【第七章 】第二話:花火
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車で白羽を拾おうとしたが、白羽はバイト先から直接会場に向かったようだった。お父様は、橋が封鎖され大渋滞を引き起こしている岐阜の街で、会場ギリギリまで俺たちを送り届けてくれた。帰りの混雑はこの比じゃないだろう。迎えに来てくれるとのことだが、探すのが大変そうだ。
先頭を切って歩くアゲハ先輩はいつもより心なしか足が速い。足も下駄ではなくスニーカーを履いているし、花火がよほど楽しみなのだろう。橋に差し掛かると、人波が川の氾濫のように俺たちの前に立ち塞がった。
「アゲハ先輩、嫌じゃなかったら、俺おぶりますよ。おぶらせてください」
俺の提案に、アゲハ先輩は
「嫌だよ。せっかくの花火だ、自分で歩く」
と、自ら人波に飲み込まれていった。俺はせめてもと彼女の手を握り、はぐれないようにした。
そうこうしてるとコノハ先輩まではぐれそうだったので、俺は二人の手を握った。
アゲハ先輩は先頭を譲らず、人に揉まれながら、まっすぐに歩いた。俺たちはほとんど三人縦一列になって、人混みの中を進んで行った。
「きたきたーこっちー」
人混みから外れた河原のスペースで、白羽が手を振っていた。
「あー、仲良し―、いいなー」
三人手をつないでいた俺たちを見て白羽は、アゲハ先輩の空いた右手を掴んだ。このまま四人手をつないでいるのも悪くないが、一息つきたいのは俺だけではないはずだ。俺は両手を離して、バックパックから桂川亭で預かったレジャーシートを取り出すと、予約したスペースに広げた。この大きさでは横になったら俺の足ははみ出そうだ。
白羽は元気そうだが、俺たち三人はまだ明るいうちからシートに横になった。
「下駄であの人混みは流石にしんどいわね。私もアゲハみたいにスニーカーにすればよかったわ」
コノハ先輩がぐったりしたように漏らした。
「私は早く来たから大丈夫だった―」
バイト帰りなのに白羽は元気だ。浴衣ではなく、ジーンズにTシャツ姿なのもその要因だろう。
「白羽ちゃんも浴衣着てこればよかったのに。見たかった―」
「浴衣は胸が苦しいからーあんまりー」
「アゲハ先輩は大丈夫ですか? 疲れてないですか?」
「うるせーな。平気だよ。まだ始ってもいねーのに。それよりちょっと休んだら早めに出店に行くぞ。飯は花火が始まる前に済ませておきてえ」
アゲハ先輩はいつも通りだった。俺はまた彼女が無理をしていないか、顔を覗き込んだ。今のところ顔色は悪くなかった。
「あー腹減ったな、今のうちに、食い物買ってくるわ」
アゲハ先輩はそう言って立ち上がった。俺は彼女の手を取った。
「俺が行ってきますよ。アゲハ先輩は休んでいてください」
だからうるせえって、お前はオレの保護者かなにかか? 飯ぐらい自分で買える。俺はそんなせりふを予感してわずかに肩をすくめた。
「ありがとう」
アゲハ先輩の口から出たのはらしくもない素直な謝辞だった。
「でも、てめぇで行きてえんだ。……付いてきてくれるか?」
夕日に照らされて、彼女の透明な瞳が燃えていた。
「もちろんです」
俺は立ち上がり、手をつないだまま脱ぎ捨てていたスニーカーを履いた。そして二人で、またあの渦の中に向かっていった。
「私たちはあっち行こっか」
「邪魔しない―」
背後から二人のそんな会話が聞こえた。
人波をかき分けながら、焼きそばとかき氷を買って戻ってくると、コノハ先輩と白羽も焼きそばを食べていた。
「みんな焼きそばだね」
とコノハ先輩が笑う。
「学園祭で食ってから妙に癖になっちまってな」
俺たちはあのときのように四人で並んで焼きそばを食べた。
ソースと塩コショウの風味は、俺たちを繋ぐパーツのひとつだった。
夕焼けは雄大に照らされていたかと思えば、溜息をした瞬間に暗闇に変わる。気付けば俺たちの周りは薄暗くなっていた。川の向かいの街並みと、背後の出店の提灯が煌々と光を放っていた。
俺たちは四人並んで横になった。右端に俺、隣にアゲハ先輩、その隣にコノハ先輩、白羽は左端。みんなで仰向けになって花火が上がるのを今か今かと待った。
するとヒュルルルーと音を立ててひとつの花火が打ちあがり、空中で炸裂した。それを皮切りに、次々と花火は打ち上げられた。打ち上げ場所から近いので、花火はほとんど真上に見える。音が空中から叩きつけられる。
人の一生のように、花火は打ち上がり、燃え盛り、やがて老いて消えていく。同じ花火は二つとない。だから人は次々上がる花火から目を反らせない。
「来斗」
突然、耳元から囁くような声がした。
暗闇の中を横目で見ると、花火の光で点滅するアゲハ先輩の姿は、耳に唇が付きそうなほど俺のそばにあった。
「動くなよ。黙ってオレの話を聞いてくれ」
俺は仰向けのまま小さくうなずいた。
「いい子だ。なあ、来斗、オレには今夢があるんだ」
大きな花火が炸裂する。彼女の透明な瞳が黄色く光を反射する。
「来斗、オレはお前のようにになりたい。いつも落ち着いていて、ちょっとしたことでヒスを起こさず、喜んで人助けをする、そして、丈夫だ。なあ、来斗、オレはお前に出会ってから普通の女になりたいと思った。受験をして、大学に行って、就職をして、結婚をして、子供を産んで、長生きして死んでいく。恋の力は偉大だな。オレはそんな普通な女になろうとしてる」
なあ、来斗。次々と上がる花火に照らされながら、感情の読めない囁きでアゲハ先輩は俺に語り掛ける。
「学園祭の準備、休んで悪かったな。本当に後悔してるんだ。後悔してもし切れねえ、最後の学園祭だったんだ。聞いてくれ、学園祭が終わった後くらいから、オレは水泳を始めたんだ。のろのろ歩いたり、クロールなんて出来ねえから平泳ぎだけどな。オレの体はガキの頃に比べてかなり良くなってる。足りねえのは体力だ。オレは弱い体に甘えて、怠けてた。保健室で授業を受けるのも、ゼロじゃねえが控えてるんだ。なるべく教室にいるようにしてる。まだ甘えちまってるが、昼休みを保健室で過ごすのも徐々に止めていかなきゃいけねえ。オレはあの居心地のいい、白い部屋からもう抜け出したいんだ」
彼女は俺の腕を両手で握った。か弱いが、強い力だった。
「挫けそうだ。普通の女はすぐ挫けるんだ。だからお前が見張ってくれ。オレはお前のようなただのデクノボーになりたい」
俺は首を回して彼女の方を見た。
「ずっと見てます。あなたに捨てられない限り」
俺はフラッシュのように色の変わる、彼女の目を見て誓った。
アゲハ先輩はニッと微笑み、俺の顔を両手で掴んだ。そして、ゆっくり顔を近づけてくると、その柔らかい唇を重ねた。
俺は体をアゲハ先輩の方へ転がし、そのサラサラとした美しい髪を撫でた。
おびただしい数の花火が一斉に炸裂し、次々と音がはじける。その瞬間周りがぐんと明るくなる。俺たちは顔を見合わせ、どちらともなくまた口づけを交わし、少し笑った。
視界の端で、コノハ先輩がこちらをじとーっと見ているのが見えた。
「もうっ、ほんとっ、かんっがえっられない!」
コノハ先輩はご立腹だった。
花火が終わり、帰りの人並みが掃けるのを待っている間、コノハ先輩は俺とアゲハ先輩をシートの上で正座させた。
「部のみんなで来てるんだよ!? 全くイチャつくなとは私も言わないよ。でも限度があるでしょ? そんなにしたかったら二人でスッと消えたらいいのに、みんながいるところではしたない。あんなもの見せられて私にどうしろっていうのよ!」
返す言葉のないので俺はでかい体をなるべく小さく縮めた。
「男がいねえからってひがむなよ」
アゲハ先輩が小声でボソッと呟いた。万が一聞こえたらどうする。
「とにかくこのことはおばさんに報告させてもらいます」
「報告だー」
「おい、親は関係ねえだろ」
「関係あります。これはおばさんがおじさんがアゲハを甘やかして恥知らずな人間にしてしまったことにも原因があります。ほんっと恥知らず」
「恥知らずー」
「ねールミちゃん恥知らずよねー」
「ねー」
「私たちは一人者同士清く生きましょう」
「私ー彼氏いるよー?」
「え?」
白羽以外の三人がピタッと止まった。おそらく心臓の鼓動も止まっていただろう。
「んーでもーもう終わりそうな予感ー。お互いー求めてるものが違うー」
そういえば軽音部の三年生二人を射止めていたし、片瀬も怪しい。こいつは何気にモテるのだ。
「おーい。この中に仲間はずれがいるぜー」
形勢逆転の機と見たのかアゲハ先輩はここぞと軽口を叩く。
「違うもん。違わないけど。いいもん私はいい大学行って将来性のある彼氏見つけるもん」
一転してコノハ先輩は泣きそうだ。
「大丈夫だよー。私もすぐ別れそうだし―」
白羽が何の慰めにもなっていないことを言って、コノハ先輩をよしよしする。
「私のなにがいけないのかしら、この夏で変わってみようかしら」
それは猛烈に嫌な予感がする。底なし沼に足を突っ込もうとしている。
「コノハ先輩は今でも十分素敵です。高嶺の花なんですよ」
「ありがとう。でも今の冬川君の言葉は私に届きません」
そうか、届かないか。
「とにかく! 今後は人目に付くところでイチャつかないこと! わかった!?」
「承知しました」
「わかったわかった」
お父様から連絡が来たので、シートを畳んで、俺たちは会場を後にした。
人混みを抜けて、何とか車に乗り込む。お父様はゆっくりと車を発進させた。白羽は駅前のバイト先に自転車を置いているので、すぐお別れになった。施設へのボランティアの予定もあるので、そんなに長い別れではないだろう。
「楽しかったか?」
お父様はボソッと呟かれた。
「まあな」
アゲハ先輩は素っ気なく答えた。
「アゲハ、キスしてましたよ!」
コノハ先輩がブッこんだ。
お父様はゴホンと咳払いをし
「人前では止めなさい」
はい、すいませんでした。
アゲハ先輩の家に着いた。俺はお父様に礼を言い、自転車に跨った。
「おい」
アゲハ先輩は俺を呼び止めた。俺は最後に彼女の浴衣姿を目に焼き付けた。
「またな、次は施設のボランティアだな」
「はい、また」
コノハ先輩はドアを開けて、おばさーんと今日のことを報告に走った。




