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交差 ―あの夏の日の誓い―  作者: 結城 輝


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第三項 天才剣士と、不穏な記憶

  第三項 天才剣士と、不穏な記憶



白百合の母「さゆちゃーん、あんたら、ちょっと下降りといでー!」


一階から宮下の母親の声が響き、俺たちはリビングへと降りた。テーブルの上には、綺麗に焼き上がったシフォンケーキと紅茶が人数分準備されていた。


白百合の母「これ、食べてみて!」

宮下「あっ、それお母さんの手作り。めっちゃ美味しいよ」


(実は今、ちょっと体重を気にしてダイエット中なんやけどなあ……)


そんなことを思いつつも、差し出されたケーキを口に運ぶ。


松野「いただきます。……あっ、うまっ!」


白百合の母「よかったわぁ。また作るからいつでも食べにきてね。うちは女の子ばっかりで男の子がおらへんから、慶ちゃんが来てくれて嬉しいなあ」


松野「ははは……」と照れ笑いを浮かべながら、そんな他愛のない会話を楽しんでいると、


「ただいまー」

と、玄関から少し大人びた通る声が聞こえた。


白百合の姉「あれ? さゆのボーイフレンドが来てるん?」


リビングに入ってきたのは、宮下のお姉さん――宮下茜、中学三年生だった。母親によく似た、とても可愛い人だ。


松野「おじゃましてます」


茜「あー、道場に来てる子やね」


松野「えっ……俺のこと、知ってはるんですか?」


茜「知ってるよ。君、最近結構上手になったもんね。ほなな、また道場で」


そう言って笑う茜の姿を見て、俺の脳裏に前世の古い記憶が呼び起こされた。


そういえば――前世の俺が小学三年生で剣道を始めた頃、茜は中学一年生だった。あの頃から、めちゃくちゃ強かったのを覚えている。


打ち込みの音が他の子たちとは完全に違っていて、子ども心に「あの人、めちゃくちゃ強いなあ」と憧れを持って見ていたのだ。彼女が宮下の姉だと知ったのは結構後になってからだったが、それにしても、今は中学三年生で、来年はもう高校一年生か……。急にすごく“綺麗なお姉さん”に見えて、少し気圧されてしまう。


確か、うちの道場の中学生は、今年の団体戦(全日本少年剣道錬成大会※)では予選で負けていたはずだ。


個人戦では、茜が圧倒的な強さで全国大会(全日本選抜少年剣道個人錬成大会※)行きを決めたらしい。前世では『宮下茜はまさに無敵だった』と、当時の道場の門下生、中学の先輩から何度も聞かされていた。


(そうや。宮下のお姉さんは、この後、女子剣道の名門である『桃華女子学院』に進むんやったよな)


でも……。


もし、あの時の“あんなこと”さえなかったら。茜はもっと、ずっと上まで行けたはずの伝説の天才剣士だったのだ。


そう思い至った瞬間、俺の胸の奥が、冷や水を浴びせられたように少しだけざわついた。


「そういえば、松野くん。まとまらなかった班の自由研究やけど、何かいい案ある?」


宮下の声で、俺は現実に引き戻された。


「そうやなあ……。班全員で分担できて、それなりに形になるもんやったら……。例えば、桜橋駅の商店街の『グルメブック』とか。みんなで一軒ずつ取材して回って作ったら面白いかもよ。ほかには、みんなのお母さんにインタビューして『苦手克服レシピブック』を作るとか、地元の特産品を詳しく調べて紹介するとか……。今パっと思いつくのは、そんなとこかなあ」


「すごい……! 商店街のグルメブック、めっちゃ楽しそう。わたしも明日、もっと考えてみる」


宮下は目を輝かせて、俺の発想力に純粋に感心していた。中身が大人の俺からすれば少しずるい気もしたが、彼女が喜んでくれたなら、それで良かった。


ーー


シフォンケーキを綺麗に食べ終わり、リビングにはなんとなくまったりとした、心地よい空気が流れていた。


宮下は、温かい紅茶のカップを小さな両手で包み込むように持ちながら、ちらっと上目遣いで俺の方を見た。


「ねえ、松野くん」


「ん?」


「あのね……明日なんやけど」


そこで一度、言葉を区切る。


彼女の視線は、テーブルの上に置かれたフォークの先へと落とされた。白い肌の耳のあたりが、ほんのりとにじむように赤くなっている。


「明日からも……一緒に宿題しよ!」


その声は、さっきまでの元気な会話よりも少しだけ小さくて、でも、俺の鼓膜にハッキリと届くほど、強い意志を持っていた。


「えっ……あ、うん。いいよ」


俺が頷くと、宮下はぱっと顔を上げて、いたずらが成功した子どものように小さく笑った。


「じゃあ……明日、十時に。うちに来てくれたらいいからね」


「うん」


「約束、ね!」


そう言って、宮下は人差し指の先で、テーブルの木目を「トン」と軽く叩いた。

そのちょっと背伸びをしたような仕草が、なんだか妙に、胸に突き刺さるくらい可愛かった。


(どんどん、勝手に明日以降の予定が決まっていくなあ……。なんか、こっちの世界に来てからいいことばかりが続きすぎて——逆に、これから何か悪いことが起きそうで、少し怖いな)


そんな贅沢な不安を抱えながら、俺の夏休み三日目は、夕暮れのチャイム『七つの子』と共に更けていった。


(※「全日本少年剣道錬成大会」は、現在の「全国道場少年剣道大会」、「全日本選抜少年剣道個人錬成大会」は、現在の「全国道場少年剣道選手権大会」にあたる。)

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