【第二章 】第三話:施設
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週が明けた月曜日。日直のためいつもより少し早く登校すると、玄関のところで背中を思い切り叩かれた。この痛みは阿佐美だろう。俺は先日のこともあるのでどんな顔をしたものかと、暗澹たる気持ちで振り返った。
しかし、太陽のようにまぶしい笑顔で阿佐美は立っていた。
「この前はゴメン!」
阿佐美は両手をパチンと合わせて謝罪した。
「ちょっと嫌なことあったから、どうかしてた。気にしないで。ホントごめんね」
阿佐美はそれだけ一方的に伝えると、嵐のように走り去ってしまった。
叩かれた背中が呪いのようにジリジリと痛んでいた。
放課後、学級日誌の作成をしていたため、部室へ行く時間が少し遅れた。
俺は柄にもなく廊下を速足で進み、部室棟の階段を駆け上り、部室の古いドアを開けた。
「よお副部長。重役出勤か?」
正面の窓際で、アゲハ先輩は首だけこちらに回して不敵に微笑んだ。
体中の力が抜けて、溜息がこぼれた。
アゲハ先輩に会うのが半年ぶりくらいに感じた。
「悪りいな。言ってなかったか?」
副部長の件を問い詰めると、アゲハ先輩は悪びれる様子もなく溜息をこぼした。女郎がキセルを吹くような仕草だった。
「私も聞いてなかったー」
白羽が眠たそうな声を上げた。
「そうか、まあ副部長なんて名前だけのもんだ、別に誰だっていいさ。白羽、お前がやるか?」
アゲハ先輩は気怠そうに白羽をからかった。
「私は来年やります―」
「そっか」
白羽のせりふにアゲハ先輩は、これまで見たことのない穏やかな表情で、歯を見せて微笑んだ。白羽が部に残ろうとしていることが嬉しいのだろうか。ただ一つ言えるのは彼女はこの部室やここの部活を愛している。弱い体に鞭を打ってまで守ろうとしている。口では何と言おうと、ここは彼女が諸先輩方から受け継いだ聖域なのだ。
アゲハ先輩は誰でもいいといったが、俺はその重責を背負った。
「副部長も着いたし始めるか」
アゲハ先輩は相変わらず窓際に居座りながら、気怠げに話し始めた。
俺はコノハ先輩と白羽と同じく、長机の前のパイプ椅子に腰掛けた。
「前にもちらっと言ったが、児童養護施設から依頼が来た。次の日曜だ。大体二三か月に一回、夏休みは複数回頼まれる。この部のお得意様だ。やることは子供の遊び相手になったり、勉強を見てやったりだ。オレたちくらいの歳のやつもいるが、勉強は中学生くらいまで、遊びは小学生くらいまで見てやればいい。なんか質問ある奴いるか?」
誰からも質問無いのを確認すると、アゲハ先輩はまた話し始めた。
「時間は大体昼過ぎから夕方まで、瀬戸顧問の車で送ってもらえるから、学校に集合だ。言うまでもないが動きやすい格好で来い。別に学校指定のジャージじゃなくてもいい。それと最重要事項だ。施設内やそこに住む人間の写真を撮ったり、SNSに上げるのは論外だ。気を付けろ」
「はーい。私、童謡練習してきましたー」
沈黙を白羽の能天気な声が打ち破った。
「そうか。ホールがあるからそこでガキどもと一緒に歌ってやれ」
気のせいかアゲハ先輩は俺よりも白羽に優しい気がする。
「あいさー」
白羽はギターを手に取ってじゃらーんと鳴らした。
「私は?」
コノハ先輩が尋ねた。
「お前はガキ受け良さそうだから室内でお絵描きでもしてろ。来斗は外で走り回ってろ」
「アゲハちゃんはー?」
白羽は大きく体を傾けてアゲハ先輩に尋ねた。ちゃん呼びとは、コイツ怖いもの知らずだな。
「オレかー? オレはガキの相手はしてらんねーから中学生に勉強を教える」
まあそういうわけだと、アゲハ先輩は初めて、こちらに向き直した。
「まさか予定があるなんて、言い出すバカいねーよな」
誰も異論は挟まず、今年度初の郊外活動は全員参加で迎えることになった。
名目上は副部長だというのに下っ端根性が染みついているのか、集合場所の校門に俺は一番乗りしていた。グラウンドから聞こえてくる運動部の掛け声を聞きながら、春の日差しで光合成して待ちぼうけていると、俺の次に現れたのは予想通りコノハ先輩だった。デニムのワンピースの下に白いブラウスを着ていて、動きやすそうではあるが、あまり走り回る気はなさそうだ。
「お待たせー」
俺の姿を見つけ、手を小さく振りながら小走りで駆けてくる姿は、CMかなにかと勘違いしそうなほど清涼感にあふれている。
「一番乗りだね。流石副部長」
「いえ、たまたまです」
私服のコノハ先輩を堪能していると、背後から
「こんにちはー」
と白羽の声が聞こえた。
言いつけ通り動きやすいジーンズにTシャツ姿だが、白羽が着ると妙にハイセンスに感じてしまう。実際高いものだろうか。値段を聞くのはマナー違反か?
大方の予想通りアゲハ先輩は最後にやってきた。校門の前に赤いミニバンが止まり、彼女は助手席からするりと降りてきた。真っ白なワンピースは走り回る気などさらさらない。だが漆黒の髪と白い衣装のコントラストは、強烈なまでに似合い過ぎていた。このまま口を開かなければ絵画の如き美しさだろう。
ちなみに俺はと言えば、ファストファッション店の柄シャツとジーンズだ。背が高いと服の選択肢も狭まるのだ。
「揃ってるな、チンタラしてないで職員駐車場まで行くぞ」
挨拶もなしに、アゲハ先輩は校内へと歩き出した。赤い唇が残像のようにその場に残り、空中に線を描いたように見えた。
俺たちはアゲハ先輩の遅い足についてゆっくりと歩きだした。
瀬戸顧問のミニバンは天井が低く窮屈だった。そのうえ、アゲハ先輩が車に酔うからと断固として助手席を譲らないので、俺はコノハ先輩と白羽と共に後部座席に座る羽目になった。
カラフルな、どこか幼稚園を連想させる建物に着くと、さっそく子供たちが園庭を走り回っているのが見えた。俺たちは瀬戸顧問に先導されて、園長室に向かった。挨拶をし、注意事項を受けると、早速持ち場に着いた。
図体のでかい俺を園庭の子供たちは最初怖がっていたが、好奇心旺盛な彼らはすぐに飛び掛かってきた。俺は走り回ったり、肩車をせがまれたりして、彼らと過ごした。春だからまだいいが夏場は大変だろう。アゲハ先輩は夏は依頼が多いと言っていた。子供たちも夏休みで施設に人があふれかえるからだとか。俺は強豪校との練習試合の前のように、身の引き締まる思いだった。俺の方が時間を忘れるほど、充実した時を過ごした。
「お疲れ様です」
先ほどまで一緒に走り回っていた。中学生くらいの女子が俺に麦茶の入ったコップを差し入れた。アゲハ先輩ほどではないが随分細くて白い子だった。
俺はありがたくそれを受け取って、一気に飲み干した。
「あの、初めて来られた方ですよね? 一年生なんですか?」
俺から空いたコップを受け取ると少女は恐る恐る尋ねた。
「いや、俺は二年だよ。途中から入ったんだ」
「そうなんですね。あの……私、同じ高校を志望しているんです。それで受かったらKVCさんに入りたいと思ってるんです」
不幸……とは言っていけない気がするが、恵まれない境遇で、さらに人に尽くす部に入ろうとする彼女の奉仕の精神を尊く思った。彼女ならきっと良き部員になるに違いない。
「じゃあ、来年一緒だね。部長も喜ぶよ」
「桂川さんですね。前から何度もお世話になってます」
「今日は勉強教えてもらわなくていいの?」
「はい、おかげさまでちょっと余裕あるんです。だから勉強の邪魔しないように、今日はこの子たちと遊びます」
「行ってきてもいいよ。今日は君の分まで俺が遊ぶから」
俺は頬を両手で張って気合を入れた。なにせ子供たちの体力は無尽蔵だ。
俺は日が暮れるまで子供たちと走り回った。
ふと、将来こんな仕事に就けたらいいな。そう思った。
帰りの車も当然のように後部座席だった。
アゲハ先輩は窓を全開にして、風を浴びていた。
「みんなどうだった? 私はちょっと疲れちゃった」
コノハ先輩が尋ねた。
「私はずっと歌ってましたー」
隣で白羽が鼻歌交じりに答えた。
「聴こえてたよ。白羽ちゃんギター上手いのね。それにすごく綺麗な声だったわ」
「はいー、私―、シンガーソングライターになるのでー。それでー一曲だけヒットして有名になって、あとは幼稚園とか老人ホームとかを回るんですー。今日みたいなところもー」
疲れているのか、壮大な夢を語る白羽は眠そうだった。いや、いつもか。
「はっはっは、じゃあオレの葬式でも歌ってくれよ」
助手席からそんな声がした。
「桂川、そういう冗談は言うな」
瀬戸顧問がチクリと告げた。
「すいません」
アゲハ先輩は素直に謝った。アゲハ先輩は一貫して瀬戸顧問には従順だ。
「そうよ。昔と比べて体もどんどん良くなってきてるのに、私やおばさんの苦労をなんだと思っているの」
コノハ先輩もお怒りだった。
「わかったよ、悪かった、悪かった。これでいいだろ?」
アゲハ先輩は不服そうに口を尖らせた。
「お葬式は泣いちゃうから歌えません」
白羽は珍しくはっきりした口調で言った。
「わかった。わかったーって。じゃあ結婚式で歌ってくれ」
「それならお任せー」
白羽は一転してご機嫌に返事をした。
「誰があなたなんか貰ってくれるのよ」
コノハ先輩はまだ少し怒っているようだった。
車は十五分ほどで学校に着いた。
心地の良い疲労が、体中に垂れ下がっていた。
「お前らご苦労。まあこんな感じで何度か呼ばれると思うから慣れていけ。次あるとしたらゴールデンウィークあたりだな。それまではケチな学内のボランティアだ。じゃあ今日はもう帰っていいぞ、解散」
アゲハ先輩の号令で、俺たちは散り散りになって別れた。打ち上げでもしたい気分だったが、さすがに少し疲れている。肉体だけではなく、子供たちに何かあってはいけないという精神的疲労がでかい。
コノハ先輩は先にバスに乗り、俺は一人バス停に取り残された。
「入ってよかったな」
俺は一人ごちた。
ただ白羽の歌が聞けなかったことだけが心残りだった。




