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火蓋

ウエノハラ丘陵。この名はのちに両国の軍事史において幾度も言及されることとなる。なだらかながらも複雑に起伏するその地形は、単なる丘陵にあらず、兵力配置と戦術思想を試す天然の要塞であったといわれる。


まず、民国軍の布陣を見てみよう。


左翼には、いわゆる名誉大佐三人衆が指揮する兵18000。彼らはすでに幾度となく戦場において特異な戦果を挙げており、その存在自体が一種の精神兵器であったと評される。中央には、エミリア・プラテル上級大将率いる28000。国家の象徴ともいうべきこの軍団は、士気・統率ともに最精鋭であった。さらに右翼には、「常勝将軍」の異名を持つイチ・ロ大将が16000を率いて布陣している。


総計62000。


数の上では劣るが、彼らは高地を占めていた。この事実は、読者諸賢も理解される通り、戦術上きわめて重大である。高所からの射撃、視界の優位、そして何より防御における心理的優勢。これらは数千の兵に匹敵する価値を持つといわれる。


一方、公国軍である。


左翼にコロイス大将率いる第28師団、15000。中央にはアグニス元帥率いる第1師団、41000。そして右翼にはネム・ヨバン少将率いる第9師団、18000。


総計74000。


兵力においては明らかに優勢であった。しかしながら、戦争とは単純な数の競いではない。地形、士気、指揮官の資質、そして偶然それらが複雑に絡み合い、勝敗を決する。


ある老参謀は、こう語ったと記録されている。


「数で勝って負ける戦ほど、みっともねぇもんはねぇぞ。覚えとけ」


その言葉は、まさにこの戦場に向けられた警句であったに違いない。


戦闘開始前、丘陵一帯は異様な活気に満ちていた。弾薬箱を運ぶ兵、通信線を敷設する工兵、魔導補助装置の調整に追われる術士、それぞれが己の役割を果たすべく動き回る。


「弾薬まだか! こっちはもう空っぽだぞ!」

「黙って待て、今持ってくる! 文句は敵に言え!」


怒号と罵声が飛び交う。兵士たちは笑い、毒づき、そして働いた。戦場前夜とは、常にこうした俗世の延長にあるものだ。


しかしひとたび開戦の刻が近づくと、その空気は一変する。


風が止んだかのような静寂が、丘陵全体を覆った。


それは恐怖ではない。むしろ、覚悟の沈黙であったといわれる。兵士たちは皆、これから起こる殺戮を理解し、それを受け入れていた。


「……始まるな」

「おう。地獄の蓋が開く音が聞こえるぜ」


誰かがそう呟いた。


そして、その静寂を最初に破ったのは、魔法であった。


公国中央軍、キトブカ名誉大佐が発動した[馬闘]。それは騎兵の運動能力と突撃意志を極限まで高める補助魔法であり、近代戦における「突撃精神」の象徴ともいうべき術であった。


同時に、右翼第9師団参謀エケイ・アンコクジ名誉大佐が[西軍]を発動する。


この魔法は特異である。自軍が西側に位置し、敵が東にある場合、すなわち地理的条件が満たされたとき、兵の士気を顕著に向上させる。単純に見えて、戦場においては絶大な効果を持つ。


「西に立つ我らが主だ! 東の連中を叩き潰せぇ!!」

「ハッ、いいじゃねぇか! 方角一つで燃え上がるってか!」


兵たちの笑いは、次第に咆哮へと変わっていく。


それは文明の外皮を剥ぎ取られた、人間の本能そのものであった。


この二つの魔法の発動と同時に、戦端は開かれた。


が、民国軍もまた、ただ黙してそれを受ける存在ではない。


名誉大佐三人衆が動いた。


「来たか。……ならば、見せてやろうじゃないか」

「いつも通りだ。死ぬまで戦え、それだけだ」

「ははっ、簡単な話だな」


彼らは躊躇なく、あの異様なる魔法[参諦]を発動した。


この術の本質は、理性の切断にあるといわれる。恐怖、疲労、痛覚、それらを押し潰し、ただ「戦う」という意思のみを残す。結果として兵は死を恐れず、文字通り倒れるまで戦い続ける。


それは勇敢という言葉では足りぬ。狂気に近い。


「……またかよ、あのバケモンども」

「撃っても止まらねぇ奴らとか、冗談だろ……!」


公国兵の間に動揺が走る。


だが、それこそが三人衆の狙いであったに違いない。戦場において最も恐るべきは、敵の兵力ではない。敵の「意思」である。


かくして、ウエノハラ丘陵の戦いは始まった。


魔法と火力、信仰と狂気、そして人間の意志が正面から衝突する戦場。そこにはもはや整然たる戦列も、教科書的な戦術も存在しない。文明が築いた秩序を破壊する装置である。

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