【第五章 】第一話:デート
第五章
GWの中頃、俺たち『学内ボランティアサークル部』は再び、児童養護施設の門を叩いた。
俺は瀬戸顧問と共に子供たちと外を走り回り、園内の草むしりもした。休憩がてら他のみんなを見て回ると、アゲハ先輩は朗らかな笑顔で中学生くらいの子たちと会話しながら勉強を教えていた。猫かぶりとも違う、彼女の奉仕の精神から来る笑顔だった。
施設内は常にギターの音が響いていた。白羽はギターを優しく掻き鳴らし、子供たちと歌っていた。部室で作った子供たち用の大きな歌詞カードを、コノハ先輩が広げて立っていた。子供たちは体を左右に揺らしながら、白羽とコノハ先輩と共に歌った。彼女たちはまるで地上に舞い降りた春の女神だった。
「ええっ? デートしないの?」
帰りの車の中でコノハ先輩は驚きの声を上げた。ちなみに俺はまた後部座席だ。
「そんな、だって付き合って最初の連休じゃないの? それに最近は体調だって良さそうじゃない」
「連休ぐらい単位を気にせず横になりたいとアゲハ先輩が。それにチャットはそれなりにしてますから」
俺は答える。正直期待していなかったと言えば嘘になるが、アゲハ先輩の体は労わりたい。
「飼い殺しだー」
と白羽が眠たそうに口を挟む。今日は沢山歌って、本当にもう眠そうだ。ゆっくり休め。お前はすごい奴だ。
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ。オレたちのことに口を挟むな」
助手席から心底面倒くさそうなアゲハ先輩の声が聞こえる。
「なに言ってるの。こんな狭い部活内で付き合っておいて、口を挟まない方が不自然よ。私が先輩として後輩の冬川君のことを心配するのは当たり前だわ。可愛そうに、こき使うだけこき使って。もうちょっと彼女らしいことをしなさい」
コノハ先輩は母親のようにアゲハ先輩を叱り付ける。
「あのなあ」
「なんだお前たち付き合ったのか?」
ハンドルを握る瀬戸顧問が口を挟んだ。
「へーめでたいね、でもデートくらいしてやれよ。冬川はお前の召使じゃないぞ」
「……検討します」
瀬戸顧問には従順なアゲハ先輩は苦々しく返事をする。
「そうですよー。尽くしてあげないとー、冬川先輩でも逃げちゃいますよー。ねー冬川せんぱーい?」
俺に振るな白羽。だが俺に尽くすアゲハ先輩か、少し想像がつかない。
「検討するっつっただろ。この話は終わりだ」
珍しく劣勢なアゲハ先輩は無理やり会話を打ち切った。
そんな事があったからなのか、風呂上がりにスマホを除くと通知が点灯していた。
『明後日、出掛けるから空けとけ』
もちろん用事などないし、たとえ法事があったとしても断る。
かくして、初デートの日取りが決定された。
デート前日、俺は近場のショッピングモールのファストファッション店で、デートに着る服を探した。メッセージを受け取ってから、俺はネットの記事や動画サイトで自分の体形に似合う服の情報をかき集めていた。バイトもしていないし、デートの資金も必要だ。あまりお金を掛けられないが、アゲハ先輩の横に立つ者として恥ずかしくない格好をしなければ。俺はニット地の黒いポロシャツを選んだ。下は予算の関係でありものの白いパンツに決めた。
どこへ行くかは聞いていなかった。こういうところが俺の下僕体質の良くないところだろう。
アゲハ先輩からは『朝八時半、岐阜駅南口』とだけ連絡が来た。随分朝早いな。
だが忠犬の俺は眠れぬ夜を過ごしながらもキチンと時間通りに目を覚まし、朝食をとって駅まで向かうのだった。
バスを降りて歩道橋を渡り、一度駅構内を通過すると、人もまばらな南口に電動アシスト付き自転車を構えて仁王立ちする女性の姿があった。
もしかしなくてもアゲハ先輩だった。今日の彼女はオフショルダーの白いTシャツに、デニムのパンツ姿。頭には黒いキャップを被っていた。休日とあって、今日はいつもより活動的な格好だ。足元のスニーカーが彼女の持つイメージと合わないが、アゲハ先輩のスタイルなら何を着ても着こなしてしまいそうだ。
「おはようございます。服に合ってますよ」
「おせーよ」
開幕、彼女は吐き捨てた。スマホで時間を確認すると、約束の時間まであと5分ある。
「もっと早く来てドキドキしながら待ってろ。可愛げがねーな」
休日でも、付き合っていても、アゲハ先輩はアゲハ先輩だ。俺はホッとしたようなどこかむず痒い気持ちになった。
「バスの本数が少ないですので。でもずっとドキドキしてます。休日にもアゲハ先輩に会えてうれしいです」
「お、おお。なんかお前ずうずうしくなってきたな」
「アゲハ先輩の彼氏ですから」
「どういう意味だそれ」
俺たちは笑った。岐阜の強い日差しが自転車のフレームに反射して、まぶしく光を放っていた。
「おら、とっとと乗れ」
アゲハ先輩は自分の自転車を叩いた。
「もしかして二人乗りですか? 違法ですよ」
「お前が、バスなんかで来るからだろ。良いから乗れ」
俺は仕方なくアゲハ先輩のサドルの位置を、自分の足の長さに合わせた。俺が自転車に跨ると、アゲハ先輩はちょこんと荷台に横向きに座った。彼女は俺の腰に手を回し、頭をコツンと俺の背中につけた。日差しを吸った生暖かい感触に、背筋が凍る。俺は絶対に汗をかくなと体に命令して、自転車を漕ぎだした。
俺たちは堤防沿いのサイクリングロードを行った。アゲハ先輩の軽さもあるが、初めて乗った電動アシスト付き自転車は想像よりも遥かに快適で、信号のない道をすいすいと進んでくれた。
日差しは強いが、まだ朝なので気温も上がりきっておらず、通り過ぎていく風が心地良かった。俺の体に巻き付く細い腕と、背中に当たる彼女の頭。身を任されている感覚に、落ち着きと興奮が同時にやってくる。
重厚な川の流れる音が、心臓の鼓動と混ざる。彼女は俺の体に耳を当てて、それを聞いているのだろうか。自転車を含めて、俺とアゲハ先輩は一つの物体だった。
目的地は観覧車のある郊外の水族館だった。岐阜のデートスポットなど限られているので、アゲハ先輩に言われなくても道中察しはついていた。
駐輪場に自転車を止める。観覧車と水族館の他に飲食店などもある複合施設には、朝だというのにまばらに人の姿があった。
水族館のチケットは事前にアゲハ先輩がネットで購入してくれたようで、そのまま彼女のおごりになった。払おうと粘っても彼女は受け取らないだろう。別のところで挽回すればいい。アゲハ先輩と付き合うというのはそういうことだ。
開園時間前に着いてしまったので、俺たちは入場口で待たされることになった。
「早く来過ぎましたね」
電動アシスト付き自転車がそれだけ優秀だったというのもある。
「バカ、これくらいでいいんだよ。ゴールデンウィークだぞ? 昼間なんかに来たらひ弱なオレは人ごみに流されて死んじまう。そもそもゴールデンウィークに観光に来るのが間違いなんだ」
まだコノハ先輩にせっつかれたことを根に持っているようだ。アゲハ先輩は唇を尖らせた。
「でも、来てくれて、誘ってくれて嬉しかったです」
「オレも付き合って早々、男に愛想付かされるような女にはなりたくねえからな」
アゲハ先輩はそっぽを向いた。
今日はキャップを被っているせいで、俺の高さからだとアゲハ先輩の表情はほとんど伺えない。それが少し寂しかった。目の前を並ぶ小さな子供が、俺を怪獣でも見るような目で見上げていた。
アゲハ先輩はゆっくり、ゆっくりと歩いた。薄暗い館内のかすかな照明は、彼女を幽霊のように青白く照らした。その姿は深海魚のように幻想的で、水族館に溶け込んでいた。
俺は彼女に歩幅を合わせた。
彼女は俺の腕に腕を絡ませ、体重を預けた。そして、俺の指に触れると一本一本確かめるように握った。俺はその手を握り返した。俺の大きな手は彼女の小さな手を食べてしまうように、すっぽり覆い隠した。彼女の体温を感じる。俺が思っているよりずっと熱いその手は、俺の心臓をも掴んでいるようだった。
俺は彼女の杖になりながら歩いては水槽の前で立ち止まり、またゆっくりと歩いた。肉体的にだけでなく、彼女の精神的な杖になりたい、そう思った。
アゲハ先輩は展示のない通路のベンチに腰を下ろした。腕を絡めているので、オレも引っ張られるように腰を下ろす。
「歩かされるのさえなけりゃ、水族館も悪くないんだがな」
アゲハ先輩は静かに呟いた。
「チラシ配りのときはもっと歩いたんじゃないですか?」
「あれは、特別だ。滅多にない。学校なら倒れてもよそ様に迷惑掛けねえしな」
「倒れる前に言ってくださいね」
「そうだなそんときゃ頼むわ。次は学園祭だな」
「忙しいんでしたっけ?」
「やりよう次第だな。前にも話しただろ。プラカード持って校内を練り歩くんだ。教室や、委員会や、部活動、全部だ。それに手を貸してやる。それがオレたちの学園祭だ」
「当日も忙しいんですか?」
「いや、そうでもねえ。当日は基本どこも全員参加だからな。教師も目を光らせてるし、大概のトラブルは自分たちで何とかするさ。俺たちはプラカードぶら下げて精々遊んでいりゃあいい」
帽子の陰に隠れて、やはりアゲハ先輩の顔は見えない。その代わり腕と手から彼女の体温を感じる。
「学園祭楽しみなんですね」
「まあな。前にも言ったろ? オレはイベントごとに弱いんだ」
「どんなイベントが一番好きなんですか?」
「花火だな」
アゲハ先輩は言い切った。
「岐阜は駅前も錆びれちまってるし、遊ぶとこなんて全然ねえケチな街だが、花火だけはいい。真っ暗な河原で、真上に花火が上がって、音が体にぶつかる瞬間だけはこの街に生まれてよかったと思う。浴衣を着て炭酸を飲みながら見上げるんだ。爆発してすぐいなくなっちまう花火を見ていると、このオレよりも儚い存在を見ている気がして、胸が締め付けられる。花火が死んでいくのを見て、オレは生を実感するんだ。オレにしちゃ前向きだろ?」
「一緒に観に行きましょう」
「そうだな」
「出来ればコノハ先輩や白羽も一緒に」
「そうだな」
アゲハ先輩はもう一度
「そうだな」
と呟いた。




