【第二章 】第一話:始動
第二章
『校内ボランティアサークル部』の宣伝のチラシは、ほとんどコノハ先輩と白羽が作ってしまった。コノハ先輩は字が上手で、心の綺麗な人は字も綺麗なのだなと、俺は妙に納得してしまった。白羽は絵や装飾が上手く、コノハ先輩の字を明るく賑やかに飾った。抜けているところも含めて芸術家肌なのだろう。
完成したチラシを、アゲハ先輩は「甘っちょろい」とか「女々しい」と吐き捨てていたが、不採用にする気は無いようだった。
「これから、職員室でこれをコピーする。ついでに職員室の教師どもにも配るから全員付いてこい」
何もしてないのにアゲハ先輩はチラシを白羽の手から掠め取って、部室の外へと悠々と歩き出した。俺たちも後を続いた。
狭い外壁の通路をアゲハ先輩は先頭を切って歩いた。その歩みは驚くほど遅く、後がつかえた。階段に差し掛かると、俺は彼女が階段から足を踏み外して転落しないか心配だった。
「相変わらず錆びくせえな」
そんなことを呟きながら、アゲハ先輩は一段一段を落下するように階段を降りた。
「あー遠い。歩くのがめんどくせえ。おいお前、お姫様抱っこしろよ。この場合お姫様はオレな」
校舎に入ったところでアゲハ先輩は俺にそんなことを命じた。
「勘弁してくださいよ。目立つでしょう」
「もう放課後だ、目立ちやしねえよ」
「冗談でしょ」
「当たり前だ。コミュニケーションだよ、部長としてのな」
「冬川君。あんまりアゲハの言うこと真に受けなくていいのよ」
コノハ先輩がやさしく俺に語り掛ける。
「ケッ」
アゲハ先輩が吐き捨てる。
「私もして欲しいー」
白羽がずれたことを言い出す。
こんな会話が日常になるのだろうか。少し頭が痛いが、居心地は悪くなかった。
アゲハ先輩は毛ほども躊躇せずに、職員室の戸を開け、言い放った。
「失礼致します。『校内ボランティアサークル部』です。瀬戸先生の許可を得てコピー機をお借りに来ました」
猫かぶりモードだ。
アゲハ先輩は我が物顔で職員室を歩き、まっすぐコピー機へ向かった。
そして手慣れた動作でコピー機にチラシを読み込ませ、パネルの数字を1、0、0と入力した。
「そんなに刷るんですか?」
俺が尋ねるとアゲハ先輩は
「ケチケチすんな」
と小声で言って、印刷ボタンを押した。
コピー機が大量のチラシを吐き出している間、気まずい思いをした。職員室でお喋りをするわけにもいかず、なんとなくスマホも取り出し辛い。ただ立ち尽くしているだけの時間は居心地が悪かった。俺は分厚くなっていく紙の束を、ただじっと眺めていた。
出力が終わると、アゲハ先輩はそれを俺たちに分けた。そして、教師たちの机が並ぶ方を向き直った。
「お仕事中大変失礼します。私たちは『校内ボランティアサークル部』です。今年はこのメンバーで活動します。どんな雑用でも構いませんのでいつでも申しつけてください」
猫を被った声でそう宣言すると、俺の足を蹴った。
「ほら行け。空いてる席にも置け」
俺は恐る恐る、教師一人一人に直接あるいは空いた机に、チラシを配った。他の二人もそれに続いた。アゲハ先輩は、もう仕事を終えたという表情で退屈そうに佇んでいる。
チラシを配り終えた俺たちがアゲハ先輩の元に戻ると、彼女は「うん」と満足げに頷いた。
「重ね重ねお仕事中失礼致しました。私たちはこれで失礼します。お仕事頑張ってください!」
一層猫を被っているアゲハ先輩は「いくぞ」とまた俺の足を蹴り、職員室の外へ向かった。室外に出る際に「お邪魔しました」と一礼することも忘れず、最後まで演じきった。部長自ら猫を被らなくても、コノハ先輩の天性の品の良さがあればことはスムーズに運ぶと思うが、見るからに病弱な彼女がやることに意味があるのかもしれない。
「よし、今日はもう帰ってもいいし、勝手に親交を深めててもいいぜ。オレは帰る。依頼もねえしな」
職員室を出ると早速、アゲハ先輩は宣言した。少し疲れた様子だった。
帰っていいと言われたが、みんな鞄を部室に置いているので、一旦部室に戻ることになった。
校舎の玄関に差し掛かると、アゲハ先輩は突然、一団から外れて下駄箱横の傘立てに腰掛けた。
「誰かオレの鞄を持ってきてくれ。オレはここで待ってる」
まるで当たり前のことのように、アゲハ先輩は言った。
「そのくらい自分でしなさいよ」
コノハ先輩はそう叱り付けたが次の瞬間には「もう……」と鞄を持ってくるのを決めた様子だった。
「コノハ先輩、俺が持ちますよ。どうせ玄関に来るんだし」
「そんな、悪いわ」
「チラシ作りに貢献できなかったのでこのくらいさせてください」
「どっちでもいいから早く持って来いよ」
アゲハ先輩の悪態を聞きながら、俺たちは部室へ戻った。
「冬川さんは2年生?」
部室に戻るとギターをケースにしまいながら白羽が俺に尋ねた。
「そうだけど、ここには入ったばっかりだよ」
「何で二年から部活に入ったのー?」
白羽は無邪気に聞いてくる。
「バレー部に居たんだけど、合わなくて辞めたんだ」
「そうなんだー。私と一緒だねー」
一瞬、否定したくなった。俺がバレー部を辞める勇気と同じにしてほしくなかった。俺はすぐに首を横に振った。なにも違いなんてない、きっとそうだ。
「そうだな一緒だな」
俺は鞄を二つ持って部室を出た。コノハ先輩が部室に鍵をかけた。
「みんなの分の鍵も作らなきゃね」
朗らかな笑顔に癒される。
「ごめんね冬川君。荷物持たせちゃって」
頬に手を寄せて、内緒話のように、コノハ先輩は囁く。
「いえ、このくらいさせてください。力だけは余ってますから」
「そ、改めてこれからよろしくね。アゲハのことで何かあったら私に言うのよ」
「はい」
玄関に戻るとアゲハ先輩は苛立たしそうに「遅せえ」と吐き捨てた。
それから鞄を持ったまま駐輪場まで歩かされ「ここ」と指さされた自転車のカゴにバッグを入れた。
アゲハ先輩の自転車は電動アシスト付きだった。高校生で乗っているのは初めて見る。
「じゃあな。オレのことが嫌いになったらいつでも辞めるって言えよ。ギスギスしたまま活動するのは面倒だからな」
それを捨て台詞にアゲハ先輩はゆっくり自転車を漕いで、帰路についた。
俺はコノハ先輩とバス停まで歩いた。白羽は駅のため反対方向だった。
「じゃーねー」
重そうにギターケースを背負いながら、白羽は大きく手を振った。俺とコノハ先輩は小さく手を振った。
残念ながら先輩とはバスの方向が違ったので、俺は一人でバスに乗った。
バスの暖房はもう切られていた。
今日の活動は、昨日の宣言通りチラシ配りだった。
アゲハ先輩は、二枚の紙に「美術部。美術室」とか「陸上部。グラウンド」とか書き込んでいた。どうやら二手に分かれるようだ。
作られたばかりの部のグループチャットに『放課後。全員部室集合。』と早速アゲハ先輩からのメッセージがあったため、俺たちは昨日に引き続き部室に集まっていた。
「白羽ちゃん今日はギター持っていないのね」
「うんー。毎日持って来たら疲れるー」
コノハ先輩と白羽の親子のような会話を聞きながら、俺は椅子ごと部室の床に沈んでいくような、浮遊感を覚えていた。
「よし出来た」
アゲハ先輩はマジックのキャップを勢いよくしめた。
「ここに書いてある場所に営業をかけてこい。A班はオレと来斗、B班はコノハと白羽だ。愛想良くして来いよ」
「はーい。コノハちゃん一緒だねー」
白羽はコノハ先輩に抱き着いていた。本当に親子のようだ。
「さっさと行け。オレはゆっくり行く」
アゲハ先輩に追い出されるようにコノハ先輩と白羽は部室を後にした。
「よっこらせ」とアゲハ先輩はゆっくり立ち上がった。
昨日の職員室での光景の通り、アゲハ先輩の営業は完璧だった。俺は余計な口を挟まず、常にその猫なで声を一歩後ろで聞いていた。
アゲハ先輩はじれったいほど歩くのが遅かった。俺も背丈のわりに歩くのが遅く、よく列の一番後ろを歩いていることが多いが、彼女の遅さはその比ではない。
俺は彼女の歩調に合わせて歩いた。スローモーションのように流れる景色を眺める。これがアゲハ先輩の見ている世界なのだ。
俺たちは体育館の前に差し掛かった。
バレーボール特有の、ボールが床で弾ける音が聞こえた。俺は足を止めた。
30センチ先でアゲハ先輩は振り返った。
「どうしたウスノロ」
「俺、ここで待ってて良いですか?」
俺はアゲハ先輩の小さく整ったうなじに尋ねた。
「なんだ、古巣に怖気付いたのか? 情けねえ」
「そうです。怖気付きました」
俺は正直に答えた。
アゲハ先輩は俺のネクタイを引っ張って、無理やり俺と目線を合わせた。長いまつげの下の黄色がかった透明な瞳が、睨みつけるでもなく、まっすぐ俺のことを見ていた。
「いいよ。オレも気が利かなかったな」
やがてアゲハ先輩は優しい声で囁いた。
「……すいません」
「謝ってんじゃねえ」
俺が謝罪すると、アゲハ先輩は乱暴にネクタイを放し、振り返った。
「きっちり営業して、依頼もぎ取ってきてやるよ。そのときはお前も覚悟決めてバレー部の下僕になるんだな」
アゲハ先輩は普段の憎らしい彼女に戻った。
「ありがとうございます」
アゲハ先輩は体育館の中に消えた。
俺は通路で立ち尽くしながら、彼女の帰りを待った。
俺はこの部でまだ何もしていない。何の役にも立っていない。
無力感にさいなまれながら、バレーボールが床で弾む音を、ただ聞いていた。俺のスパイクならきっと、もっと大きな音を出しただろう。




