ハクサン・デニーロという男
公国北東都市ノヴァより北方、イデルローゼの東に位置するバンデドール。
この地において、公国と民国は対峙することとなった。
バンデドールは一見すれば何の変哲もない平原である。だが、その地形は戦争において意味を持つ。緩やかな起伏と疎林、そして東西に走る細い河川は、機関銃陣地と砲兵観測に適していた。
読者諸氏に申し上げたい。
近代戦争とは、地形の戦いである。
銃弾と砲弾の飛び交う戦場においては、わずかな高低差、一本の林、一本の川が、数千の命を左右する。
バンデドールは、そうした意味で「戦場に選ばれた土地」であった。
この地で、公国軍と民国軍は衝突する。
民国軍総大将、ハクサン・ガデーロ上級大将は、この戦いに際し、ある種の不満を抱いていたといわれる。
彼の相手はネム・ヨバン中将。
名将ではある。だが、
「中将、か」
司令部の天幕の中で、ハクサンは静かに呟いた。
その声音には、わずかな苛立ちが混じっていた。
参謀の一人が恐る恐る問う。
「何か問題でも?」
ハクサンはゆっくりと首を振った。
「問題はない。だがな」
彼は地図の上に指を置く。
「戦争ってのはな、勝てばいいってもんじゃない」
その言葉は、軍人としては奇妙に聞こえるかもしれない。
だが、彼の言うところは別にあった。
階級とは飾りである。
しかし、それが大切である。
自分が誰と戦ったか。
それが評価となり、名声となり、そして歴史となる。
「中将を倒しても、歴史は驚かねえ」
ハクサンは淡々と言った。
「大将を倒せば、話は別だ」
この思考は、彼の性格をよく表している。
彼は勝利を求めるが、それ以上に「意味ある勝利」を求める男であった。
さらに、彼の目にはもう一つの存在が映っていた。
コイト・メイ准将。
無名の将。
そして、その指揮する第28師団。
「……ナメられてるな」
彼は低く笑った。
だが、その笑みには油断はない。
ハクサンは敵を侮らない。
それが彼を「白鯱」と呼ばしめた所以であった。
「白鯱」とは、民国における伝説的存在である。
白き鯱は、荒海においてすら悠然と泳ぎ、どのような獲物も逃さない。
そして決して、無駄な争いはしない。
ハクサンはその名に恥じぬ戦い方をする男であった。
「……だが」
彼は再び地図を見た。
「公国にも牙はある」
リック・ハウンド少将。
イデルローゼを幾度も守り抜いた将。
この男の存在を、ハクサンは重く見ていた。
「こいつは厄介だ」
参謀が頷く。
「防御戦の名手です。正面からの突破は困難かと」
「だから正面からやるんだよ」
ハクサンは即答した。
その言葉に、天幕の空気が一瞬止まる。
だが彼は続ける。
「正面から叩いて、叩いて、叩き潰す」
それは単純であり、そして極めて困難な戦術である。
だが彼はそれをやる。
なぜなら、それが最も確実だからである。
そのとき、天幕の隅で酒瓶を傾けていた男が口を開いた。
タカノブ・リュウゾウジ中将である。
「おいおい、大将よ」
彼はにやりと笑う。
「そんな芸のねえ戦い方で勝てると思ってんのか?」
その口調には、露骨な挑発が含まれていた。
参謀たちが顔をしかめる。
だがハクサンは気にしない。
「なら、お前の案を聞こうか」
リュウゾウジは酒を一口飲み、肩をすくめた。
「簡単だ。横から食い破る。正面は餌だ」
「……餌、か」
「そうだ。敵に“勝てる”と思わせて食わせる。んで、横から首を折る」
その発想は、異世界の戦術思想に由来するものであった。
合理的であり、冷酷でもある。
だが
「今回は却下だ」
ハクサンは即座に言った。
「なに?」
「地形が許さねえ。ここじゃ回り込めねえ」
リュウゾウジはしばし沈黙し、やがて笑った。
「……まあいい。好きにしろ」
結局、作戦の道筋はハクサンの提示した通りに定まった。
名誉大佐三人衆もまた、その案に同意する。
「正面突破、か。いいじゃねえか」
「血が流れる戦いになるな」
「それでこそ戦争だ」
彼らの言葉は軽い。
だが、その軽さの裏には確かな実力があった。
こうして、民国軍の作戦は決定された。
正面から叩き潰す。
単純にして、最も苛烈な戦い方である。
ハクサン・ガデーロ。
彼はどんな敵にも正々堂々と戦い、そして勝つ男であった。
天敵はいない。
もし自分より強い相手がいれば、仲間と作戦を立て、勝利を掴み取る。
それが彼の戦争観であり、生き方であった。
歴史家はいう。
もし彼が、前の公国との戦争に参戦していたならば。
その結果は変わっていたかもしれない、と。
だが彼はその戦争には現れなかった。
なぜか。
理由は記録されていない。
それは欠落であり、同時に歴史の本質でもある。
すべては記録されない。
すべては説明されない。
だからこそ、歴史は人の想像を誘う。
そして戦争もまた、人の理解を拒む。
そういうものだ。歴史は。




