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【第七章 】第三話:アゲハライト・パラグラフ


   ■


 お盆明けの平日、その日は夏休みの登校日だった。

 夏休みにわざわざ登校してもやることはただのロングHRだけだ。この日を期限にした宿題の提出などはあったが、顔見世の意味がほとんどだろう。

 アゲハ先輩からは『終わったら部室集合』と連絡が来ていたが、やることは思いつかなかった。こんな日に依頼もないだろうし。次に行く施設へのボランティアの打ち合わせだろうか。

 下校の許可が下りると、俺は久々に会ったクラスメイト達と雑談した。俺は例の彼女とどこまでいっただのと散々いじられた。学園祭以降、俺はただ背の高いだけのデクノボーの癖に美人の彼女がいる裏切り者だ。

 教室を出て、部室へ向かって歩き出すと、2―Eの出入り口から出てきたベリーショートの女子生徒とぶつかった。

「すいません」

 膝と腰を曲げて謝罪する。俺は目を丸めた。雰囲気が変わって一瞬わからなかったが、その大きな瞳は阿佐美凛その人だった。

 部室での一件以来阿佐美とは話していない。廊下で時々すれ違うことがあっても、向こうは声を掛けてこなかった。

 阿佐美は俺の胸を軽く叩いた。痛みはなかった。

「久しぶり」

 明るくも暗くもない声で、阿佐美はまっすぐ俺の目を見て言った。

「阿佐美」

 俺はそれ以上何を言っていいかわからなかった。

「同じ学校だからこういうこともあるよね。ね、場所変えない? せっかくだし、話したいこともあるしさ」


 俺たちは体育館前のベンチに並んで座った。場所は阿佐美が指定した、話が終わればすぐに部活に出るためだろう。

「変な感じ。私アンタに振られたんだよね」

 阿佐美は口を開いた。

「ずっと好きだったんだよ? 小学校からずっと。でも早く勇気を出さなかった私が悪いね。急ぐ必要なんてないと思ってた……」

「俺はモテないからな」

「そんなことないよ。背が高いのがコンプレックスかもしれないけど、いいなって思っている子は昔からいたよ」

 そうなのか。惜しいことをしたのかもしれない。

「冬川は私のこと、怖い?」

 阿佐美は俺に尋ねた。

「少し」

 俺は正直に答えた。

 阿佐美は笑った。

「そうだよね。私も私が怖い。あんなことするなんて信じられない」

「もうするなよ」

「しないよ。私反省したし、アンタを忘れるために必死だった。正直今もまだ引き摺ってる。ベタに髪切ったりしてね、前を向かなきゃ」

 俺はなんて言ったらいいのだろう。振った人間が、振られた人間に掛ける言葉などあるのだろうか。他に経験がないからわからない。

「そんな顔しないでよ。でもアンタが曇ってるとちょっとスッキリするわね」

 阿佐美は空を見上げて笑った。背後の体育館では床をシューズで鳴らす音が聞こえてくる。

「そうか」

「ね、私、告られたんだよ? この前の花火で」

「そうなのか?」

 振っておいてなんだが、阿佐美は可愛い。そういう話もあるだろう。

「そう。男バレの長森に。どう? もったいないことしたと思った?」

 阿佐美は笑った。

「どうするんだ?」

 聞きながら、俺にそれを聞く権利があるのか、という気になった。

「まだわかんない。でも多分付き合うと思う。アンタのこと引き摺りながらね。上手くいくかわからない。またぐしゃぐしゃにしちゃうかもしれない。ここでアンタと一緒にいるの見たら長森はどう思うだろうね」

 体育館の中に男子バレー部がいるならありえない話じゃない。

「冗談。今日は男バレないよ。でも何ていうのかな、言葉で説明できないけど、このことをアンタに知っていて欲しかった。今日話したかったのはこれだけ」

 阿佐美はベンチから立ち上がった。

「じゃ、私、部活だから。あと、もう一つ謝っとくと、今日ぶつかったのわざと。アンタが歩いてくるのをずっと待ってた。そんだけ、じゃあね」

 阿佐美は体育館の中に消えた。


 俺は阿佐美のことを少し引き摺りながら、部室棟の錆臭い階段を登り、部室のドアを開けた。

「おせーよ、ウスノロ」

 いつものアゲハ先輩の憎まれ口が俺を歓迎した。部室には俺を除く、アゲハ先輩、コノハ先輩、白羽が勢ぞろいしていた。一か月ぶりの光景に懐かしさが込み上げてくる。

「すいません。クラスの連中と話し込んでました」

「まあいいや、副部長も来たし始めるぞ」

 アゲハ先輩は定位置の窓際の椅子から立ち上がった。俺から見て左手のコノハ先輩も立ち上がり、アゲハ先輩の横に立った。

「冬川来斗、白羽流海、起立だ。そこに並べ」

 アゲハ先輩の号令に俺は戸惑いながら白羽と並んで立った。

「四月から五か月か、長げえとか短けえとかいう話はいいや、ともかくこんなしけた部に新入部員なんて来ねえかもなと絶望していたが、お前らのおかげで来年も部は存続できそうだ。もうちょっと一年生を入れられたら良かったんだが、それはオレの力不足だ面目ねえ。精々来年の勧誘を頑張ってくれ、みはるの奴も入ってくるしな。お前らは知らねえだろうがオレの一つ上の代には三人の先輩がいた。先輩方はオレ一人に部を任せる事を最後まで気に病んでいたが、今ならその気持ちがわかるぜ。ところでオレとコノハは受験生だ。今まで通りとはいかねえ。そこでだ、早いとか遅いとかいう話は置いておいて、これからは冬川来斗、お前が部長、白羽流海、お前が副部長だ。オレとコノハはここで引退だ」

 アゲハ先輩が喋り終えようとしたとき、白羽が彼女の胸に飛び込んだ。

「居なくなっちゃ嫌です!」

「別にいなくなりゃしねーよ。ここは勉強するにはうってつけだしな。ただ細々したことは今後お前らが、お前らの責任でやれ。それだけだ、いいか部長?」

 アゲハ先輩は真剣な顔で俺を見た。

「謹んで、引き受けます」

 俺は答えた。正直責任感より、寂しさの方が勝っていた。アゲハ先輩もコノハ先輩も、これからも変わらず部室に顔を出してくれるだろう。それでも俺は今の関係が好きだった。

「以上だ」

 そう言ってアゲハ先輩は白羽を引き剝がした。白羽は泣いていた。

「卒業まで居てくれますか?」

 白羽は鼻声で尋ねた。

「ああ、いるよ。心配するな。卒業式の日も来てやる」

「卒業しても学園祭来てくれますか? 今度はちゃんと『歌うたいのバラッド』をやります」

「ああ、楽しみにしてる」

「冬川先輩と別れてても?」

 別れないぞ。

「ああ、関係ねえ」

「なら、副部長頑張ります」

「おお、そうしてくれ期待してる」

 白羽はトコトコ俺の前に来た。

「部長、よろしくお願いします」

「ああ、よろしく。一緒に頑張ろうな」

「卒業までは手伝うから、困ったことがあったら何でも言うのよ」

 コノハ先輩も眼鏡を外してハンカチで涙を拭いていた。

「んだよ、辛気臭えな。ただの引継ぎじゃねえか」

 アゲハ先輩は定位置に戻った。俺も席に着いた。

 依頼もない夏休みの登校日、その日、俺たちは随分長いこと用もないのに部室に居座っていた。


 九月に入っても我ら『校内ボランティアサークル部』は平常運航だった。部室にはオレと白羽とコノハ先輩と、そしてアゲハ先輩が居て、依頼や瀬戸顧問が飛び込んでくるとのんびりと動き出す。

 夏休みは四回施設に行った。よく遊ぶ児童の顔ももう覚え、俺は彼らの成長を楽しみにするようになった。

 あれからアゲハ先輩とはデートのようなデートはしていないが、時々彼女の水泳に付き合うようになった。俺はプールで彼女の手を引き、バタ足を習得させた。もう少しでクロールも習得できるだろう。でも彼女はひたすら歩いたり、平泳ぎ遠泳するほうが好みのようだ。

 水泳終わりの疲れた体で、俺たちは喫茶店に寄り、彼女は甘いもので体力の回復を図る。中学生のきれいな娘さんがお手伝いをしているお店で、健気に働く娘さんを見ていると施設のことを思い出す。

 アゲハ先輩は福祉や教育系の大学を志望校としており、それは現在の俺の心境ともマッチしていた。オレは病弱な割に学力の高い彼女に追い付けるよう、暇な時間を勉強に費やすようになった。

 昼休みは中庭のベンチで弁当を食べることが増えた。これまで執拗なまでに太陽を避けていたアゲハ先輩は、積極的に日に当たるようになった。アゲハ先輩は病弱は時間が流れるのが遅いと言ったが、俺は瞬く間に過ぎていく時間の流れに恐怖を覚えた。この学校で彼女と過ごせる時間はもう限られている。俺は彼女と過ごす一日一日を宝石のように大事にした。

 気を抜くと全てが蜃気楼のように、指から離れていった。


 その日の三限と四限の間の中休み、教室でバタンと大きな音がした。

 音のした方を振り返ってみると、クラスメイトが椅子ごと後方に転んでしまったようだった。クラスメイトは後頭部を抑えながら悶絶していた。

 和やかだった休み時間は一転、騒然となった。

 雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ。

 宮沢賢治の詩が脳裏を過ぎる。

 ミンナニデクノボートヨバレ。

 俺はそのクラスメイトの前に背中を向けてしゃがみこんだ。

「頭を打ったなら動かさない方がいい。俺がおぶって保健室まで連れていくよ」

 他のクラスメイトの手によって、そのクラスメイトはオレの背中に乗せられた。俺は彼の足をしっかり掴んで、ゆっくりと揺らさぬように保健室を目指した。

 足で保健室の戸を開けると、養護教諭はパソコンで仕事をしていた。

「椅子から落ちて、後頭部を打ったみたいです」

 養護教諭はすぐに彼の後頭部に氷嚢を当て、頭を強く打ったということで、念のため病院への搬送の準備を始めた。

 養護教諭が一旦席を外し、保健室は俺と彼の二人きりになった。

 窓がかすかに開いており、秋の心地よいそよ風がカーテンを静かに揺らした。保健室はただ加湿器の音だけが聞こえていた。

 俺は胸騒ぎを覚え、保健室の半分を区切るパーテーションの脇を通った。窓のある壁と平行に並んだ三つのベッドは、それぞれがカーブしたカーテンによって仕切られている。

 俺は真ん中にあるベッドのカーテンをそっとめくった。

 白いベッドの上に、白い布団が綺麗にたたまれていた。

 保健室の少女はもう居ない。

 俺はカーテンを閉めた。


                   ハルミナイト・プロトコルに続く

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