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残るもの

ミザロの敗報がメニューに届いたとき、北部独立運動の運命は、すでに決していたといわれる。


戦争とは、戦場の勝敗のみで決するものではない。むしろ真に重要なのは、その報が民衆の間にどのように伝播し、どのような心理的変化を引き起こすかである。


宗国の教皇として独立を掲げたセルメスは、ミザロでの敗北を聞くと、なおも最後の決戦を試みた。


だが、それについてくる者は、ごく僅かであった。


「……まだやるつもりか」


「やるしかないだろうが。ここで引いたら全部終わりだ」


「もう終わってんだよ」


この種の会話が、兵舎の片隅で交わされていたと記録されている。兵士たちは、すでに敗北を悟っていた。


組織的戦闘は、この時点で不可能となっていた。


そもそも北部メニュー一帯は、ベルト公国からの独立志向を持つ民族が多く存在していた地域である。そのため独立当初は、治安の維持も比較的うまくいっていた。


これは読者にとって重要な視点である。独立運動とは、単なる武力蜂起ではない。民衆の支持があって初めて国家となる。セルメスはその点において、初期には成功していたといえる。


しかし、敗戦はすべてを変える。


ハザレー、そしてミザロ、


これらの戦いで、独立派の中核を担っていた熱狂的な人間たちが大量に死んだ。理念を支える者が失われたとき、その理念は急速に空洞化する。


やがて、反独立派すなわち現実的妥協を望む層の声が大きくなった。


「もうやめろ……」


「これ以上やったら、全部燃えるぞ」


その声はやがて怒号となり、そして暴動へと変わった。


メニューの街は、炎と叫びに包まれた。


教皇舎。セルメスの居所は、民衆によって包囲された。


この状況において、国家とは何か。


コロイスは知っていたに違いない。国家とは、民衆の支持なくして成立しない。銃で民を撃てば、それはもはや国家ではなく、ただの武装集団に堕する。


だが同時に、彼は理解していた。


すでに独立は失敗している、という現実を。


「……彼らを撃てば終わりですね」


側近の一人が言った。


「撃たなきゃどうなる?」


「終わります。」


短い沈黙の後、コロイスは首を振ったという。


「民は撃たないよ。終わり方は選ぶ」


この判断は、彼の将としての矜持であったのか、それとも単なる現実主義であったのか。評価は分かれるところである。


だが、彼は手を打っていた。


この時のために。


教皇舎の地下には、脱出用の抜け道が造られていたのである。


戦争とは準備の連続である。敗北すらも、想定しなければならない。


セルメスは側近たちに地下へと導かれた。


「急いでください、殿下」


「……民は?」


「見捨てるしかありません」


セルメスは一瞬だけ立ち止まったといわれる。だが、振り返ることはなかった。


地下道は湿り、暗く、そして長かった。まるで国家そのものの行く末を象徴するかのように。


こうして彼女は、メニューを脱出した。


西へ。先に西進していたコロイスと合流するためであった。


両者は合流し、そのまま帝国への亡命を図る。


ここに至って、戦争は完全に政治の段階へと移行していた。すなわち、敗北をいかに処理するかという問題である。


しかし公国は、それを許さなかった。


亡命の動きは察知され、追跡が行われた。


捕縛。と、記録にはある。


だが、この一文には重大な補足が必要である。


実際には、1度目の亡命は成功している。


セルメスは帝国へと逃れた。


この事実は、当時の公国にとって極めて重大な意味を持った。敗者が逃げ延びることは、戦争の「終わり」を曖昧にするからである。


エルメス王は激怒した。


「逃げた、だと?」


その怒りは、単なる感情ではない。国家の威信そのものに関わる問題であった。


そしてここで、


小糸が呼ばれた。


「やれ」


命令は簡潔であった。

[時巻]魔法の使用である。


小糸は、しばし沈黙したという。


沈黙したのち彼は従った。


世界は巻き戻され亡命はなかったことになった。


小糸は時を戻ってきたこと、セルメスが帝国に亡命することを公王に伝えた。


再び同じ時点に戻されたセルメスは、今度は逃げ切ることができず、公国軍によって捕縛された。


こうして、「セルメスの乱」は終結した。


北部独立の夢は潰え、宗国は崩壊し、関わった者たちはそれぞれの運命へと流されていく。

戦争というものは、勝者の記録によって整えられるが、敗者の処遇こそが国家の本質を露わにする。


乱の終焉において、ベルメス宗国に与した者たちの運命は、苛烈を極めた。


セルメス、そしてコロイス大将以下、生存した者は軒並み捕縛されたのである。


それは、単なる軍事的勝利の後処理ではなかった。国家の秩序を揺るがした叛乱に対する、政治的意思表示であったに違いない。


セルメスは地下に幽閉された。かつて教皇として民衆を導いた存在は、今や光の届かぬ石牢に閉じ込められ、歴史の舞台から静かに退場していったのである。


読者諸氏に問いたい。国家とは何か。民とは何か。信仰と権力が結びついたとき、その崩壊は誰が責を負うのか。この乱は、その問いを突きつけるものであった。


やがて裁判が始まった。


軍法会議の場は冷え切っていたといわれる。蒸気暖房すら行き届かぬ石造りの法廷で、将校たちは一人また一人と裁かれていった。


「反逆罪により、死刑」


その宣告は、銃声よりも静かで、しかし確実に命を断つものであった。


多くの将校が死罪を言い渡される中、コロイス大将もまた例外ではなかった。


彼は最後まで沈黙を守ったとされる。己の敗北を、あるいは国家の限界を、どこまで理解していたかは定かではない。だが、その沈黙は、戦場での雄弁さとは対照的であり、かえって彼という人物の深奥を物語っているようでもあった。


一方で、戦争とは常に奇妙な遺産を残す。


宗国側に召喚された異世界転生者。マルコス・ボツァリス。


彼もまた捕縛されたが、その処遇は他の者とは異なっていた。


小糸の配下に組み込まれたのである。


この決定は、当時としては極めて実利的な判断であった。魔法が衰退した時代とはいえ、戦術的価値を持つ能力は無視できない。


ボツァリスの魔法【闇撃】。


夜間および視界不良時において、身体能力と戦闘能力を飛躍的に高め、初撃において敵部隊を混乱させる。


これは塹壕戦や夜襲が常態化した当時の戦争において、きわめて有用であったといわれる。


「あんたもそうなんだろ准将殿」


初めて小糸の前に立ったボツァリスはそう呟いた。


小糸はただ静かに彼を見据え返答した。


「そうかもな」


短い返答であった。


この短い会話には、同じ異世界転生者同士にしかわからない何かがあった。


また表には出ぬ決定があった。


公王は、小糸の魔法【時巻】によってセルメスの捕縛が成し得たことを重く見ていた。


公には語られず内々に、小糸は准将へと昇進したのである。


歴史とは、しばしば表と裏で異なる顔を持つ。公的記録に残らぬ功績こそが、国家の根幹を支えている場合も少なくない。


さらに、コロイスの側近および一部の28師団士官は、乱に加担し戦死、あるいは捕縛された。


その結果、28師団は実質的に壊滅した。


兵員は減少し、指揮系統は崩壊し、もはや師団としての機能を失っていた。


このような場合、通常は再編成か解体が選択される。


しかし公国は別の道を選んだ。


小規模とはいえ、師団という枠組みを維持し、その再建を一人の将に託したのである。


それが、小糸であった。


准将という若年の階級でありながら、師団長に任じられる。


これは異例の人事であり、同時に賭けでもあった。


「ガキに師団任せるたぁ……上も随分と気が狂ってやがる」


ある古参の軍曹はそう吐き捨てたという。


「だがよ、あの目……戦場見てきた目だ。ありゃただの飾りじゃねぇ」


別の兵士はそう応じた。


兵たちは敏感である。言葉よりも、指揮官の眼差しで戦場の真実を見抜く。


小糸の内面に何があったのか。それは記録に残らない。


だが少なくとも、彼は戦争を「理解」し始めていた。


そして小糸は投獄されているコロイス大将との面会を望んだ。


特別許可のもと、石牢の奥深くへと足を踏み入れる。


湿った空気。鉄格子の軋む音。かつての名将は、簡素な寝台に腰掛けていた。


その姿は、戦場で見せた威容とはあまりにもかけ離れていたが、不思議と威圧感は失われていなかったといわれる。


しばしの沈黙。


やがてコロイスが口を開いた。


「君の魔法については誰にも言って無いよ。多分」


軽い調子であった。


だがその言葉の裏には、何があったのか。


保身か、皮肉か、それとも最後の矜持か。


やがて、小糸が口を開いた。


「……セルメス妹殿下の捕縛は、本来なら成功していなかったんです」


コロイスは顔を上げた。


その目は、鋭さを失ってはいなかった。


「ほう?」


「一度、逃げられている。地下道を使い、帝国への亡命は成立していた」


そこまで語って、小糸はわずかに言葉を切った。


この話は、本来、語られるべきではないものであった。


しかし、目の前の男には通じると、小糸は判断していた。


「[時巻]を使ったんだね」


「はい、時を戻し亡命の直前に引き戻した。結果として、セルメスも、そしてあなたも、捕縛された」


静かな告白であった。


だがそれは、銃弾よりも重い意味を持っていたに違いない。


コロイスはしばらく黙していた。


そして、ふっと笑った。


それは戦場で部下を鼓舞するための笑いでもなければ、敗者の自嘲でもない。


もっと乾いた、理解の笑いであったと記録されている。


「……知ってたよ」


あまりにもあっさりとした返答であった。


小糸はわずかに眉を動かした。


「……知っていた?」


「逃げたはずの未来が、どこか歪んで戻ってきた気がしたんだよ」


コロイスは肩をすくめる。


「戦ってりゃ分かるさ。戦場ってのはな、流れがある。勝ちに行く流れ、負けに沈む流れ……それが、途中で“やり直された”みたいに変わる瞬間がある」


彼は指で床を軽く叩いた。


「ありゃ人の手だ。神様じゃない。もっと下品で、意地の悪い力だ」


その言葉は、ある種の確信に満ちていた。


小糸は沈黙する。


この男は、理屈ではなく感覚でそれを嗅ぎ取っていたのだろう。


「ま、だから安心したよ」


コロイスは笑みを深める。


「僕は、ちゃんと負けたんだってな」


敗北を肯定するその言葉は、奇妙な重みを持っていた。


戦争において、敗北とは単なる結果ではない。それは、選択と判断の総体であり、そこに外部の介入があったかどうかは、本来なら意味を持たぬはずである。


だがこの男は、それすらも受け入れていた。


「……恨まないんですか」


小糸の問いは短い。


コロイスは首を振った。


「戦争だろう?」


その一言であった。


「勝つために何でもやる。やらなきゃ死ぬ。それだけの話だ」


そして、わずかに視線を細める。


「時間を巻き戻してでも捕まえに来るとはね……大した執念だよ小糸准将」


その呼び方に、わずかな皮肉が混じっていたかどうかは定かではない。


しかし、その声音には確かに認める響きがあった。


小糸は何も言わなかった。


ただ、その言葉を受け止める。


戦争とは、技術と意思の衝突である。そこに倫理は後から付け加えられる装飾に過ぎない。そう語る者もいる。


この瞬間、小糸はその一端を理解していたのかもしれない。


やがて面会の時間は終わる。


鉄扉が閉じられる直前、コロイスはもう一度口を開いた。


「ねぇ小糸くん」


足を止める。


「元々回数少ないんだから使いすぎないようにね」


軽い口調であった。


戦争は終わった。


だが、その残響は、確実に次の時代へと引き継がれていく。

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