【第二章 】第二話:女王の不在
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それから三日間、アゲハ先輩は部室に姿を現さなかった。
メッセージを送っても一度『くたばってる』と返ってきたきりだ。
俺たちはその間、思い思いに過ごしていた。コノハ先輩は参考書を開いて受験勉強に精を出していたし、白羽はまたギターを持ちこんで、童謡の練習をしていた。最早ギターも持ち帰らずに、部室に置きっぱなしにしている。
俺はというと趣味という趣味もないし、スマホでゲームをしたり、動画を見たり、たまに勉強をしたりしていた。
ふとした瞬間に会話が起こり、またそれぞれにライフワークに戻っていく。
「ごめんねあの子見た目だけじゃなく、本当に体が弱いのよ」
不意にコノハ先輩が口を開く。
「ここのところ活動的だったから少し無理をしていたのかもね。でも昔よりはずっと体も良くなったのよ。甘やかされてあんな性格になっちゃったけど」
コノハ先輩の口から聞く「あの子」という響きは慈愛に満ちていた。彼女はずっと近くで見てきたのだ。アゲハ先輩の戦いの歴史を。だから彼女はアゲハ先輩を叱りつけるとき、呆れながらも少し嬉しそうなのだ。
瀬戸顧問が部室の扉を勢いよく開いたのは、アゲハ先輩がロストしてから三日目のことだった。
「桂川いるかー?」
瀬戸先生はそう言いながら、我が家のように部室に入ってきた。そして、彼女の姿が無いことを確認すると、小さく鼻を鳴らした。
「もう一人の桂川ならいますよ」
コノハ先輩が冗談めかして手を上げた。
「ああ、綺麗な方の桂川か。ややこしいな」
綺麗な方の桂川という表現には賛同するが、どうやら瀬戸先生にはアゲハ先輩の本性はバレているようだ。まあ美人という意味ではアゲハ先輩もお綺麗だが。
「まあいいや、私と環境委員会からの依頼を持ってきたわよ。校門前から校舎の玄関までの草むしりをお願い。この時期からやらないと、夏には手が付けられなくなるからね。あ、軍手はこっちで用意してあるから」
初めての依頼だった。それも草むしりときたら、アゲハ先輩の手を借りずとも遂行することができる。むしろアゲハ先輩は何の役にも立たないだろう。
「はい、引き受けました」
コノハ先輩が涼やかな声で快諾した。
「良かったね。お仕事だよ」
草むしりという女子なら嫌がって当然の作業を、コノハ先輩は嬉しそうに引き受けた。アゲハ先輩の監視だけではなく、彼女もまたこの部活動に前向きだ。
「じゃあジャージに着替えようか。冬川君は悪いけどちょっと外に出ていてくれるかな?」
「了解です」
俺はすぐさま部室から飛び出た。壁にもたれて女性陣の着替えを待っていると、中から瀬戸顧問を含めた女子三人の楽しそうな話し声が聞こえる。なんだか心臓に悪い。
俺はしばらく春の暖かさと、心地の良い風に身を任せた。入学から一年経った。バレーばかりしていたが、それから解放されて、俺は今自由だ。また新しい部に所属したばかりだというのに、そう思った。だが俺は心のどこかでアゲハ先輩の乱暴な指示を心待ちにしていた。
俺がジャージに着替えて部室から出てくると、細い通路で三人が俺を待っていた。
「お待たせしました」
「全然待ってないよ。男の子って着替え早いよね」
ジャージ姿のコノハ先輩はにっこりと笑った。
「じゃあ、部長がいないから副部長さん号令を出してください」
コノハ先輩は、まるで我が子の門出を見送るように目を細めた。
え、俺?
「副部長ってコノハ先輩じゃないんですか?」
俺は慌てて尋ねた。
「違うよ? 私は三年生だし、アゲハから聞いてない?」
コノハ先輩は首を傾げた。
聞いていない。というか、それを言うならアゲハ先輩だって三年生じゃないか。
「何も聞いてないです」
「そうなの? あの子ったら」
コノハ先輩は呆れた。
「まあ、でもそういうことだから、お願い」
小首を傾げながらコノハ先輩は可愛らしく頼んだ。この人も小悪魔的な部分があるのではないだろうか。
「副部長ー。よろしくー」
横から何も考えていない白羽の声が聞こえる。
俺はため息をついて、腹に力を入れた。
「わかりました。それでは『学内ボランティアサークル部』今年度初の依頼です。頑張っていきましょう」
「はーい」
「了解です」
「ははっ、頑張れよ」
それぞれの声を浴びて、俺は先頭を切って校門へ歩き出した。
草むしりはボール拾いに似ている。俺はレシーブを打つときのように腰を低くかがめて、次々と草を引っこ抜いていった。まだ深く根の張っていない草々は、片手で容易に抜くことができた。アゲハ先輩ならともかく、これなら女子でも問題ないだろう。
草の山を作りながら、俺は通路のベンチにアゲハ先輩が居るように思えて仕方なかった。プラカードを持って座っていた時のように、気だるげに背もたれに背中を預けて、何かに悪態をついている光景が目に見えるようだった。だがベンチの上には年季の入った『校内ボランティアサークル部。お手伝い中』と書かれたプラカードが立てかけてあるだけで、彼女の姿はない。
俺は右手の軍手を外すとスマホを手に取り、引き抜かれた草の山を撮影した。それを不在の部長に代わって、部の公式SNSにアップした。
作業に戻ろうと、軍手をはめ直したとき
「アンタ何してるの?」
横からひどく張り詰めた声がした。
振り向くと、阿佐美が直立不動で俺を見下ろしていた。昔から時々見せる爬虫類の目の見開き方だった。
「草むしりだよ」
俺は作業に戻って答えた。
「なんでそんなことしてるのかって聞いてるの」
ゾッとするほど静かな声で阿佐美は尋ねた。
「あれは何?」
阿佐美はベンチのプラカードを指さした。
「その部に入ったんだ。草むしりだって、俺みたいな大男にはうってつけだろ?」
そう言って俺は、草を引っこ抜く。
「こっち向いてよ!」
阿佐美は大きな声を出したかと思ったら、俺の体を両手でドンと押した。倒れはしなかったが、現役バレー部の押し出しはかなりの力だった。
「どうしたんだよ」
俺が再び阿佐美の方を振り向くと、彼女は泣いていた。意味がわからなかった。
「本当にバレーやらないんだ」
「そう言っただろ? だから精々楽しくやろうと思って部活に入ったんだ。スカウトだけど」
俺は戸惑いながら答えた。
「誰にたぶらかされたの?」
ひくひくとまぶたを痙攣させながら、阿佐美は弱々しく尋ねる。
たぶらかされるとは人聞きの悪い。だが俺は実際、アゲハ先輩の持つ不思議な魅力にたぶらかされてここにいるのかもしれない。
「この部の部長だよ。今はいないけど」
「どうしてそんなに冷静なのよ。女の子が泣いてるのよ」
阿佐美は絞り出すように訴えた。
「動揺してるよ。何から何までよくわからない」
「嘘! いつもみたいに高いところから、私を見下してる」
今俺を見下ろしているのはお前の方だろうとは言えなかった。きっとそういうことじゃない。俺だって余裕ぶっているわけじゃない。ただそう見えにくいだけだ。
「……ッ」
阿佐美は何も言わず校門へ向けて走り出した。
追いかけるべきだろうか。だが彼女を捕まえたところで、俺が向ける言葉は思いつかない。
俺は草むしりに戻った。
「とっとと働け、このデクノボー」
そんなアゲハ先輩の声が聞こえた気がした。
「じゃあ撮るぞー」
瀬戸顧問は俺のスマホを構えて、シャッターを押した。
スマホが戻って来て画像を確認する。草のいっぱい入ったゴミ袋の後ろに俺とコノハ先輩と白羽が並んでいる。
「顔映ってますけど、SNSに上げていいんですか?」
俺は二人に尋ねた。
「いいよ。私は初めてじゃないし」
「私もおっけー」
二人の了承を得たので、俺は画像をSNSにアップして『今年度初仕事(部長欠席)』と書き込んだ。
俺はその画像を部のグループチャットに張り付けて共有した。部長への報告も兼ねてだ。
部室で男女交代で制服に戻った俺たちは、しばらくまどろむように部室に居座った。草むしりは予想より早く終わったので時間はまだある。
「疲れたー。でも冬川先輩とー瀬戸せんせーがーほとんどやっちゃったねー」
白羽は机にふにゃりと同化しながら呟いた。
「本当。助かっちゃった。やっぱり男手って大事ね」
コノハ先輩が手を合わせて微笑む。
「いえ、このくらいしか取り柄がないので」
「あ、照れてる」
コノハ先輩が悪戯っぽく笑う。くらくらする。
「照れてるー」
白羽も乗っかってくる。
アゲハ先輩がいたら、ここで何か皮肉を言ってくるのだろうか。
彼女がいないだけで部室はこんなにも平和だ。
だが俺はそれを物足りなく感じた。
「男の子が少なくて不安だったけど、冬川君がいれば二倍働いてもらえるね」
先輩なんか恐ろしいこと言わなかったか。
「働け―働け―冬川少年ー」
白羽はギターを取り出して軍歌みたいなリズムを刻みだした。
みんなの体力が回復したところで本日はお開きになった。
バス停までコノハ先輩と二人だった。それぞれのバスを待つ最中、コノハ先輩は俺にそっと顔を寄せてきた。
「さっきの子、彼女?」
阿佐美のことだろう。二人からは距離が離れていたが、阿佐美も大声を出していたし、先輩も何かあったと察したのだろう。
「違いますよ。女バレで付き合いは長いですがそういう関係でないです」
「そういうつもりもないの?」
「ないですよ。俺にも何が何やら」
「そう。ならなおのことはっきりしなくちゃ駄目よ」
そうしてコノハ先輩は「お節介しちゃった」と小さく笑った。
俺のバスが来て、コノハ先輩と別れた。
バスの座席でゲームをしていると、グループチャットの通知が入った。
開くとアゲハ先輩からだった。
『雑用ご苦労。いきなり草むしりとは先が知れるな。まあオレが言うのもアレだが、よく休め、ご苦労』




