112 牛を倒す1
ティスは村の周辺を散策し始めた。
特に目的意識があってのことではない。周辺の地勢を把握したいという気持ちはあるので、趣味と実益を兼ねている。
(私の生活なんて、本当はこんなぐらいでいい)
まるで貴族令嬢のように傅かれてきた、カート邸での暮らしを思うと、今の方がしっくり来る。
木々に囲まれて、自然、無意識に感覚を研ぎ澄ませていた。
「ん」
そうすると肌に触れてくるものがある。
嫌な気配だ。
ティスは咄嗟に手頃な木に跳び上がると、そのまま高みを目指す。
ドドドッという太い音が響く。
音のする方を求めると、木々の合間を巨大な黒い影が走っていた。
多少の木であれば薙ぎ倒している。
どう見ても野生の魔獣ではない。
(あれが、ラウドオックスね)
宿屋での会話をティスは思い出す。
(ちょっと、思っていたよりも近いわね)
パターガーやクイッドのいる山寨をティスは見やる。
見える位置だ。今頃は順番的にクイッドが当番を始めている頃合いだ。
「邪魔になるわね、このままだと。時間を潰すのにはちょうどいいかしら?」
声に出してティスは呟く。
そして好戦的な微笑みを浮かべた。
(そもそもなぜ、バールから国境を侵してまで、盗賊たちはラデン王国に略奪をしにきていたのかしら?まぁ、こういうことよね)
現在、魔獣の多発に悩まされているのがバール帝国だ。皇都から見て辺境である、この地方といえども例外ではない。
(物資の面でも次第次第に困窮してきている。真っ当に生きられている人のほうが珍しいのかしら)
じっとティスはラウドオックスを眺めていた。
体長は(約4メートル)ほど。体高も同じくらいなので巨大な箱に黒い2本角が生えているかのような姿だ。
「正面には、立ちたくないわね」
目を細めてティスは観察する。
(弱所は首筋)
そして見て取った。
相手の動線を見極めて、時には迂回しつつ樹上を移動する。距離を詰めていく。
「とりあえず、あの魔獣は倒す。だって、行ってはならないほうへ、近づいているんだもの」
ティスは短剣へと手を伸ばす。
大事なのは位置取りだ。正面から挑めば自分など容易く踏み潰される。高さも横幅もあるので、突進を避ける術はない。
(走る速さもなかなかだから)
それでもティスは距離を確実に詰めていく。
気がつけば、盗賊のいる山寨と牛との動線の間にいた。
相手よりも上にいる。
(飛び降りれば、首を斬りつけられる。ここなら)
後は相手が間抜けにも下へと至ればいい。何も考えていなさそうな牛の顔を見るに、何も考えずに走り抜けようとするだろう。
そろそろとティスは息を吐く。
身を潜める枝が敵の振動で揺れる。
(本当にエスト様は多才な人)
ティスは腐れ縁の雇い主の顔を思い浮かべた。
ラデン王国に来てからは聖女としての力量も伴うようになったので、口だけ聖女ではなくなりつつある。
高位貴族とのやり取りに乏しい自分を、女王リオナとの確執について、助けてくれてもいた。
(そして、この武器への魔力の付与)
短刀2振りも、ただの短刀ではなくなった。
(いまっ)
ティスは枝から身を投じて、ラウドオックスの首筋に斬りつける。
ただの斬撃のはずだ。
(何これ)
刀身が白い光を放っていて、斬撃も白い線が走る。
斬ったところよりも明らかに広域に効果を及ぼしていた。
手応えがおかしい。今までに無い威力だ。
斬りつけたティス本人が驚くほど。
「やった?」
呟きながら、そのまま地面に落ちては大怪我をするので、短剣を手頃な大木に突き立てて落下を止める。
そして、勢いを完全に殺してから、ふわりと着地した。
(振り向いて、私を睨むとかはやめてほしいけど)
勝てると感じて挑んだものの、ティスは今になって不安に思う。
無謀だったのではないか。
(気が大きくなった?武器が強くなったから?私も現金ね)
自嘲気味にティスは思う。
しかし、感覚は信じて間違いのないものだったようだ。
数歩、ラウドオックスが走り、そして停止する。
数秒後、停止した先で横倒しに倒れた。振動で地面が揺れる。
ティスは半ば呆然としながら、ラウドオックスの転倒を見つめていた。動かない。一撃のもとに巨獣を仕留めたのだ。
(まさか、こんな威力になるなんて)
ティスは短剣を見つめた。仄かに白い光を宿している。
一応、それなりの業物ではあるのだが。もともとは魔術的な要素など無かった短剣だ。
練習と称して、エストが魔力を籠め続けてきた。
無駄な悪戯とは思わなかったが、所詮は短剣である。
(振っているうちに、なんかおかしいなとは思っていたけど)
ちょっとした盗賊の革鎧ぐらいならば鎧ごと斬ることが出来ていた。
(相手の武器を切っちゃったこともあったわね。そんなこと、今までは無かったのに)
思い出し、ティスはラウドオックスの巨体を見上げるのであった。




