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面子

ノヴァおよびムザクバードの奪還、さらにモザンビル防衛の成功。それは一見すれば戦局の転換点に見えた、と後世の軍史家は記している。しかしながら、戦争という営為は、勝利によって終わるものではない。むしろ勝利は、次なる戦いへの序章に過ぎぬのである。


瓦礫の山と化したノヴァの街路には、未だ火薬と血の匂いが漂っていた。兵士たちは勝利の歓声をあげる余裕すらなく、ただ黙々と弾薬を補給し、負傷兵を後送し、次なる命令を待っていた。戦争とはかくも無機質な歯車である。ひとたび回り始めれば、個々の感情など意に介さず、ただ国家という巨大な意志のもとに進み続ける。


「終わりじゃねえぞ……次が来るだけだ」


ある下士官が吐き捨てるように言った。その言葉は、兵士たちの実感そのものであったろう。


国家とは、理性によってのみ動くものではない。面子、すなわち国威と民意が、その行動を規定する。攻められ、領土を蹂躙され、それを取り返したのみで矛を収めることは、民衆が許さぬ。これはいかなる時代、いかなる文明においても変わらぬ法則であるといわれる。


公国もまた例外ではなかった。


「叩かれた分は、叩き返す。それが国ってやつだろうが」


ビーノ・ホラー等兵が吐き捨てるように言ったと記録されている。その言葉は粗野であるが、国家戦略の本質を突いていたに違いない。


南東戦線における多民族国との戦闘は、モザンビル方面軍に委ねられた。これは戦力の分散を避け、主攻を一点に集中させるという、近代戦における基本原則に忠実な判断であった。すなわち、公国軍は主戦場を東方。民国領内へと定めたのである。


攻勢部隊の編成は明確であった。ムザクバードの第1師団、ノヴァの第28師団、そして増援として編入された第9師団。これら三個師団をもって、民国西部へ進撃する。


このとき、第9師団を率いたのがネム・ヨバン少将であった。


齢32。女性でありながら師団長の地位にあること自体、この時代においては異例であったといえよう。だが彼女の場合、それは単なる話題性ではなかった。戦歴がそれを証明していた。彼女は幾度も戦場において局面を打開し、その度に昇進を重ねてきたのである。


その赤毛は戦場においてひときわ目立ち、兵たちは畏怖と敬意を込めて彼女を「緋鯉」と呼んだ。激流を遡る鯉のごとく、いかなる困難にも逆らい、突破すその姿からの命名であったといわれる。


「敵だろうが味方だろうが、読めねぇ動きする女だ。……だが、ああいうのが戦場じゃ一番怖ぇ」


前線の士官がそう語ったという記録も残る。


ネム・ヨバンはまた、振る舞いにおいても特異であった。言葉遣い、立ち居振る舞い、いずれも男性士官と変わらぬ。いや、むしろそれ以上に粗削りであったとさえ言われる。


「甘ったれた面ァすんな。戦争だぞ、ここは」


部下を叱咤するその声は鋭く、しかし兵たちは彼女に従った。そこには恐怖ではなく、確かな信頼があったのであろう。特に女性士官たちにとって、彼女は一種の象徴であり、憧憬の対象であったに違いない。


さて、一方の民国である。


彼らもまた、公国軍の反攻を予期していた。いや、むしろそれを待っていた節さえある。


戦場として選ばれたのは、民国西部に位置するウエノハラ丘陵であった。この地形は、なだらかな起伏と複雑な地形を持ち、伏兵戦術に極めて適していた。しかもこの丘陵地帯は、かねてより公国との戦争を想定して整備されていたとされる。


読者諸賢も理解されよう。戦争において地形とは、しばしば兵力に勝る価値を持つ。塹壕や陣地と同様、地形そのものが「武器」となるのである。


「ここで待つ。来るなら来い、だ」


民国軍の参謀がそう断じたという。


そして、この地で公国軍を迎え撃つ布陣は、まさに精鋭そのものであった。


名誉大佐三人衆。すでに幾度となく戦場にその名を刻んだ指揮官たち。そして、その上に立つのが、民国陸軍の象徴ともいうべき存在。エミリア・プラテル上級大将である。


この名は、単なる一軍人のそれではない。民国という国家の精神そのものを体現する存在であったといわれる。


さらに特筆すべきは、彼女の出自である。


エミリア・プラテル。その名は、太陽系に存在する地球において、かつてポーランドの英雄として知られた人物と同一である。すなわち彼女は、この世界における「異世界転生者」であった。


この事実は当時、広く知られていた。迷信と科学が混在するこの時代において、それは畏怖と神秘をもって受け止められていたのである。


「化け物か、聖女か……どっちでもいい。強ぇ奴が上に立つ、それだけだ」


前線兵士の言葉は、実に率直であった。


エミリアは丘陵を見下ろし、静かに呟いたとされる。


「来るわね、公国。ならばここで、終わらせるだけ」


その声音には、迷いがなかった。


かくして、両軍はウエノハラ丘陵において対峙することとなる。


公国の面子と攻勢、民国の防御と誇り。さらにそこに、信仰、技術、そして異世界の記憶が交錯する。


戦争とは、単なる兵力の衝突ではない。思想と意思、そして人間そのもののぶつかり合いであるといわれる。


この戦いがいかなる結末を迎えるか、それはまだ誰にもわからなかった。だが一つだけ確かなことがある。


この丘陵において、歴史は再び、大きく動こうとしていた。

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