【第六章 】第三話:ぶっこわしてやったな
■
俺とアゲハ先輩は演劇の上映に合わせて体育館へ移動した。あれからアゲハ先輩はたっぷり二時間、保健室のベッドで仮眠を取った。俺はその間、買い食いにも行かずにアゲハ先輩の寝顔を眺めていた。客観的に見たら気味の悪い行動かもしれないが、彼女の寝息に自分の呼吸を合わせると、彼女と一つになった気がして心が満たされた。
次の軽音部のライブの席取りでもあるので、前から三列目の席に座った。俺はこの身長のおかげで、こういう場ではいつも後ろの方の席に着くのが癖になっていた。俺は背後の人がちゃんとステージを見れるように、行儀悪く椅子を浅く座り、ほとんど寝そべるように背もたれにもたれかかった。
会場が暗くなると、アゲハ先輩は俺に肩を寄せ、コツンと俺の肩に頭を乗せてきた。寝そべっているので、いつもより頭が近い。俺は暗闇でアゲハ先輩の手を探り当て、優しく握った。
幕が開き演劇が始まった。
俺は困惑していた。てっきりロミオとジュリエット的なものが始まると思っていたのに、繰り広げられたのは何とも難解な芝居だった。何やらアラビアンな格好をした商人たちが、各々奇怪な品を持ち寄り、政治や宗教を風刺するいった内容で、そこまでならまだよかったが、後半は宇宙の誕生について語りだすという珍妙な脚本だった。その文脈を追っていると頭が痛くなってくるので、俺は途中で観るのをやめ、アゲハ先輩のサラサラとした髪を間近に見つめていた。
「宇宙の誕生か、オレは自分が終わらないことで精一杯だよ」
ふとアゲハ先輩がそんなことを呟いた。
アナウンスが、軽音部のステージ開始を告げた。どうせみんな立つだろうから、俺はまっすぐ座り直していた。これ以上は腰が限界だ。おかげでコノハ先輩は俺を見つけられたらしく、俺の隣に滑り込んできた。俺は両手に花の気分を味わった。
幕が開き、すでにセッティングされているバンドのフロントマンが、軽音部のステージの開幕宣言と、メンバー紹介、そしてなにやら熱いことを語って、立ち位置に戻った。
演奏が始まる。巨大なスピーカーを通じて、音が体にぶつかってくる。場内が熱気立つ。演奏されているのは俺でも知っているノリのいいヒット曲だ。どうやら我が校の軽音部は評判がいいようで、客は総立ち。最前列の身内と思われる人間たちはタオルを振り回しながら飛び跳ね、一緒に歌っている。コノハ先輩も隣でイエーイと飛び跳ねている、意外とノリのいい人なのかもしれない。
俺はと言えば立ち上がると後ろに迷惑なので座ったままだ。アゲハ先輩もどうやら立ち上がるつもりなど毛頭ないようで、足と腕を組んで涼し気な視線をステージに向けている。
メンバーを入れ替えたり、一部続投したり、人を変えながら軽音部のライブは続いた。そういう指示でも出ているのか、皆一様に明るくノリのいい曲ばかり演奏していた。そのおかげは場内は絶えず熱狂に包まれ、客席とステージが一体になっていた。先ほどの演劇部にも見習ってほしい姿勢だ。
演奏が終わり、舞台上の四人全員が舞台袖に引っ込んだ。ステージの中央にはパイプ椅子が一脚置かれ、高さの違う二本のマイクが運び込まれた。
「もしかして白羽の番じゃないですか?」
「そうだね!」
「だな」
そして、舞台の袖からギターを下げた白羽が姿を現した。
いつもふわふわ揺れながら歩く白羽は、今日はスタスタとまっすぐに歩いて椅子に座った。その歩みには自信が満ち溢れていた。これまでの練習が彼女の背中を押している。俺は見ていて誇らしい気分だった。
ギターの前と、口の前に、二本のマイクがセッティングされる。白羽は最初にギターを軽く撫でて下のマイクをチェックする。アコースティックギターの温かみのある音色が場内に響き渡る。次いで「あー、あー」と上のマイクをチェックする。白羽は納得いったようで小さくうなずく。マイクを持ってきた軽音部員が足早に舞台袖に掃けていく。
「こんにちわー」
スピーカー越しに白羽の眠たそうな声が場内に響く。場内がにわかにざわつく。
「私はー軽音部じゃないんですけどーお手伝いですー」
ジャカジャンと、白羽はギターを鳴らす。
「みんなー、座ってー、座らないとー、やらないよー」
隣でコノハ先輩がストンと椅子に腰掛けた。
「ちょっと疲れちゃった」
前の方の席から人が座りだした。振り返ると後ろの方の席も。
「おっけー。じゃあ聴いてー。曲はTHE YELLOW MONKEYの『JAM』いくよー、ぶっこわしてやるー」
聞いていた話と違った。確か白羽の演奏する曲は『歌うたいのバラッド』じゃなかったか?
俺の疑問をよそに白羽はギターを弾き始めた。
白羽は指で一本一本の弦を上から順に弾いて、メロディを奏でた。
会場は先ほどまでと打って変わり静寂に包まれていた。ただ優しくギターの弦をはじく音だけが、会場を包み込んでいた。
イントロが終わる。白羽は歌い始めた。少しハスキーな、いつもとは違う彼女の歌声。一声目から観客は引き込まれた。何かを嘆き、渇望するような、その歌い出し。先ほどまでの抜けた少女はもう存在しない。
俺はすぐに気付いた。曲名は知らなかったが、この曲はいつか白羽がアゲハ先輩に歌えと言われて歌った暗い曲だ。
やがて彼女は親指と人差し指で輪を作って、それまでよりも激しく弦を弾き始めた。暗くて、投げやりで、でもどこか温かみのある力強いメロディー。
白羽は声を暗い地の底で枯らして叫ぶように、一つ一つのフレーズを会場一人一人の心に投げかけていった。
それは誰しもに訪れるこの世の不条理対する反抗だった。悲しくも美しい歌詞が白羽の体を通じて、毛布を掛けるようにこちらに降りてくる。
サビに入る。白羽は力の限り歌う。喉から出た手が天を仰ぐような切なさと儚さで、声を張り上げる。それは最早悲鳴だった。
会場は悲しみに包まれ、白羽の歌とギターの音色以外、もうなにも聴こえない。
二番に入る。白羽は喋るように、語るように、歌詞をなぞり訴える。そして、愛と口にする。
最後のサビ。白羽は持てる力の限り叫んだ。己に降りかかった小さな悲劇を振り払うように、何者かに伝えようとただ訴え続ける。長いサビを叫び終え、最後のフレーズを口にする。それは希望にすがりながら明日を生きる決意のせりふだった。
そして、白羽はアウトロを丁寧に演奏し切った。数舜の静寂の後に、パラパラと拍手が起こり、それはやがて万来の拍手へと変貌した。会場中が手を叩き、彼女の反抗を喝采した。
白羽はいつもの眠たい目で拍手を浴びていたかと思えば、拍手が鳴りやまぬうちに起立し、一礼して、何の未練も無さそうに足早に舞台袖に消えた。
次のバンドが準備を始めている間も、パラパラと拍手が残っていた。余韻に浸った観客たちの多くは、他のバンドが明るい曲を演奏しだしても、もう立ち上がらなかった。
「ぶっこわしてやったな」
隣でアゲハ先輩が誇らしげに呟いた。
「終わったー終わったー」
体育館の外で待っていると、白羽はくたびれた様子でふらふらと現れた。そのままアゲハ先輩の胸に吸い込まれるように抱き着き、ぎゅーっと抱きしめた。
「ご苦労、良くやった」
アゲハ先輩は優しくそう言うと、白羽の髪をわしゃわしゃと撫でた。
「違う曲だったけど、すごく素敵だったわよ。偉い偉い、よく頑張りました」
コノハ先輩は、白羽の後ろからギターケースごとも彼女に抱き締めた。
俺は混ざっちゃいけないんだろうな。
「白羽良かったぞ。軽音部の連中泣いてるんじゃないか?」
「ぐへへー」
二人の先輩の間から白羽の変な笑い声が聞こえる。
「まったくだ。お通夜みてえだったぜ」
アゲハ先輩は不敵に笑った。
「お腹空いたー」
白羽は顔を上げて呟いた。
「何も食べてないの?」
「うんー。歌う前は食べないー」
「じゃあ、その辺回るか、先輩が奢ってやる」
「何を食べたいの? 私も奢るわよ。鑑賞代」
「やきそばー」
「確か校庭の方にありましたね」
「まあ、ゆっくりしたしな。その辺も含めて回るか」
「アゲハ先輩も保健室で寝てたし、お腹空いてるんじゃないですか?」
「なに? 寝てたの? アゲハあなたまた無理してない?」
「小うるせえな、ちょっと迷子の面倒見て疲れただけだ。どうってことねえ」
「そういえばそんな放送あったわね。もしかしてと思ったけど、あれあなただったのね」
「もういいだろ。言われてみればオレも腹減ってきた、とっとと行こうぜ」
俺たちは校庭の方に歩いた。アゲハ先輩はゆっくりと、コノハ先輩は背筋を伸ばして、白羽はふらふらと、俺は周りに合わせて腰をかがめながら、祭りの喧騒の中を行った。
俺たちはみんなで焼きそばを食べた。白羽の分はアゲハ先輩が出し、俺の分はコノハ先輩が支払った。「たまには先輩らしい事させてよ」上目遣いでそんな事を言われては俺は断る術を持たない。横からアゲハ先輩の舌打ちが聞こえた気がしたが仕方ない。
それから俺たちは極々普通に学園祭を満喫した。迷路や輪投げなど、アゲハ先輩は俺と二人のときは嫌がったのに、白羽にねだられると逆らえないようで、渋々付き合っていた。途中2―Dの喫茶店が、ケーキも紅茶もとてもおいしいと、悪魔の囁きをしたが俺は断固として拒否した。彼女を連れ立って一度やってきたくせに、今度は女子三人を同伴して現れるなど、磔刑は避けられない。俺はクラスにいる間ぐらいは平穏に過ごしたい。
「もう仕事もないし、自由ねえー」
コノハ先輩が歩きながら大きく背伸びをした。
「バカか、仕事ならまだある。大事な仕事だ」
アゲハ先輩は吐き捨てた。
空を見上げると、太陽が西に傾こうとしていた。
俺たちは部室に戻り、帰り支度をすると、プラカードを持って外に出た。アゲハ先輩が部室に施錠する音がやけに大きく聞こえた。
祭りも終盤、学校中が最後の盛り上がりを見せ、多くの飲食店が安売りを始めていた。
アゲハ先輩に連れられ、俺たちは玄関前の、学園祭実行委員会が設置した大きなゴミ箱の前に立ち止まった。
「オレが一年のころまではキャンプファイヤーがあって、そこで焼いたんだがな。まあ色気はねえが大事な儀式だ」
俺たちは一人ずつ自分のプラカードを手にした。アゲハ先輩がいなかった三日間も含めて、一週間ずっとこれを持ちっぱなしだった。あたりはまだ賑やかだが、これで俺たちの学園祭が終わる。そう思うと涙腺に来た。
「白羽、号令掛けろ」
アゲハ先輩が指示した。
「はーい。じゃーいくよー。せーの」
俺たちは一斉にプラカードをゴミ箱に投げ入れた。
ガサッと音を立てて、プラカードたちはゴミ箱に収まった。
「終わっちゃったね」
「ねー」
アゲハ先輩は何も言わず踵を返した。彼女の高校最後の学園祭が終わった。
俺たちは解散した。祭りが終わっても、もうすぐ夏が来る。まだ高い西日がそう言っていた。




