【第七章 】第一話:訪問
第七章
期末テストは、過去最高の順位だった。これも部室でのコノハ先輩との自習のおかげだろう。そして、夏休みが始まった。夏休みが始まることに、これほど名残惜しい気持ちになったのは初めてだ。
夏休みになってすぐの平日、施設のボランティアで俺たちは全員集合した。夏休みの近況を聞くと三年生二人は受験勉強に精を出し、白羽はアルバイトを始めたそうだ。
猛暑に晒されながら、俺は子供たちと走り回った。里子に取られて退園した高校一年生の女の子がボランティアに来ていて、俺はずいぶん助けられた。子供たちを建物に返した夕暮れ、そのボランティアの女の子が俺に話しかけてきた。彼女は葉月みのりと名乗った。
「いやー毎度毎度KVCさんにはお世話になってー」
彼女は、そう言って額の汗をぬぐった。
「私も葉月なんですよ」
確かみはるとアゲハ先輩が呼んでいたか。次期部員候補の彼女も会話に加わった。すごくよく似た二人だった。姉妹だと言われれば迷わず信じるだろう。長年同じ環境で同じものを食べていると雰囲気や仕草まで似てくるのだろうか。
「二人とも八月にここに来たから葉月。だからみのりちゃんはお姉ちゃんみたいなものなんです」
彼女は明るく話したが、身の引き締まる話だった。俺は両親が健在で、親に小遣いを貰う、体も丈夫なデクノボーだ。
俺は暗記している雨ニモ負ケズの詩を心の中でなぞった。
自分の進むべき道が見えた気がした。
「花火行くからな」
帰りの車の中でアゲハ先輩は宣言した。8月の初旬の土曜、長良川で行われる花火大会だ。俺はとっくに行く気でいたので今更だ。
「余裕を持って場所は予約しておく、一二年生は場所代はタダだ。黙って大人しく先輩に奢られてろ」
有無を言わさず、アゲハ先輩は話を進める。
「えー、私も行きたーい」
瀬戸顧問が甘えた声を上げた。
「是非。歓迎します」
「冗談だっての。若者の邪魔はしないよ」
「そうですか残念です」
アゲハ先輩は濡れた子犬のようにしゅんとなった。
かくしてKVCの花火鑑賞会が決定された。コノハ先輩が「二人きりじゃなくてもいいの」と囁いてきたが、みんなで行くのはGWのデートの時に出した俺の希望だった。
『三時に迎えに来い』
メッセージアプリには、アゲハ先輩の自宅の住所が貼られていた。
随分早いなと思ったが、夏休みの間アゲハ先輩欠乏症に陥っていた俺は、願ってもないと従順だった。
三時きっかりに自転車でその家の前に来た。結構大きなお宅だった。カーポートに止まっている車も高級そうだ。俺は『着きました』とメッセージを送った、するとややあって重厚な玄関の扉が開いた。
「時間通りだな忠犬」
久しぶりのアゲハ先輩の声に、俺はワンと飛び上がりそうだった。見ると彼女はまだパジャマ姿だった。なんとなく目のやり場に困る。
「上がって行け、今ババアがお茶を入れたところだ」
俺は固まった。このまま会場にのんびり出掛けるものだと思い込んでいたので、家族とのエンカウントなど想定していなかった。
今更ながら冷や汗が流れてくる。これは彼氏を家族に紹介とか、そういった類の儀式なのでは。いや、それ以外の何物でもない。俺は手土産のひとつも持ってこなかった自分を恥じ、アゲハ先輩に引っ張られながら広い玄関で、靴を揃えた。
「あら、あらあらあら、初めましてアゲハの母です。冬川君だったわね」
広いダイニングに通されると、アゲハ先輩のお母様がそんな言葉で、俺を迎え入れた。アゲハ先輩の母親とは思えないほど、おっとりした優しい雰囲気の人だった。アゲハ先輩が猫を被っているときに少し似ている。モデルにしているのだろうか。
「申し遅れました。桂川蝶羽さんとお付き合いをさせていただいております。冬川来斗です。今日は突然の訪問、失礼します」
「いいのよ、どうせこの子が無理行って連れてきたんでしょ?」
お母様はコロコロと笑った。
「紅茶を入れたの、良かったら飲んでいって」
「はい、ご馳走になります」
体育会系の習性はこういう時に役に立つ。俺は「さあさあ」と促されるまま席に着いた。アゲハ先輩は俺の隣に座った。
「この子と一緒にいると、いろいろ苦労するでしょう。この子は学校で変なことしてない?」
紅茶を上品に一口飲むと、彼女の母親は俺に尋ねた。
「はい。時々驚かされますけど、曲がったことはしない人です」
「そ。良かったわ。でもその時々が怖いのだけれどね」
コノハ先輩もそうだが、体の弱い暴れん坊の相手を長年していると、こんな風に穏やかになるのだろうか。俺は妙に納得していた。
俺はアゲハ先輩に手を引かれ、二階への階段を登った。アゲハ先輩はひとつのドアの前で立ち止まった。
「オレの部屋だ。お前が先に入れ」
妙な指示だと思いながら、俺は恐る恐るドアノブを握った。これから恋人の部屋に入るのだ。まだ先だと思っていたイベントが次々前倒ししてきてめまいがする。
「じゃあ、失礼します」
俺はドアノブをひねった。
目の前に広がった光景に、俺は目を丸めて立ち尽くした。
一言で言うと、それは「子供部屋」だった。
ピンクの壁紙に、天井は青空模様。彼女らしいシックな化粧台が逆に浮いていた。
「入れよ」
彼女の言葉を背中に受けて、俺は部屋に足を踏み入れる。角の丸い木製の棚には絵本と思われる大判の背表紙が並んでいる。小学生の頃から変えられていないと思われる学習机。机の上には写真立てが並んでおり、大きな犬に抱き着く幼いアゲハ先輩が映っていた。
「笑えるだろ? 一日中ベッドにいるオレを気遣って壁も天井も親がやったんだ。オレはガキの頃から何も変わってねえ。ガキのまま大きくなったんだ。何も変わってねえ」
彼女は静かに歩いて、部屋の真ん中に立った。
「来斗、これがオレの見せれるものの全てだ。オレは薄っぺらい女だ。思わせぶりなことは言うが秘密なんてありゃしない。ミステリアスでも何でもない、これが全部だ、これがオレの全部」
俺は膝をついて彼女を正面から抱きしめた。気の利いた言葉なんかただのひとつも出て来ず、ただ無性にそうしたかった。
「おい、親もいるんだぞ、盛るなよ」
そう言ってアゲハ先輩は俺の頭を撫でた。
壁に掛けられた時計の秒針がやたら大きく聞こえた。
シャワーを浴びて着替えるから出ていけと言われ、俺は彼女の部屋を出た。どこに居ればと尋ねるとリビングでババアの相手でもしてろと返ってきた。
俺は静かに階段を降りて、そっとリビングへのドアを開ける。
「あら、どうしたの?」
ダイニングで雑誌を読んでいらしたお母様が俺に気付いた。
「アゲハさんにシャワーと着替えがあるからリビングに居ろと言われまして、お邪魔させていただきます」
「まあ、丁寧ね。そこに座ってちょうだい。お茶を淹れるわ。私が飲みたいの」
「では頂戴致します」
お母様の言葉を受けて、俺は再びダイニングの同じ席に腰を下ろした。
そのとき、インターホンが鳴って、間もなく
「お邪魔しまーす」
と玄関を開ける音が聞こえた。聞き覚えのある声だ。
「あー冬川君。もう来てたんだー」
リビングのドアを開けたのはコノハ先輩だった。キャラクターがあまりに違うのでたまに忘れそうになるが、アゲハ先輩とコノハ先輩は従姉妹だ。
コノハ先輩は、白地に青い花の模様があしらわれた浴衣を着ていた。その立ち姿は清涼感にあふれ、まるで彼女のために職人が作ったような衣装だった。
「コノハ先輩、お久しぶりです。浴衣とてもお似合いです」
「久しぶりってほどじゃないでしょ。でも真っ先に浴衣を褒めるのはポイント高いよ。偉い偉い」
コノハ先輩は朗らかに微笑むと俺の隣に座った。
「コノハちゃんも紅茶入れるわね」
キッチンのカウンター越しにお母様の声が聞こえた。
「おばさんありがとう。いただきます」
「あなたはいるー?」
お母様はキッチンからリビングの方に呼び掛けた。
「いらん」
と素っ気のない声がした。声のした方を見ると、リビングではアゲハ先輩のお父様と思われる男性が、座椅子に座って新聞を読んでいた。気配がないから気付かなかった。俺は慌てて立ち上がった。
「すみませんご挨拶遅れました。私はアゲハさんとお付き合いさせていただいています、冬川来斗と申します」
「ん」
お父様はまた素っ気なく、短く喉を鳴らした。
「気にしないで照れてるのよ」
お母様がキッチンで笑った。
「おじさん照れてるー」
コノハ先輩も冷やかしている。
「あの人、今日は自分から車出すって言い出したのよ、橋の周りなんてすごい渋滞で大変なのに」
「そうなんですか、ありがとうございます」
お父様はまた「ん」と喉を鳴らした。
緊張は依然解けないまま、表面上は和やかに雑談を交わしながら、緩やかに時間は過ぎていった。
アゲハ先輩が現れたのは、出発予定の五時から五分前のことだった。
その艶姿に、俺は言葉を失った。彼女はネイビーに黄色の模様が入った浴衣を着ていた。その名の通りアゲハ蝶のような浴衣は、彼女の白い肌を際立たせ、美人画のような存在感を示していた。
「じろじろ見てんじゃねえ」
アゲハ先輩の言葉に俺は自我を取り戻し
「アゲハ先輩綺麗です」
綺麗という言葉でしか綺麗だということを伝えられないことが歯痒い。俺は世界に叫びたかった。俺の彼女はこんなにも美しいのだと。
「あーそうゆうのはあとでやれ」
アゲハ先輩は素っ気なかった。
「照れてるわね」
「照れてる照れてるー」
女性陣にからかわれながら、アゲハ先輩はリビングまで行くとお父様を蹴った。
「ほら、もう時間だぞ、車出せよ」
お父様はまた「ん」と言って立ち上がった。どうやらアゲハ先輩は父親似のようだった。




