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大火

小糸が准将に昇進し、壊滅同然であった第28師団の再建を命じられてから、1年が経過した。


この1年は、戦後処理という名の静かな戦争であったといわれる。兵の再編、装備の補充、士気の回復、そして何よりも心の整理である。


戦争は終わった後にこそ、その真価が問われる。国家は敗者を処断し、勝者を称えることで秩序を再構築するが、その過程において蓄積される怨念と不信は、次なる火種となる。


歴史とは、火種の連鎖にほかならない。


その火種が、ロドニー大陸全土を巻き込む形で爆発したのが、この年であった。


フライル帝国皇帝、クラバル・ドム・バッハ8世。


彼の妻と嫡子が、外遊先のイグニ教国において暗殺されたのである。


この事件は、単なる暗殺ではなかった。国家間の均衡を破壊する「象徴の殺害」であった。


実行犯は、ベイル教過激派であった。


彼らは宗教的狂信を背景に、国家の枠組みを超えた行動を取る存在であり、しばしば各国にとって「扱いづらい火薬庫」となっていた。


だが、問題はその首謀者にあった。


メサ・ルザイ。


イグニ教国教会における鐘理卿という高位にあり、さらに教王マルコ・ルザイの実弟であった。


この一点が、事態を決定的にした。


「引き渡せば、国が割れる。引き渡さねば、戦争だ」


ある外交官はそう記している。


教国は引き渡しを拒否した。


これは宗教国家としての矜持であったのか、それとも政治的判断であったのか。いずれにせよ、その選択が戦争を呼び込んだことは疑いようがない。


クラバル皇帝は激怒した。


「血には血を」


と、彼は言ったといわれる。


そしてフライル帝国は、イグニ教国に対して宣戦布告を行った。


ここで重要なのは、帝国が単独で動かなかったことである。


同盟国であるブド連邦共和国、ガンダル聖国もまた、これに呼応した。


三国同時の宣戦。


これは近代戦争において決定的な意味を持つ。兵站、動員、外交圧力。すべてにおいて、教国側は圧倒的に不利であった。


戦争は瞬く間に拡大した。


イグニ教国は、狂信的なベイル教徒を抱え、また一定の軍事力を有していたとはいえ、三国からの同時侵攻を受けるには力不足であった。


開戦後、わずかの期間で国土の1/5を喪失したといわれる。


「戦線は紙のように裂けた」


前線にいた士官の記録である。


砲撃と機関銃、そして機動戦。工業力の戦争は、宗教的狂気を鉄と火薬で破壊した。


追い詰められた教王は、外交に打って出た。


まず、ジレ多民族国への接近である。


多民族国四大部族のひとつ、スデ族長に自らの血族を嫁がせることで同盟関係を強化し、援軍を要請した。


これは、典型的な婚姻外交であった。


古来、血は契約よりも強い。


また、経済的結びつきも利用された。


イグニ教国は生糸の輸出で知られており、多民族国はそれを格安で大量に輸入していた。つまり、経済依存関係が成立していたのである。


国家は理念では動かない。利益で動く。


さらに、ゴズ王国も参戦した。


これはアンデルセン貿易条約による結びつきが背景にあった。教国の崩壊は、王国経済に深刻な打撃を与える。


ゆえに王国は剣を取った。


こうして、対立構図は明確となる。


同盟側は

フライル帝国

ブド連邦共和国

ガンダル聖国


対するは、


通商側は

イグニ教国

ジレ多民族国

ゴズ王国


戦場は、イグニ教国全土へと広がった。


これはもはや局地戦ではない。大戦争であった。


一方、この戦争に即座には参戦しなかった大国も存在する。


ベルト公国、ゴイコ民国、イマイズミ法国。


いずれもロドリー大陸において無視できぬ勢力であり、彼らの動向は戦局を左右する要因であった。


しかし彼らは、初動においては静観を選んだ。


なぜか。


それは、戦争の本質を理解していたからである。


「火は、広がりきるまで止まらない」


ある軍事思想家はそう述べている。


早期介入は、時に火に油を注ぐ。ゆえに彼らは見極めた。


だが、それは同時に、避けられぬ参戦を意味していた。


火はすでに、制御の範囲を超えていた。


時間の問題であった。


その頃、小糸は第28師団の訓練場に立っていた。


兵は未だ未熟であり、装備も不足している。だが、彼らの目には一種の決意が宿り始めていた。


「准将、また戦になるんですか」


若い兵が問う。


その声には不安と、わずかな期待が混じっていた。


小糸は答えない。


ただ遠くを見ていた。


戦争の匂いは、風に乗って伝わるものだ。


そして今、大陸全土が、その匂いに包まれつつあった。


歴史は再び動き出した。今度は、より大きな規模で。


そしてこの戦争は海へとも広がる。


もとより戦争とは、単なる戦場の衝突にあらず、国家の血流たる経済と補給を断つ行為にほかならない。陸上戦において優位を占めていた同盟側はその勢いのまま戦争を終結させ得ると楽観していた節がある。しかし、戦史を紐解く者であれば知るであろう。陸の勝利は、海を制して初めて確定するのだ。


制海権は、通商側にあった。


「陸で勝っても、海を抑えられねば飢えるだけだ」


とある参謀が吐き捨てるように言ったと伝えられている。実際、帝国軍の補給線は海上輸送に依存する割合が高く、港湾都市の機能は戦略の根幹であった。教国はその点を熟知していたに違いない。


この状況を打開せんと、連邦と帝国はついに決断する。連合艦隊の編成である。


その規模は、当時としては破格であった。装甲巡洋艦、戦列艦、駆逐艦、補給船。鋼鉄の群れが海を覆い尽くす様は、まさしく文明の意志が具現化したかのようであったと記録されている。


出撃前夜、艦隊旗艦の艦橋にて。


「相手は“世破艦隊”だぞ。笑えるな。名前だけで人が死ぬ」


若い士官が皮肉を込めて笑った。


「笑うな。あいつらは実際に“負けていない”」


老練な参謀が低く応じる。


「無敵艦隊なんざ、歴史じゃ必ず沈む。そういうもんだろうが」


「それは“歴史の願望”だ。現実じゃない」


その言葉には、長年戦場を見てきた者の重みがあった。


一方、教国側。


イグニ教国は、もともと海洋国家として発展してきた。貿易、漁業、海運。そのいずれもが国家の血肉であり、海は彼らにとって単なる戦場ではなく、生存そのものであった。


その象徴が、「世破艦隊」である。


この艦隊は、それまで一度たりとも敗北を喫していなかった。規律、操艦技術、砲撃精度、そして何より指揮系統の統一。すべてが高水準で融合していたといわれる。


ある水兵が出撃前にこう呟いたという。


「俺たちは海に鳴り続ける鐘そのものだ。鳴りやむわけがねぇ」


傲慢とも取れる言葉であるが、それは同時に確信でもあった。


戦場はホリック海。


広大な海域に、両軍の艦隊が展開する。空は曇天、風は強く、波は高い。視界は決して良好とはいえず、この世界の技術水準において、索敵は極めて困難であった。


午前5時。


「敵艦影確認!!方位0-9-0!!距離およそ12000!!」


伝令の叫びが艦橋を震わせる。


「来たか……」


連合艦隊司令官ダンマ・ハザリオ提督は短く呟いた。


その瞬間、戦いは始まった。


砲声が海を裂く。


轟音は雷鳴のごとく連続し、砲弾は水柱を上げて着弾する。鋼鉄と火薬の応酬。人類が編み出した最も効率的な破壊の応酬であった。


だが


「命中率が……違う……!」


連合艦隊の士官が呻く。


教国艦隊の砲撃は、異様なまでに正確であった。波間を縫い、風を読み、まるで未来を知っているかのように弾着を重ねていく。


ここに、教国の軍事思想が見える。


すなわち「海を読む」ことである。彼らは魔法に依存せず、むしろ衰退しつつあるそれを補助に留め、徹底した観測と経験の蓄積によって戦闘能力を高めていた。


「舵10度右!!いや違う、20だ!!撃て撃て撃てぇ!!」


怒号が飛び交う。


「駄目だ!!追いつかねぇ!!」


連合艦隊は押されていた。


やがて、その劣勢は決定的となる。


旗艦の一隻が直撃弾を受け、炎上した。爆発。艦体は大きく傾き、乗員が海へ投げ出される。


「総員退艦!!繰り返す、退艦!!」


しかし、海は冷酷であった。


落ちた者の多くは、二度と浮かび上がらなかったといわれる。


一方、教国側。


「……浅いな」


世破艦隊司令官ジュジュ・マザ海軍大将がぽつりと呟く。


「は?」


副官が聞き返す。


「敵の読みが浅い。海を知らん」


その声には、侮蔑ではなく、事実を述べる冷静さがあった。


戦闘開始から数時間後。


連合艦隊は壊滅的打撃を受け、統制を失った。各艦は個別に撤退を試みるが、追撃は苛烈であり、秩序だった退却とは程遠いものとなった。


午後。


戦いは終わる。


ホリック海戦は、教国の圧勝で幕を閉じたのである。


読者諸氏はここで疑問を抱くかもしれない。


「無敵艦隊は敗れるのではないのか」と。


確かに歴史において、そのような例は多い。しかし、それは「いずれ敗れる」というだけであり、「必ずこの戦いで敗れる」という意味ではない。敗北とは、条件と時機の産物である。ホリック海において、その条件は整っていなかったに過ぎない。


この勝利により、戦争は新たな局面へと移行する。


陸で優位に立つ者と、海を支配する者。


戦争は、もはや単純な勝敗では語れぬ段階へと進んでいた。

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