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ミザロの戦い

「ミザロの戦い」。この戦は、後世の戦史家が口を揃えて語るところによれば、コロイス・ベニ大将という男の本質を最も端的に示した戦いであった、といわれる。


戦とは兵の多寡のみで決するものではない。だが、まず数を見よ。これが戦史を読む上での初歩である。


公国軍は第2師団および第9師団、合わせて8万に迫る兵力を擁していた。これに対し宗国軍は1万5000余。すでにハザレーからの敗走を重ね、ミザロへと後退する過程で兵は削がれ、士気もまた削り取られていたに違いない。


この時点で、常識的な将であれば防御に徹し、持久戦を選んだであろう。だがコロイスは違った。


戦争とは国家の意思の最終形態である。追い詰められた国家は、往々にして合理を捨て、賭博に似た決断を下す。コロイスの選択もまた、その系譜に属するものであった。


宗国軍は、夜襲という選択を考えた。


「昼は負ける。ならば夜に賭けるしかねえだろうが」


参謀の一人がそう吐き捨てたと伝わる。蝋燭の炎が揺れる野戦幕舎の中で、地図の上に黒い影が重なっていた。


前日、コロイスは一つの賭けに出ている。錬成人による召喚。すなわち異世界転生者の投入であった。


名はマルコス・ボツァリス。


その魔法は[闇撃]。夜間、あるいは視界不良において全能力が飛躍的に増幅され、初撃において敵部隊を混乱させるという、極めて戦術的価値の高い能力であった。


魔法はあくまで補助技術であった。しかし補助であるがゆえに、適切な場面で使われれば戦局を決する“楔”となる。


コロイスは、それを理解していたに違いない。


「夜襲に全て賭けるよ」


コロイスの命令は簡潔であったという。


この命に基づき、グエン中将率いる宗国軍左翼が、公国軍右翼の側面を突くことが決定された。


ミザロの戦いは、夜戦であった。


夜。それは近代戦においてなお未開の領域である。照明弾は存在するが、完全な視界は得られない。通信は断たれやすく、指揮系統は脆弱となる。すなわち、熟練と統制を欠く軍は闇の中で自壊する。


だからこそ、コロイスは賭けたのであろう。


グエン中将。彼は側面攻撃を好み、またそれを得意とする将であった。機動と奇襲、その一点においては宗国軍随一と評された男である。


「横っ面を殴れ。頭は後から潰しゃいい」


彼はそう語っていたという。


[闇撃]の効果もあり、宗国軍左翼は音もなく進出した。靴底に布を巻き、銃剣の反射を抑え、息すら殺す。


兵士たちは恐怖と興奮の狭間にあった。


「見えるか?」


「いや……だが、いる。いるぞ、あそこに」


「撃つな。まだだ。合図を待て」


闇の中で囁かれる声は、やがて殺意へと変わる。


そして。奇襲は成功した。


公国軍右翼は不意を突かれ、初動において混乱した。弾幕は乱れ、指揮官は状況を把握できず、部隊は局地的に崩壊する。数の劣勢を覆すには、このような瞬間的優位を積み重ねるしかない。


まさしく教科書通りの奇襲であった、といえる。


だが戦史とは、しばしば「読まれていた奇襲」の記録でもある。


公国軍第9師団。


ネム・ヨバン少将率いるこの部隊は、すでに宗国軍の動きを読んでいたとされる。


「あの男が夜を捨てるわけがねえ」


ネムはそう言ったという。


「どうする?」


「簡単だ。来るなら、来るところを殴る」


第9師団は機動部隊を編成し、大きく迂回させていた。夜の闇を逆手に取り、さらに外側から回り込む。

これは大胆であると同時に、極めて危険な賭けであった。


だが、成功した。


宗国軍左翼は、奇襲を成功させたその瞬間に、さらに外側から襲われたのである。


「なッ、なんだとォ!?」


「後ろだ! 後ろから来てやがる!!」


混乱は伝染する。特に夜戦においては致命的である。


しかし、ここで終わらないのがコロイスという男であった。


彼は、この事態すらも予測していたといわれる。


第9師団が宗国軍左翼を奇襲する。

その瞬間を、彼は利用した。


中央に控えていた別動隊が、さらにその側面を突いたのである。


戦場は、三重の奇襲が交錯する混沌へと変貌した。


敵を討つための刃が、次の瞬間には自らを斬る刃となる。これが近代戦における機動戦の恐ろしさであり、また魅力でもある。


「はは……地獄だな、こりゃあ」


ある兵士はそう笑ったという。


誰が敵で誰が味方か、銃口の先すら定かでない闇の中で、ただ命令と本能だけが人間を動かしていた。


この夜、ミザロの平原は血と混乱の坩堝と化した。


闇の中で銃火が閃き、砲声が地を揺らし、怒号と断末魔が入り混じる。味方を撃ち、敵に助けられる。そうした逆転現象すら起きたといわれる。


だが、である。


いかに戦場が混沌に包まれようとも、数というものは依然として戦争の骨格を成す。兵の総量は、混乱を押し流す力を持つ。


この時、公国軍は8万。宗国軍は1万5000。


混沌は、その差を覆すには至らなかった。


この事実を最も冷静に見ていたのが、コロイス大将その人であった。


「……足りないね」


彼は呟いたという。


奇襲は成功した。局地では優勢を得た。だが、それだけでは勝てぬ。勝つとは、敵の戦意と組織を完全に破壊することである。


そのためには賭けるしかない。


コロイスはここで総攻撃を決行した。


これは最大の賭けであったに違いない。疲弊した兵をさらに前へ押し出し、崩壊寸前の戦線を自ら拡張する。成功すれば勝利、失敗すれば壊滅。


「総攻撃だァ!! 今ここで噛み砕け、雑魚ども!!」


伝令は血走った目で走り、命令を叫び散らした。


「ふざけんな……まだやるのかよ……!」


「黙れ! ここで止まったら終わりだろうが!」


兵士たちは互いに怒鳴り合いながらも、前へと進んだ。戦争とは、理性ではなく慣性によって続くものでもある。


この時、宗国軍は一つの錯覚に囚われていたといわれる。


「押せば崩れる」


それは半ば正しく、半ば致命的な誤りであった。


一方、公国軍第2師団ヴリゾラ上級大将は、戦場の変化を敏感に察知していた。


彼女は「炎獅子」と呼ばれる。激情の将と見られがちであるが、実際には極めて理知的な戦術家であった。


宗国軍の総攻撃。その兆しを、彼女は嗅ぎ取っていた。


「来るな……。いいだろう、来い」


彼女は低く笑ったと記録されている。


「乱れるな、揃えろ」


すぐさま[詩魂]と[韻律]が発動された。


この二つの魔法は兵の「声」と「動き」を統一する。すなわち、混沌に対する秩序の付与である。


読者よ、ここに近代戦の本質を見るべきである。火力ではなく、統制こそが勝敗を分ける。ヴリゾラはそれを理解していたに違いない。


「前へ! 前へだ! 声を切らすな!」


「間を空けるな、詰めろ! 詰めて撃て!!」


兵士たちの声が、闇の中で一本の線となる。


宗国軍は粘った。


それは確かである。数で劣り、装備でも劣る彼らが、なお戦線を維持したのは、コロイスの指揮と、そして兵士たちの執念によるものであった。


しかし、戦争は執念だけでは勝てぬ。


公国軍の反撃は、やがて整い、そして激化した。


秩序ある火力が、無秩序な突撃を削り取っていく。これはまるで、鍛えられた刃が錆びた鉄を削るがごとき光景であった。


その最中、グエン中将が戦死した。


砲撃によるものであったとされる。


「中将が……死んだ?」


「嘘だろ……あの人が……?」


左翼の要であった彼の死は、単なる戦術的損失ではない。宗国軍の「機動」という思想そのものの崩壊を意味した。


さらに、右翼。


ゴゾ少将率いる部隊は、なお攻勢を維持していた。


「押せェ!! このままぶち抜け!!」


彼は叫び、兵を前へと駆り立てた。


だが、攻めすぎた。


敵陣深くに入り込みすぎたのである。


近代戦において、突出は死を意味する。側面と後方を失った部隊は、もはや包囲されるだけの存在となる。


「囲まれた……!?」


「クソッ、引け! 引けェ!!」


だが、遅かった。


ゴゾ少将の部隊は絡め取られ、崩壊した。撤退の混乱の中で、彼自身は行方不明となった。


この瞬間、宗国軍は骨格を失ったといってよい。


左翼は将を失い、右翼は消滅し、残るは中央のみ。


戦争とは、構造である。構造が崩れたとき、兵がいかに残っていようとも、それはもはや軍ではない。


総国軍は崩壊した。


コロイスは、その事実を認めざるを得なかった。


「……終わりだね」


彼は静かに言ったという。


だが、彼は最後まで将であった。


「撤退だ。メニューまで下がる。生き残るよ」


命令は明確であった。


敗北を認めること。それは将にとって最も困難な決断である。しかし、国家を存続させるためには、敗北の中に次を見出さねばならない。


宗国軍はミザロを離れ、メニューへと後退した。

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