【第四章 】第二話:白くて優しい目をした大型犬
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冬川来斗、16歳。8月23日生まれのおとめ座。血液型はO型。2―D所属。出席番号23番。元バレー部。現『校内ボランティアサークル部』副部長。
そして、彼女有り。
俺はベッドの上で転がりまわっていた。こんなことが、こんなことがあってもいいのだろうか。
阿佐美との問題が一応の解決を見せた、その直後の告白。あれは告白と言ってもいいのだろうか。
「来斗、お前オレの男になれよ」
彼女のセリフが何度もリフレインする。
でも、実にアゲハ先輩らしいせりふだとも言える。
俺は固まり、どれくらい経ったかわからないほど時がたった後に、一礼して「よろしくお願いします」と彼女に告げた。体育会系の習性が役に立った。いや、役に立ったと言えるのか? もっとスマートな文句で返すべきではなかったのか?
オレの葛藤はともかくアゲハ先輩は
「決まりだな。よろしく頼むぜ」
といつものように二ッと笑った。
そこから先のことはよく覚えていない。だが俺は生まれて初めて彼女というものを手に入れたらしい。手に入れたという表現は良くないかもしれない。アゲハ先輩は物ではない。まして主導権は完全に向こうにある。これまでのアゲハ先輩の様々なシーンが、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
告白をされたからだけではない。保健室で初めて会話をしたあの瞬間から、俺はその名の通り蝶のように儚く美しい、アゲハ先輩の虜だった。
浮ついた気持ちに引きずられながらバスを降りると、俺は無意識にアゲハ先輩の姿を探していた。登校時間に出くわしたことなど、彼女がプラカードを持って立っていたとき以外ないはずなのに、通学路や校門の周りにアゲハ先輩の匂いが漂っていた。
そんな俺を見透かしたかのように個人チャットが届いたのは、朝のHRが終わった頃だった。
『昼休み。弁当持って保健室に来い』
顔面が沸騰しそうになり、俺は返信するのも忘れるほど前後不覚に陥った。
長い長い四限の授業の後、俺は弁当片手に保健室へ急いだ。急いで行ったらみっともないのではないかとも思ったが、早まる足を止められなかった。
保健室の戸の前で俺は息を整えた。心臓の音が脳内を支配する。今からこれでは実際に会ったらどうなってしまうんだ。俺は速足でここまで来たのにもかかわらず、保健室の前で突っ立ってなかなか戸に手を掛けることが出来なかった。
「よお、早いな。そんなに自分の女に会いたかったか?」
左側から、いつもと何ら変わらぬアゲハ先輩の軽口が聞こえた。彼女の言葉が俺たちの関係を、俺の錯覚や幻聴で無いと告げていた。
アゲハ先輩は弁当を片手に、廊下に立っていた。どうやら今日の四限は保健室登校ではなかったらしい。
「まあ、入れよ」
アゲハ先輩は我が家のように保健室の戸を開いて、中へ入って行った。俺もそれに続いた。保健室特有の消毒液の香りが鼻をつく、アゲハ先輩の匂いだ。彼女は養護教諭に一礼すると、上履きを脱いでいつもの中央のベッドに陣取った。俺はベッドの下の丸椅子を出してその脇に座った。
「今日はどういった御用で……」
俺は恐る恐る彼女に尋ねた。
「あはは、どうしたんだ、緊張してるのか?」
アゲハ先輩は無邪気で朗らかな笑みを見せた。初めて見せる表情だった。俺の前、彼氏の前ではそんな顔もするのか。新鮮な気持ちだった。俺は彼女のこの笑顔を独占出来る、そう思っていいのだろうか。そう思うと自然と背筋が伸びた。
「別に、一緒に飯を食おうってだけだ。恋人らしいことしねえとな。まずはここら辺からだろう」
アゲハ先輩は弁当の包みをほどいていく。俺もベッドの上に弁当を広げた。
「あの、その、恋人ということは真実でいいんでしょうか?」
箸の先の肉巻きのアスパラを見つめながら、俺は改まって彼女に尋ねた。
「あのよお……」
アゲハ先輩は箸を置いた。
「お前の自己評価が低いのは今に始ったわけじゃねえが、告白したのはオレの方なんだ。女に恥をかかせるな」
「……すいません」
俺は委縮しきっていた。
「安心しろよ。お前はいい男だよ。それに学校一の美女を射止めたんだ。もっと自信を持て」
まあ縮こまっているお前を見るのも楽しいけどな。アゲハ先輩は楽しそうに、小振りなハンバーグをつついた。
パーテーションの向こうでは、養護教諭と女子生徒が一緒に食事をしているようだった。聴こえてくる断片的な情報を集めると、何やら恋の悩みを相談している模様だ。俺は聞いてはいけないと、意識を弁当に集中させた。アゲハ先輩はこうやって校内の情報を得ているのだろう。
「お前は静かだな」
小さくカットされたリンゴをかじり、不意にアゲハ先輩は口を開いた。
「すいません気が利かなくて」
「そうじゃねえよ。静かでいいなって言ったんだ。うちは親父殿の方針で食事はテレビもつけねえで静かに食うんだ。母親と喋ってると静かに食べなさいって注意されたりな。それが染みついてるから、食事中べらべら喋る習慣がないんだ。だからさ、お前は落ちつくよ。大型犬のようだ」
「うちは両親どちらも結構喋りますから、俺は黙って話を聞きながら食べてることが多かったです」
「目に浮かぶな」
アゲハ先輩は笑った。
それから二人とも示し合わせたように言葉を発さず、俺たちは弁当を食べ終えた。アゲハ先輩の弁当箱はとても小さかったが、彼女は食べるのがとても遅かったので、俺もそれに合わせてゆっくり箸を進めた。彼女の食べる速度に合わせるのは、二人で並んで歩いている時のようで、胸があたたかい気持ちになった。
「おい、こっちに座れ」
アゲハ先輩は弁当箱を包むと、俺にベッドに座るよう指示した。言われた通りにすると「もっと深く座れ」と言われ、俺は膝の裏がベッドの縁に付くまで腰を深く落とした。
「いい子だ」
そう言うとアゲハ先輩は、ゆっくりと俺のそばに這い寄り、その小さな頭をコロンと俺の太ももの上に転がした。
俺は咄嗟にベッドを囲むカーテンを閉めた。こういうとき腕が長いと役に立つ。
「アゲハ先輩駄目ですよ、誰かに見られたら」
「見せつけてやんな」
そう言うアゲハ先輩は目を閉じ、俺の体の方を向いて、体ごと完全に横になっている。乱れたスカートから覗く太ももが艶めかしい。
「朝から教室にいて疲れたんだ」
無防備な顔を晒してアゲハ先輩は呟く。
俺はため息をついて、彼女の顔を見ていた。強い瞳はまぶたに隠され、長いまつげが影を作っていた。いつもはキュッと結ばれている、わずかに開いた唇。そこにかかる横髪。滑り落ちそうな顎のライン。ほのかに赤らんだ頬。このまま何時間でも眺めていられそうだった。
「コノハ先輩と白羽にはこのことは言うんですか?」
俺は真下で猫のように横たわる彼女に尋ねた。
「隠すことはねえよ。今日の放課後にでも言ってやれ」
アゲハ先輩はすでに寝入りの声だった。
「俺が言うんですか?」
「当たり前だろ。こういうのは男の仕事だ。頼むぞ副部長。私はもう寝る。予鈴が鳴ったら起こしてくれ」
しばらくしたら本当に寝息が聞こえてきた。
俺の長い脚は、アゲハ先輩が眠るには十分な長さがあった。俺は珍しく背が高く生まれたことを両親と神に感謝し、女神の寝顔をただ見下ろしていた。
予鈴が鳴ったら起こせと言われたが、実際に予鈴が鳴るとアゲハ先輩は自分で目を覚ました。突然まぶたが勢いよく開いて、寝顔を眺めていた俺を、ギョロっとした目で見据えた。
「予鈴ですよ」
俺が彼女に告げると、彼女はすっと俺の足から顔を上げてしまった。
「どうして三年の教室は三階にあるのかねえ。かったるくて仕方ねえ」
アゲハ先輩は肩と首をくるくる回した。
「俺が抱えていきましょうか?」
もちろん冗談だ。
「そうして欲しいのは山々だけどよ、お前にそんな根性はねえだろう」
その通りだ。三年の教室に、何かと目立つこの人を抱えていくなんて、チベットで修行しても出来る気がしない。
「そういうこった。今日は初日だからサービスしてやったけど、いつもこうだと思うなよ」
アゲハ先輩は伏し目がちに俺に指を突き付けた。
「心得ました」
俺が答えるとアゲハ先輩は大きくため息をついた。
「阿佐美とかいうやつの気持ちが少しわかったぜ。お前は冷静で時々腹が立つな」
「俺はいつもいっぱいいっぱいですよ。わかりにくいだけで」
「はいはいわかったわかった」
そう言ってアゲハ先輩は両腕を前にピンと伸ばした。
「どうしたんですか?」
俺は尋ねた。
「どうしたもこうしたもあるかよ。オレをベッドから下ろせ、教室までは無理でもそのくらいならできるだろ」
まあ、お姫様抱っこは初めてじゃない。だが緊急時と違って平常時でやるのはとても緊張する。そのことをアゲハ先輩にもわかってほしい。俺は背が高いだけの健全な男子高校生なのだ。
俺は彼女の脇に腕を伸ばした。アゲハ先輩はすぐに俺の腕に体重を預けてくる。相変わらず羽のような感触の無さだ。だが誰かに身を預けられるということは、信頼されているようで、心地よさと責任を感じる。どちらもこの人を思うが故の感情だ。続けて膝の裏に左腕を通す。ひょいと持ち上げてひょいと下ろす。お姫様抱っこというより介護のワンシーンだが、短いながらも俺には神聖な時間だった。
「世話になったな。ひとつ野暮なこと聞いていいか?」
ベッドとカーテンの隙間に立ったアゲハ先輩は、オレを見上げて尋ねた。
「何でも聞いてください」
「じゃあ遠慮なく。オレはだいたいいつもこんなだ。わがままだし、無償の奉仕を要求する。本当にオレでいいのか?」
彼女はビー玉じみた子供の目で尋ねた。
「こっちのせりふですよ。本当にオレなんかでいいんですか? 俺は背が高い以外に何の取り柄もない人間です」
「来斗。お前の長所は背が高いことなんかじゃねえよ。そんなのは些細なことだ」
「……じゃあ何なんです?」
「言っただろ。オレはお前といると落ち着くんだ。お前は人を優しい気持ちにさせる。昔飼ってた犬を思い出すよ。白くて優しい目をした大型犬だ。甘やかされてひねくれちまったオレを優しい気持ちにさせるなんて、お前すごいことだぞ」
「よくわかりません」
でも、俺は腹に力を入れた。今度は俺の番だ。
「でも、俺はアゲハ先輩のことが好きです」
アゲハ先輩は一瞬驚いた顔をしたがそれをすぐにしまい込み、優しい顔になった。「私も来斗が好きだよ」




