【第五章 】第二話:小さな牙
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光陰矢の如し。五月が瞬く間に過ぎ去り、六月。学内はにわかに学園祭への気運が高まっていた。それは我らが『学内ボランティアサークル部』も例外ではない。
俺たちはアゲハ先輩の指示で学園祭用のプラカードを作っていた。と言っても制作に携わっているのは、ほとんど字の綺麗なコノハ先輩と、センスの良い白羽の二人だ。俺はと言えば部室に眠っていた段ボールを切って形にしたくらいだ。もちろんアゲハ先輩は定位置の窓際で、髪を風に流している。段々蒸すようになってきた部室での、せめてもの暑さへの反抗だ。
必要なプラカードの枚数は部員の数と同じ四枚。それぞれが持って校内を回る。昨年の物を使いまわせないかとアゲハ先輩に尋ねると、学園祭終了と同時に処分したとのこと。こういうのは毎年用意するのが礼儀だそうだ。
「できたー」
白羽が両手を高らかに掲げた。部室の二台並べた長机には、賑やかな装飾のプラカードが完成していた。ここからは俺のささやかな仕事だ。俺は丸めた新聞紙をプラカードの後ろに貼り付け、持ち手を作った。はい。俺の仕事終わり。
「ごめんなさーい。ちょっと行ってきますー」
白羽は俺の仕事を見届けると、ふわふわと部室の外へ消えた。白羽が部室から姿を消すことは最近になって増えた。別に依頼が入ればスマホで呼ぶので、部室に居なければいけない理由は無いが、なんとなく白羽らしくない行動だ。
時間にして30分ほどして白羽は帰ってきた。俺たちは三人とも勉強に精を出していた。三人と言ったが、アゲハ先輩もオールウェイズ窓際にいるわけではなく、たまに勉強をしている。あの子勉強だけはするのよ。コノハ先輩が以前そう言っていたのを思い出す。
「ただいまー」
白羽は眠そうというより、ちょっと疲れた様子だった。
「白羽。お前最近どこにいってるんだ?」
俺が尋ねる前にアゲハ先輩が質問した。
「軽音部ですー。最近人間かんけーが複雑化してきて疲れる―」
白羽はいつもの席に着くとふにゃりと机に頬ずりをした。
「軽音部に何の用だ?」
「学園祭のお手伝い頼まれたんですよー」
「なるほど、うちの部の活動圏内だな。何を手伝ってる?」
「まだなんにもー。学園祭のステージに立ってくれーって」
「へえー。そりゃあいいな。当日は結構暇だからな。聴きに行ってやるよ。でもお前アコギしか弾けないって言ってなかったか?」
「毎年時間余っちゃうからーアコギでもいいってー。一年生まだ全然演奏できない感じ―」
「まあ六月だからな。高校入って始めたやつには荷が重いかもな」
「というわけでー、当日は二時から三時までいませんー。ごめんなさいー」
眠たそうではあるが、ちゃんと申し訳なさそうに白羽は謝罪した。
「構わねえよ。他の部の助っ人はうちの部の本懐だ。むしろ一人で仕事取ってきて偉いぞ」
アゲハ先輩は横たわる白羽の頭をガシガシと撫でた。
「あ、あ、あー」
白羽もよくわからない声を出している。
「ねえ、どんな曲をやるの?」
コノハ先輩が身を乗り出して尋ねた。
「決まってないー。何でも好きな曲やれーって。逆に困る―」
さっきも人間関係がとか言っていたし、随分心労が溜まっているようだ。
「思い切り暗い曲にしてやれよ」
アゲハ先輩は不敵に笑った。
「暗い曲ー? なんでー?」
「去年聴いてたが軽音部のやつらは基本的に明るい、特に最近のヒット曲をやるだろ? お前だけ一人アコギでどうせ浮いちまうんだ。振り切った方がいい」
「なるー」
「あんまりアゲハ先輩の言うことを真に受けなくてもいいんだぞ」
お通夜みたいな学園祭のステージを想像して、俺は思わず口を挟んだ。
「なんだてめえ。オレは真面目だ」
付き合いだして距離が縮まったからだろうか、時々オレに対するアゲハ先輩の言葉が強い。
「試しによ、お前の弾ける一番暗い曲ここで弾いてみろよ。オーディエンスが居るだけで違うだろ」
アゲハ先輩の無茶ぶりに白羽は「暗い曲ー暗い曲ー」とぶつぶつ呟いていたが、やがて考えがまとまったのか、上体を起こし片手を上げた。
「じゃあ暗い曲やりますー。聴いてくださいー」
白羽はギターを手に取った。
――本当に暗い曲だった! 暗いというかメッセージ性が強すぎて、これではノリの良い曲に湧いていた観客たちは呆然と立ち尽くすことしかできないだろう。
「白羽、良い曲だとは思うし、歌も上手かったけど、多分それじゃない」
俺は渋々苦言を呈した。
「なんだよ、いいじゃねえか。初めて聴いたけどオレは好きだぜその曲」
無責任なことを言わないでください。
「ねえ、暗い曲はともかくバラードはどう? ルミちゃんギターもだけど歌も上手いし、しっとり聴かせるの。ラブソングなんていいんじゃない?」
コノハ先輩の提案に白羽は目をぱちくりとさせて、何か思い当たった様子だった。
「決まりましたー。バラードやりますー。私の一番好きな曲ですー」
白羽は珍しく目を大きく開けて、キラキラと輝かせている。
「ケッ、つまらん」
アゲハ先輩は吐き捨てる。
「私軽音部に報告してきますー」
白羽はふわりと立ち上がった。
「なんて曲なの?」
コノハ先輩が尋ねる。
「『歌うたいのバラッド』って曲ー」
「あ、知ってる素敵ね」
コノハ先輩は手を合わせた。
俺もだが、アゲハ先輩はピンと来てない様子だった。まあ俺に関しては音楽の受け皿がないだけだが。
「ぶちょーとふくぶちょーに捧げますー」
「えー私にはー?」
「コノハちゃんにもー。けーぶいしーのみんなに捧げます!」
そう言って白羽は部室から出て行った。
「なんだか知らねえが、あとはライブ中に依頼が入らねえ事を祈るだけだな」
なんだかんだこの人も楽しみにしているようだった。
俺も楽しみだ。
でも、白羽がどんな良いステージをしたとしても、施設で子どもたちに演奏した『きらきら星』に勝るものはないだろう。特等席で聴いた俺が言うんだから間違いない。
事件は白羽がふわりと消えて十数分後に起こった。
「ふざけてんじゃねえぞ!」
「ああ!?」
はっきり聞き取れたわけではないが、おそらくそんなような怒号が下の階から聞こえた。俺とコノハ先輩は驚いて肩をすくめ、アゲハ先輩は涼しい顔で窓の下を覗き込んでいた。
アゲハ先輩は下を見たまま、人差し指をちょいちょいと曲げて、俺たちにこっちに来るように指示した。
「見てみろよ。面白いもんが見れるぜ」
窓際まで移動して下を覗き込むと、二人の男が揉み合っていた。そして、そんな二人を止めようと白羽が間に入ろうとわたわたしているが、小柄な彼女は無力のようだった。
「まあ」
とコノハ先輩が声を上げる。
俺はすぐさま踵を返した。
「どこ行く?」
アゲハ先輩の冷たい声が俺の足を止めた。
「そういう直情的なところは好きだが、これ以上登場人物を増やしてどうするつもりだ? 『お前には関係ねえ引っ込んでろ』そう言われたお前のせりふは?」
「白羽はうちの大事な部員です」
「なるほど。好きにしな」
「ありがとうございます」
俺は部室を飛び出した。
俺が下に到着するころには、二人は数人の生徒に引き剥がされようとしていた。うっすらと見覚えのある顔もいる、白羽がいる時点でわかりきっていたことだが、確か軽音部の連中だ。
「白羽!」
俺が名前を呼ぶと、白羽は人波をかき分けて子犬のように俺の元へ駆け寄ってきた。そのままスピードを落とさず、正面から俺に体当たりすると、俺の制服の背中をぎゅっと握りしめた。
俺に抱き着いたまま、白羽は俺の腹に向かって声を上げて泣いた。
その様子を見て、喧嘩をしていた二人はピタッと動きを止めて俺の方を見た。これまでいがみ合っていた二人の顔に浮かんだのは、俺に対する怨嗟だった。
「すいません」
一人の男子生徒が俺の傍らに立っていた。
「KVCの方ですよね。ルミを避難させたいので場所を変えましょう。事情はお話しします」
男子生徒は冷静だった。
「白羽、部室に帰ろう」
俺は白羽の性格を表したようなふわふわとした髪を撫でた。
片瀬竜と名乗ったその生徒が言うには、揉み合っていた二人はどちらも三年生で、白羽に好意を持っていたということ。二人の実らぬ想いが時限爆弾のように、今日着火したこと。白羽は同級生の友達が多い軽音部によく出入りしていたということ。
「こんな状態でルミにステージに上がってという方が無理な話です。俺の一存ですが、ルミへの依頼はキャンセルします」
片瀬が話し終えると、アゲハ先輩は窓の外に唾を吐き捨てた。
「役得だな。冷静で、紳士ぶって、お前もこの機に白羽を落とそうって腹か? 反吐が出る」
アゲハ先輩は両目を猫のように見開き片瀬を睨みつけ、これ以上ない憎悪を込めて吐き捨てた。彼女は今本気で怒っている。
片瀬はアゲハ先輩の鋭い形相に気圧され、何も言い返せない様子だった。俺もそうだった。何が彼女をここまで怒らせたのかわからなかった。
「……白羽、お前はモテるみてえだな。だが、それはお前が可愛いからじゃねえぞ。お前ならどうにかできそうだって思われてるからだ。舐められてんだよ。どうだ? 悔しいか?」
アゲハ先輩は静かに語り掛けるように白羽に問うた。
「だったら、叩きつけてやればいい。お前の歌と、ギターで、くそったれな軽音部のステージなんかかっさらっちまえばいい。決めるのはお前だ。お前は軽音部のステージに立つのか、立たないのか。どっちだ?」
アゲハ先輩の叱咤に、机に伏せていた白羽は、ゆっくり顔を上げた。
「……るな。舐めるなあー! 私の方が! 私の方がギター上手いんだあ!」
白羽は力の限り叫んだ。
「決まりだな。おい一年。お前は余計なことしてねえで演奏の練習でもしてろ。二度とオレの前に面見せんな」
片瀬は舌打ちをして部室からそそくさと退室していった。
アゲハ先輩は立ち上がり白羽を優しく抱きしめた。アゲハ先輩の腕の中で、白羽はまた声を出して泣いた。
それから白羽は部活を時々休むようになった。
学園祭に向け、その小さな牙を研いでいるのだ。




