー卿にくっついて、南へ行ってしまったんです」

 肩をすくめてエストは答える。雇い主の自分よりも恋人をティスが優先した格好だ。

「それは寂しいですね」

 レニーが気の毒がる顔をした。

「どうです?あの広い御屋敷にお一人では気が滅入るでしょうから。当家で滞在しては」

 パンッと手を合わせてレニーが言う。『お嬢様、無断でそんなお誘いは』と侍女が小声でたしなめているのだが。

(悪くないかも?私、まだこっちじゃ知り合いが少ないし)

 エストは思案する。

「確かに急に言い出して、私ったら、不躾だったかしら」

 レニーが不安げだ。

(ティスの帰還までは別にいいかしら)

 エストが誘いに乗ろうかと思ったところ。

「聖女様ー」

 叫ぶ声がする。

 面識のない、小柄な、いかにも文官という風情の男が駆けてきた。近づいてきて立ち止まる。顔が汗だくだ。

「どちら様?」

 思わずエストは尋ねる。

「私は行政官のテスロと申します。女王リオナ陛下の留守を預かる身ですが」

 思ったよりも高位の文官だった。

(確かに身なりは良いわね。汗のせいで台無しだけど)

 エストはレニーと顔を見合わせる。

「行政官の御方が何の御用です?私が先に聖女様とお話しておりましたのに」

 プンプンと腹を立ててレニーが言う。

「近衛の留守部隊の運用について、ご助言を賜りたく」

 そして何の前触れもなく、行政官テスロが切り出す。

「はい?」

 エストは正面から目の小さなテスロを見返す。

「近衛の留守部隊がおりますので、陛下がお留守の王都にて、もっと効率的に運用すべきではないかと。意見が出始めたのですが、うまくまとまらず」

 困り顔で文官テスロが言う。

「聖女エスト様のご意見を、となったのです」

 そして言い切ってからエストの言葉を待つ。

「だから、なんで私に聞くんですか?」

 初対面の相手である。一応、エストは丁寧に訊き返す。

「そうですわ、エスト様は聖女様です。なぜ、近衛の留守部隊の運用など、相談するのです」

 苛立ちのままレニーも口添えしてくれた。横で聞いていてもおかしな話なのだ、とエストは力を得る。

「ええっ、それは」

 文官テスロが驚く。

 わざとらしくない。本気で驚いている。

「女王陛下から、自分の留守中、重大事案の存念はエスト様にうかがうように、と」

 とんでもない不意討ちを受けた。

(あの、陛下め)

 エストは嘆息する。

「カート隊長はいない。パターガーさんもクイッドも、ヨギラス騎士団長も」

 エストはとんとんと自分の右手の指で左腕を叩く。いつの間にか腕組みしていた。話が見えてはきたのだが。

「でもさ、ラデン王国にだって、高位貴族がいるでしょう?その人たちを差し置いて?私が?」

 エストは一方で腑に落ちてもいた。

(あの女王様ならやりかねない。でも)

 徹底的に自分を上手く使い、かつ箔付けもするつもりだ。

「そこの手回しもしてあるようで、諸侯の、皆様からの紛糾はございません」

 貴族たちも貴族たちで、自分の手並みを見ようということだろう。

 エストはもう一度、深々とため息をつく。

「私は確かにバールで皇妃教育も一通り受けた。たぶん、基本は分かるわよ。考えられる。でもさ、ラデン特有の云々かんぬんはさっぱりよ?助けてくれる気はあるの?」

 代わりに政務を取れという無茶振りを、エストは受け入れるしかない。

(ま、望むところっちゃ望むところ?自分の力を出し切る場面は、なんであれ、大歓迎だから、国を出たんだし)

 政務など母の大聖女では、間違いなく出来なかった芸当だ。

「そこはもちろんでございます」

 勢い込んで文官テスロが頷く。

「エスト様、よろしいんですの?絶対、大変ですわ」

 レニーが心配そうだ。

「困っている方々がいて、私に助けられるなら、労は惜しみません」

 エストは微笑んで答えた。

「滞在はまたの機会に致しましょうね」


 

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