【第一章 】第三話:手打
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アゲハ先輩の猫かぶりは年季が入っていた。折り目正しい話し方とたおやかな仕草は、まさしく薄幸の令嬢といった具合だ。自分で提案したことだが、これなら本当に一目惚れした男子生徒の一人や二人入ってきそうだ。
だが実際、俺たちの前で立ち止まり、話を聞こうとする生徒は現れなかった。
「まあ、こんなもんだろ。今日はでかいのが釣れたし良しとしようじゃねえか」
アゲハ先輩の一言でその朝は解散となり、俺たちはアドレスを交換した。
昼休みに早速連絡が来た。
『放課後部室に来い。新入部員に会わせてやる』
アゲハ先輩の言っていた「当て」のことだろうか。
『部室はどこにあるんですか?』
俺は、至極当然な疑問を返した。詳しい話はまだ何も聞いてない。
『部室棟に決まってるだろ。二階の真ん中へんだ』
『わかりました』
アゲハ先輩が連れてくる新入部員がどんな人物なのか全く想像つかなかった。そもそも彼女が教室などでどのような交友関係を築いているのかすら謎だ。
どんな人ですか? と返信しても良かったが、おそらく「会えばわかるだろ」と返ってきそうな気がした。
口にしたわけでも、書類にサインしたわけでもないが、俺はもうKVCの一員なのだろう。俺はまた流されたのだろうか。ただこれまでとは少し違う気がする。アゲハ先輩からプラカードを受け取ったのは、紛れもなく俺の意思だった。
部員の人数も、本当に依頼が入るのかも不安だが、俺は少なくともアゲハ先輩のやっていることに協力したくなった。それがどんなことかまだはっきりとは見えていないが、彼女の力になりたい。
同情とは違う。恵まれた体に甘えて生きてきた俺と違い、か細い体で生まれながらはっきり意思を持って生きているアゲハ先輩の生き方を尊敬する。
俺は彼女からふてぶてしく生きるやり方を学びたかった。
部室棟に入るのは初めてだった。俺は教室を体育館とは反対方向へ歩いて、学食の脇を抜け、その錆び臭い建物の階段を登った。扉の上の年季の入ったプレートを次々見ながら外壁の通路を歩いていくと『校内ボランティアサークル部』と書かれたプレートを見つけた。
俺は少し戸惑いながら、その部屋のドアをノックした。
「ノックなんてしてねえで勝手に入れ」
ややあって中から、かすかにアゲハ先輩の声が聞こえた。俺が新一年生だったらどうするつもりだ。
「失礼します」
俺はドアノブを握り、中に入った。
驚くほど何もない簡素な部室だった。あるものと言えば、折り畳みの会議机が二つと、机を囲むパイプ椅子。棚にはガムテープや模造紙などの、おそらく掲示物を作成するための用具がある程度。
アゲハ先輩は窓際でパイプ椅子に腰かけ、窓枠に肘を乗せて風に髪を流していた。
そしてもう一人。パイプ椅子に腰かけた品の良さそうな女子生徒がいた。肩まで垂らした黒い髪、銀色のフレームの眼鏡に、やや太い眉。アゲハ先輩ほどではないがスリムで女性らしい体。
その女子生徒は、俺に気付くと机に開いた参考書から目を離して、ゆっくりと立ち上がった。
「あなたが冬川君ね。私は3―Aの桂川木乃葉 (カツラガワ・コノハ)です。これからよろしくね」
彼女の話し方は、今朝のアゲハ先輩の猫なで声とは違う、本物の品の良さを感じた。でも、桂川?
「こいつはオレのいとこだ」
アゲハ先輩の小さな声がした。口は悪いが先輩の声量はそれほど大きくない。
「オレを監視する命を受けてこの学校に潜入してる、お人好しの馬鹿野郎だ」
「アゲハの言うことをいちいち真に受けないでね。たまたま志望校が一緒だっただけ。この子勉強だけはちゃんとするのよ」
保護者のような口調で彼女は言った。
「あの、桂川先輩は――」
「おい」
アゲハ先輩が俺の言葉に割り込んだ。
「紛らわしいから、そいつのことはコノハと呼べ」
「えっと……いいんですか?」
俺はその先輩にお伺いを立てた。
「いいよ。好きに呼んで」
コノハ先輩は華やぐように微笑んだ。天使だ。
「では、コノハ先輩。先輩もこの部に入られたんですか?」
俺は尋ねた。
「うん。この子に泣き付かれてね」
天使が微笑み
「泣き付いてねえ」
悪魔が吐き捨てた。
俺はコノハ先輩が職員室から持ってきた入部届にサインをし、コノハ先輩からこの部の活動実績を聞いていた。先輩はどうやら以前からこの部を時々手伝っていたらしく、部のことに詳しかった。隣に座って話していると、コノハ先輩の頭頂部から女の人特有の良い匂いが漂ってきて、俺はくらくらした。
アゲハ先輩は窓際から石のように動かず、ただ短い髪だけがサラサラと風になびいていた。
そのときだった。ドンドンと遠慮の無いノックが部室のドアを叩いた。
「もしもーしー。あ、開いてるー。入りますねー、こんにちはー」
そんな能天気でどこか眠そうな独り言と共に、ドアが開かれた。
そこには一人の女子生徒が立っていた。ふわふわとした茶色い髪を胸に垂らし、開いているかも怪しい眠たげな目で、部室の中をきょろきょろと見渡している。背中には何故か巨大なギターケースを背負っていた。
「軽音部なら下だぞ」
アゲハ先輩が沈黙を破った。
「違いますよー。えっと『学内ボランティアサークル部』に来たんですよー。もう二回も来たのに留守だったんですよー」
間延びした喋り方で、その女子生徒は苦情を申し立てた。
「それは悪かった。最近用がなかったからな。で、何の用だ?」
「いやー、軽音部に仮入部してたんですけどー、私アコギしか弾けないからー、辞めて来ちゃいましたー。なのでー、ここに入部させてくださーい」
まさかとは思ったが本当に新入部員だった。しかも話を聞く限り一年生っぽい。これ以上ない吉報じゃないか。だがアゲハ先輩の反応は違った。
「お前ギター上手いのか?」
「はいーちょっと上手いですよー」
本当だろうか。
「じゃあ『きらきら星』弾けるか?」
「弾けますよー、ギター入門ですー」
「じゃあ入部テストだ『きらきら星』を歌いながら弾いてみろ」
「ちょっと」
と俺が言う前にコノハ先輩がアゲハ先輩を問い詰めた。
「アゲハ。いきなり一年生に何やらせてるのよ。私たちだってテストなんて無かったでしょ? 面白がっておもちゃにしないで」
「違げーよ。この部は伝統的に児童養護施設にボランティアに行くんだよ。そのときガキどもに聞かせてやるんだ」
「私やりますよー」
彼女はおっとりとした口調でそう宣言すると、我関せずとギターをケースから取り出して肩に掛けた。
「じゃあー白羽流海 (シラハ・ルミ)『きらきら星』演奏しまーす」
そうして本当にその白羽と名乗った新入生はギターを弾き始めた。
「きーらーきーらーひーかーるー、よーぞーらーのーほーしーよ、なんたーらかんたーらーなんたーらかんたーらー、きーらーきーらーひーかーるー、よーぞーらーのーほーしーよー」
力強くも温かみのあるアコースティックギターの音色が、部室いっぱいに広がっていく。しかし、どうやら歌詞は知らないようだ。
だが、大きく頭を左右に揺らしながら演奏する白羽の姿は、まるで群がる子供たちが見えるようだった。名前とギターが弾けること以外、彼女のことは何も知らないが、『きらきら星』を演奏する姿には、奉仕の精神が見え隠れした気がした。
「お粗末さまでしたー」
演奏を終えると彼女はまだ歌っているかのように言った。
「上手いじゃん。いいよ入部しな」
「やったー」
アゲハ先輩の許可に白羽はバンザイして喜んだ。
「まあいいけど、入部届多めに貰ってきて良かったわ」
コノハ先輩は少し呆れた様子で、白羽の前の机に入部届を置いた。
「ごめんね変な事させて。入部するなら。ここに名前書いてね。歓迎するわ」
「あいさー」
白羽は敬礼のポーズを取って、鞄からボールペンを取り出すと、入部届に氏名を記入した。
「四人か……。まあ手打ちだろうな。悪くない」
アゲハ先輩は悪だくみでもするかのような微笑で、そう呟いた。
「ゴホン。ゴホッ……、ゴホッゴホッ……」
アゲハ先輩は咳払いをしてみせようとして、本当に咳をしてしまったようだった。格好つけなければいいのに。
「あー、全員座れ」
涙目になりながら、アゲハ先輩は指示した。
その言葉を受けて俺たちは全員近くのパイプ椅子に座った。
「御覧の通りオレの体はガラクタみたいなもんだ。お前らがオレの手足だ。ひとまず、このメンバーで今年度の活動を開始する」
「はーい、何をすればいいですかー?」
白羽が手を上げて質問した。
「まずはあいさつ回りだ。諸先輩方の活動でこの部は認知されてるが、今年度も活動してると知らしめなきゃいけねえ。今日のところはチラシを作って、明日にでも各部や教師のところを回るぞ。それから――」
アゲハ先輩が言いかけたそのときだった。勢いよく部室のドアが開き、ジャージ姿の女性が入り込んできた。
「桂川いるかー? っておい、なによ部員いるじゃない」
「それから、瀬戸顧問への顔見せだ」
アゲハ先輩は言い直した。
「先生これが現状今年度のメンバーです」
アゲハ先輩は姿勢を正した。
「そうか! 私は瀬戸明日香 (セト・アスカ)担当は保健体育ね。前からこの部の顧問をやってる。雑用とか色々頼むと思うけどよろしくね」
存在はうっすら知っていたが、面識のない先生だった。
アゲハ先輩を除くそれぞれが「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「瀬戸顧問。無事メンバーを集めれました。男手は少ないですけど、これなら部も昨年度のように活動できます。今年度もご指導ご鞭撻のほどお願いします」
アゲハ先輩は敬語だった。猫かぶりではなく、そこには彼女に対する心からの誠意が感じ取れた。
こうして『学内ボランティアサークル部』KVCの活動が始まった。
俺は女ばかりの環境で少し窮屈しながらも、期待に胸を膨らませていた。ここでなら俺は、ただのデクノボーと呼ばれても、己の意思を強く持つことが出来るかもしれない。
瀬戸顧問が足早に帰ったあと、俺たちは協力して部の宣伝用のチラシ作りに精を出した。
アゲハ先輩だけは相変わらず、石膏像のように窓際で風に吹かれていた。
あの透明な瞳に何が映っているのか、俺は見てみたいと思った。




