第六項 子ども記者と、揺れる陽炎
第六項 子ども記者と、揺れる陽炎
夏休み七日目。
午前中に取材の流れをまとめたレポート用紙を班のみんなの家へ配り終え、その日の午後、俺と宮下はさっそく桜橋駅前商店街へ下見に行くことにした。
「わあ……なんか、私ら本物の“記者”みたい!」
「まあ、ただの子ども記者やけどな」
宮下は手作りの地図をパタパタと広げて、今日回る予定のルートを小さな指でなぞる。
「ここが、私らの担当の“たまごサンドの店”だよね?」
「そうそう。で、もしそこが駄目だったときのために、その隣にある喫茶店『ウイング』も候補に入れておこか」
「うん。あ、松野くん見て。なんか、もういい匂いしてる」
商店街の奥から、香ばしい焼きたてパンの香りがふわっと流れてきた。
宮下は鼻をクンクンとさせて、子犬みたいに嬉しそうに笑う。
(……あかん、めちゃくちゃかわいいな)
「じゃあ、まずはグルメブックに載せる外観の写真ポイントを探そか」
「うん! あ、ここ、光が当たってて綺麗」
お店の前へトコトコと歩み寄った宮下が、嬉しそうに俺の方を振り返る。
「ねえ、松野くん。こういうの、なんかすごい楽しいね」
「まあ、小学生の夏休みの自由研究にしては、かなり本格的やしな」
「うん。でもね……そうじゃなくって、みんなで一緒に何かを作るって、なんかええなあって思って」
その飾らない言い方が、なんだか俺の胸にじんわりと温かく響いた。
「じゃあ、次の候補の店も見に行こか」
「うん!」
宮下は楽しそうに小さく走り出す。
夏の光を浴びて弾むその背中を追いかけながら、
(……この時間が、ずっと続けばええのにな)
そんな青臭いことを、ふと思ってしまっている自分がいた。
ーー
一通りの下見を終えて、商店街を抜ける帰り道。
ギラギラとした夏の午後の強い光が、アスファルトの上で白く揺れていた。
「ねえ、松野くん」
「ん?」
宮下は少しだけ歩く速度を落として、俺の真横にぴたりと歩調を合わせた。
「今日さ……松野くん、すごかったよ」
「え、何が?」
「だって、お店のこといっぱい知ってるし、どうやって取材したらいいかとか、段取りもちゃんと考えてくれてたやん」
宮下は、気恥ずかしいのか前を向いたまま言葉を続けた。
「なんか……すごい頼りになるなあって思った」
その言い方が、いつもより少しだけ柔らかくて、俺の胸の奥が一気に熱くなる。
「そ、そうかな……」
「うん。松野くんって、やっぱりすごいよ。なんか……大人みたいやもん」
その瞬間、心臓が一拍、ドクッと強く跳ねた。
(……大人みたいや、か)
前世の記憶があるなんて口が裂けても言えるわけがないけれど、宮下のその言葉は、まるで俺の正体を全部見透かされているみたいで、少しだけ怖くて、でも、猛烈に嬉しかった。
「ありがとう。でも、宮下もすごかったで。走るのも早いし、いい撮影場所に気づくのも早いしな」
「えへへ……」
宮下は照れたように笑って、サンダルのつま先で地面を軽く蹴った。その仕草が、なんだか胸に突き刺さるくらい愛らしく見えた。
「ねえ、松野くん」
「ん?」
「取材、本番も……二人で一緒に頑張ろうね」
「もちろんや」
その返事をした瞬間、宮下は満足そうにふっと微笑んだ。
ーー
商店街を完全に抜けて静かな住宅街に入ると、さっきまでの賑やかさが嘘みたいに消え去った。
蝉の声だけが響く中、宮下がふと立ち止まる。
「ねえ、松野くん」
「ん?」
宮下は、何か言い出しにくそうに、指先で自分のTシャツの裾を小さくつまんでいた。
「あのね……ひとつ、お願いがあるんやけど」
その声は、いつもの元気な声より少しだけ小さかった。
「お願い?」
宮下は一度うつむいて、それから意を決したようにまっすぐ顔を上げた。
「取材のときな……私、本当はちょっと緊張すると思うの」
「え、あの宮下が緊張するん?」
「うん。だから……その……」
宮下は、ほんの少しだけ、俺の半袖の袖口をきゅっとつまんできた。
「松野くん、そばにおってくれへん?」
心臓が、一拍遅れて激しく跳ねた。
「そばって……まあ、同じグループのペアやし、もちろんずっと一緒やけど」
「ううん、そういう意味じゃなくて……」
宮下は、頬をりんごみたいに赤くしながら続けた。
「私が緊張して困ってたら、助けてほしいの。うまく言われへんとき、松野くんにフォローしてほしい。……松野くんやったら、絶対にできるでしょ?」
その言い方は、まるで俺のことを全面的に“信じてるよ”と告げられたみたいで、胸の奥がじりじりと熱くなった。
「……おう、任せとけ」
覚悟を決めてそう言うと、宮下はぱっと顔を明るくして、嬉しそうに小さく笑った。
「ありがとう。やっぱり松野くんにお願いしてよかった」
その眩しい笑顔を見た瞬間、俺は心の中で強く誓っていた。
(……絶対にこの自由研究は失敗させへんし、この夏を、絶対に忘れられないものにしてやる)
ーー
家に帰り、自分の部屋のベッドに腰を下ろすと、今日の宮下の笑顔が脳裏にふっと浮かんでくる。
(『松野くんって、すごいよ。なんか……大人みたいやもん』)
彼女のあの声が、胸の奥で何度も何度も反響して離れない。
(嬉しい。正直、めちゃくちゃ嬉しい)
でも——その甘酸っぱい嬉しさのすぐ隣に、どうしようもない冷たい不安が、いつの間にかひっそりと座り込んでいることに気づく。
(……こんなに、何もかも上手くいってええんやろか)
前世の人生では、何をやっても裏目に出て、どれだけ努力しても報われへんことばかりだった。
だからこそ、今みたいに“いいこと”ばかりが連続して起きると、逆に怖くなってしまうのだ。まるで、今の幸せの分だけ、後からどこかでとんでもなく大きなツケが回ってくるんじゃないかって。
宮下が笑うたびに、俺の心はこんなにも温かくなるのに。その温かさが、いつか急にパッと消えてしまうんじゃないかって、そんなネガティブなことばかりを考えてしまう。
(……あかんあかん。せっかく最高の夏休みが始まったばっかりやのに、俺は何を後ろ向きなこと考えてんねん)
ブンブンと頭を振ってみても、胸のざわつきは完全には消えてくれなかった。
でも、今日見た宮下のあの最高の笑顔だけは、どうしても嘘には思えなかった。
「……明日も、ちゃんと頑張ろ!」
声に出してそう呟くと、少しだけ胸の嵐が静まった気がした。




