【第四章 】第三話:祝福
■
アゲハ先輩はそれは「男の仕事だ」と言った。
世のカップルたちがどのように交際を発表しているか、俺にはわからない。最後まで隠し通す事例もいくらでもあるだろう。
だが俺たちは四人だ。
たった四人の部活の中で、そのうちの二人が付き合っている。それを隠すのは不自然だし、不可能かもしれない。
俺はアゲハ先輩に特別な思いを伝えたが、この『学内ボランティアサークル部』という小さな集合体のことも俺は特別に思っている。
隠すのは違う。
俺はコノハ先輩と白羽に包み隠さず打ち明けたい。そして、願わくば祝福をしてもらいたい。俺とアゲハ先輩が付き合っていることが当たり前になり、そのうえで今までのような日常を送りたい。
彼女たちがどんな反応をするのか、驚くほど想像がつかない。部長と副部長の交際なんてありふれた話だとは思うが、それでもこれがきっかけで四人がバラバラになってしまうのが怖い。
だが俺は打ち明けなければならない。アゲハ先輩がそう望むからではない。俺はオレの意思で告白する。これは「男の仕事」ではない「俺の仕事」だ。
問題はどうやって伝えるかだ。一人一人なのか、みんないる場で発表をするのか。俺はアゲハ先輩が居ないところで伝えたいと思った。それは生まれて初めて芽生えかけた、男としてのプライドだった。
部室には鍵がかかっていた。俺はいつも通りの一番乗りで、慣れた手つきで鍵を差し込んだ。たまに白羽のギターが置きっぱなしになっているくらいで、相変わらず物の増える気配のない部室。コノハ先輩が勉強の息抜きがてら時々掃除をしているので、埃っぽさは感じられない。
俺は定位置の入り口から近い席に、ドスンと腰を下ろす。目を閉じ腕を組んで、アゲハ先輩以外の誰かがやって来るのを待った。
しばらくして、部室棟の階段をこつんこつんと登る小さく甲高い音が聞こえた。足音は階段を登り切り、通路を渡る時の低い音に変わった。
俺は奥歯を噛みしめて待った。冷や汗が頬を伝う。
足音は部室の前で止まった。
ガチャリとドアが開かれる。
「お疲れ様ー」
その涼やかなお声はコノハ先輩に違いなかった。俺は椅子から立ち上がって振り返った。
「コノハ先輩」
俺は彼女の前に立った。
「え、ええ? 何? どうしたの?」
俺の作る長い影に覆われ、コノハ先輩はたじろいで一歩下がった。
「大事な話があるので二人きりになれる場所に来てくれませんか?」
怯えた目でオレを見上げるコノハ先輩に、俺は告げた。
コノハ先輩は大きく目を丸めたが、次の瞬間には慌てふためいて手をパタパタと振り始めた。
「え、ちょっと、そんな、いきなり。え? 本気なの? 私、心の準備が……」
コノハ先輩は目に見えて慌てふためいていた。
「俺は本気です。話を聞いてください」
俺は精いっぱいの誠意で彼女に頭を下げた。
「……どうしても今じゃなきゃ駄目?」
「はい、今日、このタイミングで思いを伝えたいです」
「はう……。わ、わかったよ。じゃ、じゃあ、場所を変えよっか……」
コノハ先輩は覚悟を決めた様子で、決意を秘めた茶色い瞳で俺の目をじっと見上げた。
「お願いします。学食が近いですから、そこに行きましょう」
「わかったわ」
食堂の営業は無いが、学食のテーブルは自習をする生徒や委員会の打ち合わせなどにも使用されるため、今日もまばらに人がいた。
俺たちは会話を聞かれないように隅の席に座った。ガラス張りの壁の向こうはすぐ塀になっているため、外からも目立たない。清純可憐なコノハ先輩にいらぬ噂を立ててはならない。
俺たちは向かい合って腰を下ろす。まっさらな白いテーブルを見て、缶コーヒーでも献上すべきだったのかと、今更反省する。
俺はなかなか口を開けなかった。何かが変わってしまうかもしれない。アゲハ先輩も俺に伝えるとき、あの涼しい顔で不安だったりしたのだろうか。
アゲハ先輩のことを考えると、それだけで心が少し軽くなった。アゲハ先輩は俺にいつもありもしない力をくれる。アゲハ先輩は俺の外付けの勇気だ。
視線を上げると、コノハ先輩は少し俯きながら俺が喋りだすのを待っていた。
「コノハ先輩」
「は、はひ」
俺が意を決して口を開くと、コノハ先輩は猫のように肩をすくめた。
「大事な話があります」
「……うん、いいよ! 私聞くから。私の方が先輩なんだから、しっかりしないとね。言って、私は大丈夫だよ」
彼女は火刑に合う運命を知りながら戦地へ赴くジャンヌ・ダルクさながらの覚悟で、俺を目をまっすぐに見据えた。俺もその覚悟に応えなければならない。
「コノハ先輩……」
これ以上声が出ない。俺は馬に鞭打つように自分の膝を二回たたいた。
そして言った。
「俺、アゲハ先輩と付き合うことになりました」
「………………………………へ?」
コノハ先輩はきょとんと目を丸めた。
「………………冬川君さ、バレー部だったよね」
突然、コノハ先輩は尋ねた。
「……はい、そうですが。今何か関係が?」
「ちょっと頭下げてみてくれる、深ーく。いいから」
俺はわけもわからぬまま机と平行になるまで頭を下げた。
次の瞬間、コノハ先輩のスパイクが俺の後頭部に炸裂していた。衝撃で俺の頭は落下し、額をゴチンとテーブルにぶつけた。
「痛っ……。コノハ先輩、何を……?」
コノハ先輩は腕を組んで、俺を見下ろしていた。
「今のは私の覚悟を踏みにじった罰です。反省しなさい」
俺は痛みに耐えながら、缶コーヒーを買って来なくてよかったと、小さく思った。
「反対しないんですか?」
俺の問いにコノハ先輩は「まあね」と気怠く答えた。まだちょっと怒っていらっしゃる。
「私はなんだかんだ。あの子に甘いのよ。本当に大変だった時期を知ってるから。それが恋愛だって部活だって応援してあげたい。相手が冬川君なら安心だしね」
コノハ先輩はどこか遠くを見ながら、独り言のように言った。
「恐縮です」
「色々言いたいことはあるよ? でもお節介になっちゃうから言わない。二人で乗り越えていってね。応援するわ」
「ありがとうございます。認めてもらえるか不安でした」
「わかるわ。相手がよりにもよってアゲハだしね。でもあの子のことで冬川君がすり減っていっちゃうようなら、私に相談するのよ? アゲハ歴は私の方が長いんだから。もし酷い目にあって捨てられちゃったら私が貰ってあげるからね」
?
何か今すごいことを言われなかったか? 駄目だ脳が追い付かない。
「もう戻ろっか。ルミちゃんにも同じことするんでしょ?」
コノハ先輩は席を立った。
「は、はい」
俺はコノハ先輩のまっすぐな背中を眺めながら部室に戻った。
部室にはすでに白羽が居た。もっとも、ジャンジャンとギターを鳴らす音が外にも漏れていたからわかっていたことではあるが。
「白羽! 大事な話がある。一緒に来てくれ!」
俺は部室に入るなり勢いに任せて告げた。
俺の脇を眼鏡の上から眉間を抑えてコノハ先輩が通り過ぎていく。頭痛だろうか。
「……はーい」
ギターを弾く手を止めて、白羽はいつも通り眠そうに返事をした。
また学食へ向かおうと、白羽を引き連れ部室棟の通路を歩いていると
「ごめんなさい!」
突然背後から白羽の、到底白羽とは思えない大きな声がした。
何のことだかわからず振り返ると、白羽は体を90度に折り曲げて頭を下げていた。
「冬川先輩が私のことを好きなのは知っていましたけど、私は冬川先輩をそういう対象として見ていません。これからも良い先輩で居てください」
どうした白羽? いつになく饒舌じゃないか。そして何を言っているんだ? 俺が白羽を好き? 確かにお前のことは可愛く思っているが、それは後輩としてや小動物的な可愛さであって、ちょっと待て、俺今振られたのか?
「違う。勘違いだ。何を言ってるんだお前は」
「はい。勘違い……そう、きっと勘違いですね」
俺の言葉もむなしく、白羽は顎に手を当てて何やらイイ女を気取っている。
「待て。お前のことは後輩として可愛く思っているが異性としては見ていない」
「でも冬川先輩私の胸をよく覗き込んでいるじゃないですか」
そんな風に思われていたのか。
「待ってくれ。俺は背が高いから、背の低いお前を上から見下ろすのは仕方ないだろう。白羽は胸を見られているように思ったのかもしれんが、俺にそんなつもりは毛頭ない。第一俺はアゲハ先輩と付き合っているんだ」
思わず流れで言ってしまった。
「あれー?」
白羽は顎に指を立てて、大きく体を傾かせた。
「アゲハちゃんと付き合ってるのー? いつからー?」
ようやくいつもの白羽に戻ってくれた。
「昨日からだよ。話というのは同じ部活の仲間として、白羽にもこのことを報告したかったんだよ」
「おー。おめでとー」
白羽は許してくれるようだ。
「やるなーやるなー」
白羽は小指を立てて、小さく跳ねながら俺の頬をつついてくる。突き指をしても知らないぞ。
「禊は済んだみてぇだな」
背後からアゲハ先輩の声がした。何故だろう今日のアゲハ先輩はすごく安心する。
振り返ると、アゲハ先輩は腕を組んで、飛び跳ねる白羽をにやにやと眺めていた。
「あーアゲハちゃんおめでとー」
白羽は飛び跳ねるのを止め、アゲハ先輩に抱き着いた。その重さに耐えきれずアゲハ先輩の膝が曲がる。
「もー外で何騒いでるのよ」
コノハ先輩が部室から顔を出した。そしてアゲハ先輩のことをその眼に捉えると
「……アゲハおめでとう。冬川君から聞いたわ。私もうれしい。でも冬川君を泣かせたらただじゃ置かないからね」
「言う相手が逆だろ」
アゲハ先輩は無邪気に笑って見せた。俺だけに見せてくれると思っていたその顔は、部員たちにも共有された。
俺はそれでいいと思った。
独占欲が無いわけじゃない。でも、この部はアゲハ先輩の体の一部だ。俺はみんなと幸せになりたい。話してよかった。心の底からそう思った。




